第138話 エーシャの正体


 さて、気を取り直して2回目の授業。

 ついに神のレシピを習う授業が始まる。

 よく見てみると、菓子学科の全生徒となる24名が、この午前の授業に参加していた。

 これは職人系の学科にはよくあることで、他の人の技術を見るため、自然と人が多い時間帯にまとまっていくそうだ。


 朝はどうなることかと心配していたけれど、今は変な目で見られることもない。結果として情報学科を襲撃して良かったと思う。

 写真のことを教えてくれたマリアーデにも改めて礼を言うと、少し頬を赤くした顔で「今度からは気をつけなさいませ」と、ツンとされた。


「菓子学科は教室が一つだけなのね。ねぇ、二人は友達同士でそろって最優秀に選ばれたの?」


 ルーリアの隣の席に座ったナキスルビアが尋ねる。


「はい、そうです。わたしが学園に通えるようになったのは、シャルティエのお蔭なんです」


 シャルティエのレシピで勉強したことを話し、自慢の友達であると伝える。

 ちなみにレシピのノートは試験が終わった後、お礼にロモアの種を添えて返した。

 最初は『こんな希少な種は受け取れない』と遠慮されたけど、今は花畑にまいても余るくらいある。それを伝えると、シャルティエは喜んで受け取ってくれた。


「私もルリのお蔭で課題のレシピを完成させることが出来たの」

「試験が終わるまでは一緒にお菓子作りが出来なかったんです。だから、これからが楽しみで」


 楽しそうに話すルーリアたちを見たナキスルビアは、少しだけ長いまつ毛を伏せた。


「仲が良いだけじゃなくて、お互い信頼し合っているのね。……羨ましいな」

「……あの……?」

「ううん、何でもないわ」


 そう呟くように返したナキスルビアは、気のせいか、何だか少しだけ寂しそうに見えた。

 そんな話をしていると、モップル先生とグレイスが教室に入ってくる。


「おはよう、諸君。今日からいよいよ本格的な授業の始まりじゃ。初めに何をするのか、人から聞いて知っている者もおるじゃろ。試験を無事に通過した諸君らなら、特に説明はいらんはずじゃ。では、行ってくるがよい」


 え。行くって、どこへ? そう思った瞬間。

 パッと目の前が明るくなったかと思うと、ルーリアたちは真っ白な空間に立っていた。教室にいた、みんなもいる。


『あー。みんな、おはよー』


 驚く間もなく、眠たそうな神の声が響いてきた。


『えーっと、今からみんなには過去の課題のお菓子を食べてもらうよー』


 突然の神の宣言にザワつく一同。

 今からお菓子を食べる?


『みんなも知っての通り、10年経ったレシピは公開されている。それはもちろん、その時に最優秀だったレシピなんだけど。それは課題の品に似ているだけだったり、今みたいに材料が豊富になかった時代の物もあるんだ』


 課題を出した当時、材料がなかったから、どうにかそれっぽく作っただけの菓子も多いと神は言う。


『課題と比べると未完成だけど、そのまま公開されているレシピも少なくないということなんだ。まぁそれはそれで、今ではこの世界のレシピになっているんだけどね』


 今回の試食は、昔の人たちが考えたレシピとは別に過去の課題について考え、今後の菓子作りに活かすように、とのことらしい。


『ここでは、どれだけ食べても満腹にはならないし、現実の身体に持って帰れるのは記憶だけだから』


 どれだけ食べても……。

 その言葉を聞いた瞬間、その場にいた全員の目付きが変わった。もちろん、ルーリアたちもだ。

『じゃ、頑張ってね』と神の声が響くと、生徒たちを囲むように、サクラの樹が現れた。


 白い空間に淡いピンクの花びらがよく映える。

 そのサクラの樹の下には、一つのテーブルにつき、一品ずつ菓子が載っていた。ものすごい数のテーブルだ。


 う、わあぁぁ~~~!

 あれ、もしかして全部お菓子!?

 ルーリアは心の中で嬉しい悲鳴を上げた。


『あ、そうそう。言い忘れてた。ここでの制限時間は、体感でいうと3時間くらいだから。んじゃ、スタート』


 3時間の食べ放題。

 神の声の気配が消えると、弾かれたように全員が一斉に動き出した。サクラの樹に向かって猛ダッシュだ。状況の呑み込めていないナキスルビアだけが、その場に取り残された。


「えッ? な、何? 何をするの?」

「サクラの樹の下のお菓子を、好きなだけ食べていいんですよー!」


 ルーリアは走りながら答えた。


「好きなだけ……」


 ゴクリ、とナキスルビアはノドを鳴らす。

 地面を蹴って一気に駆け抜け、ナキスルビアは誰よりも早くサクラの樹の下に辿り着いた。さすがは軍部所属だ。ルーリアは一番最後に到着となる。


「……はぁ……、はぁ……っ」


 どうせなら体力も減らないようにして欲しかった。久しぶりに走ったから辛い。どうやら、ここでは魔法が使えないらしい。

 息を整えて顔を上げると、目の前にはズラリと色とりどりのお菓子が並んでいた。


 ふぁぁぁ~~~。

 これが全部、食べ放題……!

