第134話 踏み出す覚悟を決めたのに


 各学科での初授業を終え、帰宅する。

 ルーリアは自分の部屋の机で、魔術具の紙を見つめていた。次の日に参加したい授業の申し込みをするための専用紙だ。

 菓子学科以外の授業を受けたい時は、前日までに希望を書いて届け出る必要があった。


 ……どうしようかな。


 ベッドの上では、セフェルが丸まって眠っている。ルーリアが学園に行っている間は、セフェルがミツバチの飼育と花畑の管理をしてくれていた。どうなるか心配していたけれど、ガインとも上手くやっているようだ。


「姫様。今日のレイドという者との会話は、姫様には影響が大きいものだったのではないですか?」


 テーブルで本を読んでいたフェルドラルから、そんな質問が投げかけられる。男嫌いのフェルドラルが男性の名前を覚えているなんて珍しい。


「初めて会った人なのに、不思議ですよね。こう……言葉がストン、て心の中に落ちてくる感じでした」

「気取らない者でしたので、姫様も話が合われたのかも知れませんわ。姫様にとっては良い出会いだったのではないでしょうか」


 その言葉も、ちょっと意外だった。

 てっきり『自分のことを他人に話すな』とか『知らない男に近付くな』とか、小言が飛んでくるかと思っていたのに。


「……わたし、明日は料理学科の授業に申し込んでみようかと思います」

「大丈夫なのですか? 授業の食材には、動物の死肉も並ぶと思いますが」


 フェルドラルは心配して眉を寄せたが、ルーリアはその言葉に眉を寄せた。

 死肉はないだろう。狂気的すぎる。


「その言い方だと怖いので、せめて『お肉』って言ってもらってもいいですか?」

「はぁ、それは構いませんが」


 決意を固め、料理学科への参加申し込みを書く。この紙は『紙ヒコーキ』と言い、人ではなく、決まった場所に届く魔術具なのだそうだ。行き先はもちろん学園だ。

 尖った三角形に紙ヒコーキを折り、投げるように飛ばす。壁を通り抜けるように、その姿はすうっと消えた。


「行ってみてダメだったら諦めます。何もしないで諦めるのは、後悔しそうなので」

「んふ。やはり親子ですわね」


 フェルドラルは目を細めてルーリアを眺めていたが、「では」と話を切り出す。


「ミルクと卵の話をいたしましょうか。エルシアには無理でしょうし、ガインに任せたら『まだ早い』などと言いそうですので」

「早い?」

「姫様は人の子がどのようにして生まれてくるか、ご存知ですか?」

「いいえ」


 そこから始まったフェルドラルの長い話は、ルーリアの想像を遥かに越えていた。

 これからの農業学科の授業でも、その話は必ず出てくるという。なんて言ったらいいか……その、生々しかった。



 ◇◇◇◇



 次の日。

 起きたばかりで、頭がぼんやりする。

 昨日は眠る直前まで、フェルドラルから「にゃあぁ!」と、叫びたくなるような話を聞かされていたから、今はそのことで頭がいっぱいだ。


 えーっ、と……。

 話が長かったから、ちゃんと覚えている自信はない。確か植物でも動物でも、仲良くなったもの同士が一緒にいると、子や種、実が出来る……だったような気がする。一緒にいて何をするんだっけ?

 まずい。フェルドラルが真剣に話してくれていたというのに、すでにうろ覚えだ。


 種が出来るのは、実がなる花の方。

 つまり、お母さん……って、あれ?

 種を作るのは、お父さんだったような?

 んん?? どっちがどっちか分からなくなってしまった。それにしても植物にも、お父さんとお母さんがいるなんて。知らなかった。……まぁ、いっか。


 フェルドラルとセフェルは、すでに部屋にいなかった。たぶん花畑に行っているのだろう。ルーリアは起きるのが遅いから、いつも置いてけぼりだ。

 大きく伸びをして窓の外を見ると、今日も良い天気だった。学園も晴れだといいな。


 あ、種で思い出した。今日はセフェルに花畑用の種を渡さないといけないんだった。

 ベッドから降り、机の引き出しから花の種が入った袋を取り出す。夏の花、スイリーケの種だ。これをまくのは久しぶりだ。


澄みし水に身を浸さんフィース・オ・ミューラ


 身体を水魔法で洗い、服を着替えてマントを着ける。学園に持っていく荷物を手にして一階に下りた。


 今日は珍しく、店のテーブルにガインとエルシアがいる。茶を飲んでいるようだから休憩中だろうか。二人は最近、井戸の近くに風呂を作る計画を立てていた。エルシアが欲しいと言ったらしい。


「お父さん、お母さん、おはようございます」

「おはよう、ルーリア」

「おはよう」


 フェルドラルの姿はない。もう少ししたら学園に行く時間だから、間もなく戻ってくるだろうけど。


「お父さん、ちょっと聞いてもいいですか?」

「ん? 何だ?」

「わたしは、お父さんとお母さんが何をして生まれたんですか?」


 かはっ! と、飲みかけの茶を吹き出し、ガインはゴホゴホと咳き込んだ。


「あ、朝っぱらから何だ、その質問は!?」

「昨日、フェルドラルから教えてもらったんです。お父さんとお母さんが一緒にいて、わたしが生まれたって。仲良くしてると子供が生まれるんですか? 生まれるって何ですか?」

