第151話 父親心は複雑らしい


「時の日って……」


 聞き覚えはあるけれど、思い出せない。

 首をひねって考えるルーリアを、レイドは驚いたような目で見つめた。


「まさか、お前。曜日を知らないとか言わないよな?」

「ようび? え、っと……」


 あ! と、やっとのことで思い出す。

 曜日は前にアーシェンが言っていた、7日ごとに繰り返す毎日の呼び名のことだ。


「も、もちろん知っていますよ。でも、時の日だと、どうして毒の勉強が出来ないんですか?」

「やっぱり何も分かってないじゃないか。時の日ってのは、広く言うところの『休みの日』って意味だ。学園も明日は休みだぞ」

「えっ、休みの日?」

「そうだ。明日はここに来ても、門が閉まっていて中に入ることは出来ない」

「……学園が、休み……」


 ダイアランのような人族の国や他の一部の国では、時の日は休日となるらしい。これから毎週、時の日は休みだと聞かされ、ルーリアはぽかんとなる。休みなんて考え自体、ルーリアの生活には存在していなかった。


「せっかく肉料理が作れるようになったんだ。明日は父親に何か作ってやったらどうだ?」


 そんな声をかけられ、ハッとなる。

 ガインがどんな味が好きで、肉をどうやって食べているのか、ルーリアは何も知らない。


「あ……そ、そうですね」


 肉にはどんな味付けが合うのか、それも自分自身で食べてみなければ分からないままだ。

 ルーリアはカツサンドを両手で持ち、覚悟を決めて、はむっと噛じりついた。

 初めて食べる肉の味が口の中に広がる。

 もぐもぐと、よく噛んで呑み込んだ。

 その様子をレイドは心配そうに見つめている。


「……本当に平気か? 自分で作った物をそこまで思い詰めた顔で食うヤツ、初めて見たぞ」

「…………美味しい、です」


 涙目で答えたから説得力はなかったと思う。

 カツはちゃんと油を切ってあるから、甘辛なソースがよく染み込んでいた。柔らかい肉からも旨味がにじみ出ていて、ぷるぷるした脂身も甘くてとても美味しい。

 これはもう、食わず嫌いだったとしか言いようがなかった。そのことを伝えると、レイドは安心したように息を吐く。


「それなら良かった。また小難しく考えたりするなよ。美味いなら美味いでいいんだからな」

「はい。……あの、レイド。ありがとうございました」

「ん? 何の礼だ?」

「……その、一緒に食べてくれて」


 そう言った後で何となく恥ずかしくなり、ルーリアは慌ててクッキーを指差した。


「あの、お菓子もありますから。良かったら食べてください」

「あ、ああ」


 ルーリアの勢いに押されたレイドは、クッキーの包みの端にあった物に手を伸ばした。


「……これは……」

「あっ、」


 それはクッキーを作った時の余り生地で作った、サクサクもどきだった。自分で食べようと思って作った物だから形もいびつだ。

 レイドは指で摘まむと、それをひと口噛じり目を細めた。


「…………懐かしい味がする」

「……えっ」


 何でもない。そう言ってレイドは残りの欠片を口の中に放り込んだ。

 サンドイッチとクッキーは綺麗に完食。

 レイドからは、どれも美味しかったと褒められた。


 遅めの昼食を食べ終わったルーリアたちは門へ向かった。レイドはこの後、部活に顔を出すという。ダジェット先生に文句を言わないと気が済まないらしい。

 またケガをするかも知れないと思ったルーリアは、レイドに蜂蜜を渡しておこうと荷物の中にある瓶に手を伸ばした。

 しかし、その手をフェルドラルが掴む。

 ルーリアの目を見て、首を横に振っていた。

 蜂蜜を渡すのはダメらしい。


「じゃあ、また来週な」

「はい、また」


 正門に着いたルーリアは送ってくれたレイドに礼を言い、転移して帰宅した。



 家に帰り着くなり、フェルドラルからお小言が飛んでくる。


「姫様。ご自分から素性に繋がる物をお渡しになるのは避けられた方が宜しいかと思いますわ」

「……はい。ごめんなさい」


 レイドに渡そうとした時に、自分でも少しだけ迷いはあった。持ち歩く分も、今度からは瓶を変えようと思う。

 蜂飾りが付いた瓶のままだと、知っている人にはウチの商品だと、ひと目で分かってしまう。自分が魔虫の蜂蜜屋の娘だと、学園で名乗るつもりはない。


「それと先日ですが、念のためと思い、レイドに風を付けてみました」

「……そんなことをしていたんですか」


 レイドがどこから来ているか、など。

 素性を調べるために後を追わせたらしい。


「学園を出てすぐに転移の魔術具を使用したことは分かったのですが、そこで風は切られてしまいました。かなり用心深いようですわ」

「そういうことはしなくていいです」

「そうは参りませんわ。姫様に近付いてくる者は、一応、警戒しておきませんと」

「近付いてって。レイドは悪い人じゃないと思いますけど」


