第156話 虹鳥の髪飾り
「大した物じゃないが、サンドイッチとクッキーの礼だ」
そう言ってレイド──クレイドルがルーリアに差し出したのは、花模様の透かし紙に包まれ、サクラ色と白のレースのリボンで可愛らしく飾られた小箱だった。
誰かに見られると気まずいから早く受け取って欲しいのに、ルーリアは呆然とした顔で小箱を見つめている。
そこでクレイドルはハッとした。
ルーリアは魔虫の蜂蜜屋の娘だ。
不用意に人から物を受け取らないように言われているのかも知れない。
「…………」
「…………」
しとしとと降る雨の音が、何とも言えずその場の空気を重くする。
「……迷惑、だったか?」
無理やり押しつけるつもりはない。
クレイドルは行き場のない小箱を引っ込めようとした。すると突然、ルーリアはやっと現実に戻ってきたような顔で、ぶんぶんと首を振る。
「…………本当に、わたしに?」
ルーリアの声はかすかに震えていた。
確かめるようにクレイドルを見つめ、それから壊れ物にでも触れるように、そっと小箱に両手を添える。
クレイドルが手の平に乗せてやると、ルーリアは小箱を大切そうに胸に抱え、ぽろぽろと涙の粒を落とした。
「……泣くほどのことじゃないだろ」
自分でも自覚しながら、前にも言ったことのある台詞を口にする。ルーリアの反応をいくつか想像していたが、こんなに幸せそうな顔で涙を流されるとは思っていなかった。
その表情が、クレイドルの気持ちを懐かしくさせ、胸を締めつける。
「……ごめ、んなさい。嬉しくて……」
「大袈裟だな」
物には不自由してなさそうなのに、なぜこんな物一つで泣くのだろう?
クレイドルはその涙の理由を知りたいと思い、どうして泣くのかルーリアに尋ねた。
「……だって、こんなに綺麗な物、もらったことなんて、一度も……」
どうやらルーリアは自分がしたことに対し、礼として形に残る物をもらったことが今まで一度もなかったらしい。ハロルドの読みは見事に当たっていたという訳だ。さすがだ。
しかしルーリアの言葉に、クレイドルは心の中で『ん?』と、首を傾げる。
「ありがとうございます、レイド。大切に、部屋に飾りたいと思います」
「いやいやいや。違う」
思わず、突っ込みを入れてしまった。
「…………違う?」
ルーリアは涙を浮かべた目を不安げに瞬かせる。その様子に、やっぱり包装なんてなかった方が良かったんじゃないか、とクレイドルは心の中で愚痴をこぼした。
「渡したい物は、その箱の中身だ」
「……えっ!?」
ルーリアは自分の勘違いに気付き、顔を真っ赤にさせた。いったい何を贈ったと思われたのか。いろいろ突っ込みたい気持ちはあったが、そこは流すことにした。
ルーリアは綺麗に結ばれたリボンを見ては、何度も「開けるのが勿体ない」と言う。
「それなら家に持って帰って、見飽きた頃に開ければいい。中身は腐るような物じゃない」
「…………うぅ~~……」
散々迷った末、ルーリアは結局、中身が気になるから開けることにしたらしい。変なところで優柔不断だ。ルーリアはものすごく真剣な顔で、破らないように慎重に包装を開けていた。
「う、わあぁぁ~~……」
箱の中にあった地味な髪飾りを手にして、ルーリアは目をキラキラと輝かせる。この状態で喜ぶなんて、どれだけ純粋なのかと思ってしまった。
「シャナ・リュタンの花ですね」
「オレは花には詳しくないんだが」
「妖精の国にだけ咲くと言われている花です。古代語で、確か『イタズラ好きな妖精』って意味だったと思います」
「……なるほどな」
花の形にまで意味があるとは思わなかった。
「その髪飾りには、虹鳥という鳥の羽根が使われているそうだ。着ている服に合わせて色が変わる。布の上に置いても色は変わるぞ」
「えっ、色が?」
ルーリアはさっそく短いスカートの布地をめくって上に載せていた。その姿にギョッとする。何でよりによって、そこをめくるのか。
「っルリ、それ以上は、見える。いいか。落ち着いて、ゆっくり手を放すんだ」
視線を逸らして指摘する。
ルーリアはそっと自分の手元に目を向け、その意味に気付いたようだった。
「…………にゃあぁっ!!」
パッとスカートを放し、耳まで真っ赤にさせて「ご、ごめんにゃさい」と噛んでいた。夢中になるのはいいが、もう少し注意深くなって欲しい。
ルーリアがマントの上に髪飾りを置き直すと、すうっと、小さな花弁が白と金色に染まっていった。
「わぁっ、本当に色が変わりました。花も可愛くて、とっても素敵です」
「気に入ってもらえたようで良かった」
「これ、本当にわたしがもらってもいいんですか?」
「ああ、もちろんだ」
「ありがとうございます、レイド。ずっと大切にします」
ルーリアは慎重な手つきで、髪飾りを元のように小箱に戻していた。学園に着けてきてもいいかと聞かれたから、好きにするように伝える。さっそく明日から着けたいそうだ。
……可愛いな、と思ってしまった。
こう素直に喜ばれると、他にも何か渡してみたくなるというか。……っと、今は一応、任務中だ。余計なことを考えている場合じゃなかった。