「……あいつ。なんて中途半端なことを」


 期待の眼差しで答えを待つルーリアから目を逸らし、ガインは冷や汗を流す。助けを求めるようにエルシアを見たが、代わりに答える気はないようだった。


「ルーリアは今まで、ガインからどんなことを教えてもらっていたのですか?」


 エルシアが微笑んで尋ねると、ガインは「ウッ」と小さく息を呑んだ。エルシアは自分が留守にしていた間、二人がどんな会話をしていたか聞かせて欲しいと言うが、これといって思い当たるものがルーリアにはない。


「えっと……お父さんは家では無口でしたから、特には何も。わたしが外の世界に出てから、ちょっとずつ話すようになった感じです。それまでは挨拶をするとか、お客さんの来店予定の連絡くらいで……」


 去年の秋、ルーリアが森の奥で倒れるまで、ガインは自分から近付くことを避けていた。

 これは、ルーリアに怖がられていると思い込んでいたから仕方がないのだけど。


「ガーイーンー?」

「なっ、何で怒ってるんだ?」


 エルシアは笑顔を向けただけなのに、ガインには怒って見えるらしい。椅子に座っているのに後ずさるという、器用な動きをしている。


「どうしてルーリアに、いろいろ教えてあげなかったのですか? 私はちゃんとお願いしていったはずですよ?」

「いや、それは……」


 ガインは必死にエルシアをなだめる。

 ルーリアもガインから何か習ったことはなかったかと考えたけど、残念ながら何も思い浮かばなかった。ある意味すごいなと思う。

 そんなことをしていると、裏口の扉が開いた。


「にゃ! 姫様、起きた」

「おはようございます、姫様」


 セフェルは肉球型のポケットが付いたエプロンを身に着け、小さなバケツとスコップを手にしていた。すっかり花畑の管理人となっているようで、とても可愛らしい。

 フェルドラルはガインの代わりに、蜂避けとして付いて行ってくれていたようだ。

 ルーリアは二人に挨拶を済ませ、スイリーケの種をセフェルに渡した。


「これが前に話していた種です。教えたように畑にまいておいてください。学園から帰ったら、畑を見に行きますね」

「にゃ! まっかせて!」


 種の入った袋を受け取ると、セフェルは元気いっぱいに返事をした。


「姫様、今日から料理学科に参加されるのでしたら、先にシャルティエから話を聞いておかれた方が宜しいのではないでしょうか」

「あ、そうですね。じゃあ、今日は早めに行きますか」


 ルーリアが転移の魔術具を取り出すと、ガインは慌てて呼び止める。


「おい、フェルドラル! お前、何でルーリアにあんな余計な話を」

「さ、姫様。参りましょう」


 ガインの方を見もしないで、フェルドラルはルーリアの手を握った。大きな舌打ちが聞こえた気がするけど、聞かなかったことにする。ここでケンカが始まったら長くなりそうだ。


「えっと。い、行ってきます」

「行ってらっしゃい、ルーリア」

「気をつけて行くんだぞ。……フェルドラル、帰ったら話があるからな」

「わたくしは何もありませんわ」

「姫様、またあとでー」


 去年の今頃から考えると、信じられないくらい賑やかになったと思う。ふふっと笑い、ルーリアは学園前へと転移した。




 まずは、シャルティエから料理学科の話を聞こう。そう思って歩き出す。

 門を過ぎて園内に入り、転移装置に向かっていると、ふと、何とも言えない視線のようなものを感じた。


 ……? 何か……見られている?


 ジロジロというか。クスクスというか。

 なぜか周り人たちから、変に注目されている。


「……フェル。これって見られてますよね?」

「ええ。これは好奇の目、ですね。気に入りませんわ」


 自分たちに向けられている、嘲笑に似た空気。

 フェルドラルが周囲に鋭い視線を向けると、すぐに逸らされた感じはあった。……何なのだろう?

 とりあえず菓子学科の学舎まで移動した。

 けれど、そこでも周りの人たちは微妙な目でルーリアを見ている。


 ええっ。ここでも!?


 そんな目で見られる理由が分からない。

 シャルティエなら何か知っているかもと思ったけれど、まだ来ていないようだった。


 うぅ……っ。

 いったい何だというのだろう?


 落ち着かない気持ちで席に座っていると、カツカツと足音を響かせ、ルーリアの前まで歩いてくる人物がいた。

 ルーリアの前で立ち止まり、肩幅くらいに足を開いて腰に手を当てる。その女性は、しっかりと巻いてある金色の髪を片手で背に流し、赤ワイン色の瞳をルーリアに向けた。


 試験の時に『異議あり』と言った女性だ。

 その女性はビシッとルーリアを指差し、驚きの事実を告げた。


「ルリ。貴女、軍部の標的にされていますわよ」

「…………へっ?」


 軍部の……標的? なぜ?


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