 感動して言葉も出ないけど、ゆっくり眺めている場合ではない。ルーリアは一つずつ、名前を知っている菓子から食べていった。


 まずはクッキー、パイ、タルト。

 ルーリアが初めて食べたお菓子、その原型オリジナルだ。

 どれも今までに食べた物とは違う味だった。


 まずライル粉より香りにクセがない。

 ライル麦とは違う穀物を使っているようだ。

 そこにロモアの香りが強く出ている。

 なのに種は見当たらない。

 種を使わずにどうやって?

 精油にしたのだろうか?

 使われている木の実や果物も見たことがない物ばかりだった。

 コンフェイトはコンペイトウという名前が正しいらしい。


 他のお菓子も。名前が一緒でも、シャルティエのレシピで作った物とは違う物がたくさんあった。

 これからの授業では、これらを作って勉強していくようだ。


 これが、神のレシピ。

 ルーリアたちは時間いっぱいまで、真剣にお菓子と向き合った。……ナキスルビアを除いて。



「みんな戻ったようじゃな。今日の残り時間は、他の者と議論するも良し。黙々と一人で書き記すも良しじゃ」


 配られた紙に、今後の授業で作りたいと思った菓子の名前を書いていく。

 モップル先生とグレイスは椅子に座り、みんなからの質問を受けていた。あっという間に人が集まる。

 ルーリアたちは席に着いて話をすることにした。


「ルリはどのくらい食べた?」

「つい作り方を考えながら食べてしまって、そんなには……。シャルティエは?」

「私も。やっぱり考えちゃうよね」


 今日のような試食会は、3か月に一回くらいのペースであるらしい。次はもっと食べられるように頑張りたい。


「あんなにたくさんの種類のお菓子があるなんて、やっぱり都会ってすごいのね」


 ナキスルビアは食べることに夢中になり、菓子の名前はあまり覚えていないらしい。


「都会? ナキスルビアって、どこ出身なの?」

「私はロードスフィアっていう、氷に覆われた北東にある島国出身よ。何もない田舎なの」

「……しまぐに?」


 島国は四方が海に囲まれた国のことだと、シャルティエが教えてくれた。

 ミリクイードやダイアランのように、陸地で繋がっていないらしい。地面が離れて水に浮かんでいるなんて。不思議で堪らない。


「ロードスフィアはとても貧しい国なの。恥ずかしい話だけど、私は自分から望んで勇者パーティに入った訳じゃなくて、お金と引き換えに入ることになったのよ」


 苦笑いするナキスルビアに、ルーリアは驚いて息を呑む。


「…………え。お金と、引き換え?」

「ええ。元いたパーティメンバーが引退することを考えていたみたいで」


 その代わりを探していた時に、ちょうどナキスルビアを売買する話があったそうだ。だから仕方なくパーティにいるのだと、ナキスルビアは切ない顔をする。


「それって、家族や故郷から離れて……ですよね? お金と引き換えって、どうしてそんなひどいことに? ナキスルビアさんのお父さんやお母さんは怒らなかったんですか?」

「……残念だけど、一族で決まったことなの。家族も承知の上よ」

「そんな……」


 知らない土地で、知らない人たちと。

 家族から離れて、たった一人で。

 本人が望まない形で無理やりにだなんて……。


「あ、そんな顔しないで。これでも感謝はしてるのよ。本当なら勇者パーティじゃなくて、商人の所に行っていたはずだったんだから。もしそうなっていたら、私は今頃どうなっていたか……。それこそ想像もしたくないもの」

「……ナキスルビアさんは、家族と離れて……寂しく、ないんですか?」


 ルーリアは尋ねながら、自分の気持ちと重ねてしまった。もし自分が家族と離れ離れになり、知らない土地で一人きりだったら。

 ……そんなの、きっと耐えられない。


「あっ、ルリ」

「……──っ……」


 我慢しても、勝手に出てくる涙が止められなかった。ナキスルビアは人目から隠すように、ルーリアをマントの中に入れる。


「ごめんね、こんな話を聞かせてしまって。……ルリは優しい子なのね。泣かせるつもりはなかったんだけど」


 困った顔をするナキスルビアに、ロードスフィアの竜人族の身売り話は有名だから知っていると、シャルティエは話す。


「でもそれって、一個人が気軽に出せる金額じゃなかったはずだけど。その元いたパーティメンバーって、どんな人だったの?」

「どんな……。うーん。私も入れ代わるようにパーティに入ったから、あまり詳しくはなくて」


 ナキスルビアがパーティメンバーから聞いた話だと、婚姻してて子供がいて、魔法や魔術具使いの才能が飛び抜けているらしい。


「男の人?」

「いえ、女性だけど。とても綺麗な人で、私より少し年上かな? 黒い髪と黒い瞳で、名前はエーシャって言うの。いつも魔虫の蜂蜜を持ち歩いてたっていうから、たぶん裕福な家の人なんだと思うわ」

「魔虫の蜂蜜? 黒い髪で黒い瞳?……それって──」


 勘の良いシャルティエはチラリとルーリアを見る。


「んー、そうね。あと、ちょっとだけルリに似ているかな?」


 元勇者パーティで、黒い髪と瞳。

 …………それ。もしかしなくてもお母さん?


 ナキスルビアから出されたエーシャという女性の特徴は、疑いようもないくらい人族に変身したエルシアのものだった。


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