授業が終わり、ルーリアを門まで送ろうとすると、今日は闘技場に寄ってから帰ると言う。
「闘技場に? 何しに行くんだ?」
「わたしも少しだけ部活に参加しようかと思いまして」
「…………は?」
詳しく聞くと、作った料理や菓子を部活で配りたいのだとか。すぐさま、止めておけと助言した。あんな所で無差別に配ったら、腹を空かせた戦闘狂どもが奪い合いを始めて、流血沙汰になるに決まっている。下手をすれば死人が出るだろう。
「でも、こんなに持って帰っても……」
「それなら、オレが知っているヤツに声をかけてみよう」
こうしてクレイドルは、ルーリアを連れて闘技場へ向かうこととなった。
◇◇◇◇
放課後の部活には、軍部の約四百人(ほぼ強制参加)と他の部の者たち(自由参加)を合わせ、だいたいいつも六百人ほどが参加しているという。学園の全生徒の約半数近くが集まっていると言えるだろう。
部活で一番目立つのは、もちろん対戦している者たちだが、それ以外は何をするにも割と自由であった。
芸部の生徒たちは観戦席で絵を描いたり、写真を撮っていることが多い。鍛冶学科の生徒たちは、作製した武器や防具の売り込みに来ていたり、実戦で使われている様子を観察したりしている。
新しい治療法を試したがっている癒部の生徒や、開発した調合品や薬を披露したがっている理部の生徒もいた。
「あれ? もしかして、誰もいない……?」
料理を配っている人は……と、食部のマントを探したけれど、ルーリア以外には見当たらなかった。
闘技場の観戦席は飲食が自由なので、食べ物を食べている人はちらほらと見かける。だがそれは、立って軽食を口にする程度だった。
座席に座って落ち着いた雰囲気で飲食をしているのは、芸部の生徒たちくらいだろうか。
芸部にはダイアランの貴族令嬢が多いそうで、お気に入りの衣部の生徒や軍事学科の生徒を招いては、小規模な食事会や茶会を開いているそうだ。
「ルリ、来てたのね」
「あ、ナキスルビア」
レイドが声をかけに行ってくれている間、落ち着かない気持ちで観戦席に座っていたけれど、笑顔のナキスルビアに声をかけられ、ホッとする。そこへ、レイドがウォルクスを連れて戻ってきた。
「話をしてみたら、ウォルクスは甘い物が好きらしい。ルリの菓子を食べてみたいってさ」
「あれ、ナキスルビアもいたのか」
「へぇ~。ウォルクスって甘い物が好きだったのね。知らなかったわ」
ナキスルビアも料理学科で作った物を食べてみたいと言ってくれた。
「おーい、ウォルクス。って、あれ。ロリちゃん?」
「あ~、おチビちゃんだぁ。こんなとこで何してるのぉ~?」
やって来たエルバーとリュッカに、ウォルクスが説明をしてくれる。料理の話をすると、二人とも食べてみたいと言ってくれた。
ガインからは、出来るだけ勇者パーティとは関わらないようにと言われていたけれど……。チラリとフェルドラルを見ると、『どうなっても知りませんよ』と言いたそうな顔をしていた。
「ラッキ~。ちょぉど、お腹が空いてたんだぁ~」
「ボクも。しかもロリちゃんの手作りだなんて、感激すぎる! 家宝にしたい!」
これは……。今さら止めますとは言えない雰囲気となっていた。手遅れ感が半端ない。
その時、芸部の令嬢たちがいる席の方からきゃあっ! と、歓声が上がった。
見ると、リューズベルトとセルが石舞台から下り、並んで観戦席の方へと歩いてくる。
「歩いただけで歓声とか、どんだけだよ」
と、エルバーが嫉妬まみれな呟きをこぼす。
リューズベルトとセルは仲が良いのか、肩を並べて話をしていた。するとそこへ、数名の女生徒たちが寄って行く。
「あ、あの二人ぃ。まぁた、芸部の子らに誘われてるぅ~」
「最近、これのせいでリューズベルトが不機嫌になっていたのね。嫌なら、はっきり言えばいいのに」
「ダメだよぉ。勇者ちゃん、言葉選ばないんだからぁ~。あの顔で『うざい、消えろ』なぁんて言われたらぁ、お嬢様たち泣いちゃうよぉ~」
貴族令嬢の中には、勇者支援に関わっている家の者も多いから無下には出来ないのだと、リュッカはナキスルビアに説明していた。
そんな二人が女生徒たちの誘いを断り、まっすぐウォルクスの所に歩いてくる。
「リューズベルト、セル。ちょうど良かった。ルリが授業で作った料理を持ってきてくれたんだ。良かったら一緒にどうだ?」
などと。空気を読まないウォルクスは、笑顔で二人を誘ってくれた。
「……ルリが?」
「それは興味深いな。いただこう」
「なら、オレももらうとしよう」
なんと、セルが食べてくれるという。
それに釣られるように、リューズベルトも食べてくれることになった。
当然、芸部の女生徒たちからは突き刺さるような鋭い視線が飛んでくる。
ひ、ひえぇぇえぇ~~。なんてことを。
ルーリアは心の中で悲鳴を上げた。
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