 店のテーブルに荷物を置いてそんな話をしていると、ガインが二階から下りてきた。


「お帰り、ルーリア。何を言い合っているんだ?」

「ただいまです、お父さん。フェルドラルがレイドの後をつけたみたいなことを言ったので」

「…………レイド?」


 名前を耳にした途端、ガインの動きがピタッと止まる。


「……あー、ルーリア? それは誰だ?」

「あ、えっと、学園の農業学科に通っている人です。一緒に授業を受けていて」

「……農業?」


 ルーリアが他の学科にも参加していることを知らないガインは、初耳だと眉を寄せる。

 最優秀に選ばれた者の特権であると話すと、とりあえずは納得したような顔になった。


「それで、菓子学科以外の授業にも参加できるから、わたしは料理と農業の授業を受けているんです」

「……ほ、ほう」


 ルーリアが説明しているのに、ガインはちゃんと聞いているのか分からないような反応をする。


「それで、フェルドラル。その、レイドってのはどんなヤツなんだ? 男の名前のようだが?」

「男ですわ」


 ガインはフェルドラルの胸ぐらを掴む勢いで瞬時に詰め寄ったが、ひらりとかわされる。


「おい、どういうことだ!? 何でルーリアが男と授業を受けている!?」


 そんなガインから距離を取り、フェルドラルは冷やかな視線を向けた。


「落ち着きなさい、バカ虎。学園の生徒の七割は男です」

「な、七割だと……ッ」


 なぜか狼狽えた顔になるガイン。


「ああ、そうですね。ついでです。良いことを教えてあげましょう」


 薄い笑みを浮かべたフェルドラルは、小さな手でガインを招き、何かを耳打ちした。


「なッ、本当か!!?」


 ガインは驚愕の表情でそう叫ぶと、よろめきつつフェルドラルから二、三歩離れ、膝から崩れ落ちて床に手をついた。顔に暗い影を落とし、「そんなまさか……」などと呟いている。


「えっ、お父さん!? フェルドラル、お父さんに何を言ったんですか!?」

「んふ。大したことではありませんわ」

「全然そうは見えないんですけど!?」

「…………ルーリア……」


 消え入りそうなかすかな声で、ガインがルーリアを呼ぶ。


「はいっ。な、何ですか?」

「……その、レイドってヤツは、ルーリアから見てどんなヤツだ?」

「…………へ? レイド?」


 ガインは死刑宣告直前のような目で見つめているが、ルーリアはそれに気付かない。

 少し前にシャルティエからも似たようなことを聞かれたなぁ、と思いながら頬に指先を当てる。


「えっと……すごく親切で、飾らない気さくな人ですよ。自分の考えをしっかり持っていて、仕事に真面目で。わたしが悩んでいる時にも、話を聞いていろいろ教えてくれました。あと、剣の腕もすごいんですよ。強くて、頼りになる感じで──」


 褒め言葉しか出てこないルーリアに、ガインは表情を歪ませる。


「……く……っ。ルーリアにとって、そいつはどんな存在なんだ?」

「どんな存在?」


 んー……、ユヒムとは違うと思う。

 たまに厳しいことも言うけど、でもそれは素直に耳を傾けたくなるような言葉で。背中を押してくれたり、見守ってくれている感じで。どちらかと言えば……。


「お父さんみたいな感じですね」

「──ッ!!」


 ガインはユラリと立ち上がり、顔に影を落としたまま、裏口から外へ出て行ってしまった。


「見事なとどめでしたわ、姫様」


 ぱちぱちと拍手をして、フェルドラルは満足げに微笑む。


「え、な、何がですか?」


 ガインがどうして急にレイドのことを聞いてきたのか、ルーリアには分からなかった。


 しかし、その日の夕方。


 ルーリアが眠る時間になっても、ガインは家に帰ってこなかった。いつもだったら家の中にはいなくても、家の近くにはいたはずなのに。

 エルシアが家にいるからかも知れないが、こんなことは初めてだった。


「……お父さん、どうしちゃったんでしょう?」


 不安そうな顔をするルーリアを、エルシアは微笑んで優しく撫でる。


「ルーリアは何も心配しなくて大丈夫ですよ。ガインの所には私が行ってきますので。ちゃんと温かくして眠っているように」

「……はい」


 ルーリアが作ったサンドイッチとグラスを二つ、それから酒瓶を数本カゴに入れ、「朝までには戻ります」と言って、エルシアは外へ出て行った。


「……えっと、何でお酒?」

「んふ。ガインには良い経験になるでしょう」


 フェルドラルが言うには夜のデートのようなもので、全く心配する必要はないらしい。


「大人って、いろいろあるんですね」

「父親心は複雑なのですよ」


 楽しそうにフェルドラルが言うから、きっと大丈夫なのだろう。ルーリアも深く考えずに、その日は眠りに就くことにした。


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