第132話 動物から得る糧


 今は授業中だから歩いている人はまばらだった。人目がないから、ゆったりとした気分で散策が出来る。風がそよぐと、サクラの花びらがひらひらと通り過ぎていった。


 ああ、本当に綺麗……。


 夢のような景色に、空気までもほのかに香るような気がしてしまう。ミリクイードの家の周りには、こんなに花の咲く樹木はなかった。


「それにしても学園って広いですね」

「小さな町くらいはあるのではないでしょうか」


 大小様々な建物があり、大きな通り以外にも枝分かれした細い道がたくさんある。

 フェルドラルは地図を見なくても、学園中の道を覚えているという。すごい。


「先ほどいた政部の区域の奥には、法部の区域がございます。そちらには裁判学科がございますので、姫様はくれぐれも近付かれませんように」


 法部。ミンシェッド家の神官がいる所だ。

 昨日も今日も十分に気をつけるよう、ルーリアはエルシアから何度も言われていた。フェルドラルにも「分かりました」と頷いておく。


「……軍部の区域って、学園の一番奥にあるんですよね?」

「ええ、そうです。正門から大通りをまっすぐ北に行きますと大ホールがあります。そこを突き抜けて、さらに奥に進みますと闘技場がございます。その闘技場を含む周辺が軍部の区域ですわ」


 軍部の人たちには、入園式で転んだ時にアレを見られている。全力で近付かないようにしよう。そう決意を固め、ルーリアは拳を握る。


 そんなことをしながら歩いていると、通りから外れた鬱蒼うっそうとした木々の合間に、不思議な物を発見した。

 竜の鱗を貼りつけたような群青色の屋根が見える。それは学園で見た建物の、どの造りとも違っていた。そこだけ違和感のある雰囲気が漂う。


「あれは何でしょう?」

「何かの店のようですね。和風建築とは珍しい」

「わふー?」

「ああいった建物をそう呼ぶのです」


 竜の鱗のような物は瓦というそうだ。

 場所で言えば、大ホールの東側。

 そこの木陰にひっそりと隠れるように、小さな建物があった。店……なのだろうか?


「あれ? これ、入り口がないですね」


 白い壁に木枠とガラスで出来た窓はあるけれど、出入り口がどこにもない。窓の内側には白い紙のような物が貼られていて、中の様子を見ることは出来なかった。


「この建物自体に魔法が掛けられているようですわ。今は営業時間外なのではないでしょうか?」


 こんな隠れた場所にあるなんて。

 何の店なんだろう? また今度、来てみよう。

 気にはなるけれど、ひとまず次の授業に向かうことにした。初日から遅刻はしたくない。


 住部の区域に向かって歩いていくと、建物が並ぶ町並みから長閑な自然の風景へと景色は変わっていく。目の前には、見渡す限りの畑と森が広がっていた。


「わぁ、すごい」


 久しぶりに、けっこう歩いた気がする。

 住部の区域は話に聞いていた通り、川もあって自然豊かな場所だった。ミリクイードの風景にちょっと似ている。

 そんな自然の中に、木造の建物がぽつぽつと建っていた。一つ一つの距離が割と遠い。

 あれは全部、住部の学舎なのだろうか?

 広大な敷地のためか、転移装置も随所にあるようだった。


「んん? あそこに何かたくさんいるような……」


 遠くの木の柵で囲われた場所に、動いているものがいっぱいいる。あれは……動物?


「フェル、動物がたくさん捕まっています」

「あれは家畜ではないでしょうか?」

「かちく?」

「人の手で飼育されている動物のことです。もしかして姫様は畜産をご存知ないのですか?」

「ちくさん?」


 知らない言葉に首を傾げると、フェルドラルに微妙な顔をされた。何だろう、少し悔しい。


「姫様。ご自分が料理でお手に取られる食材くらいは、その出処を知っておかれた方が宜しいかと思いますわ」

「…………え?」


 食材の、出処……?

 動物を食材にしたことなんて一度もない。

 そう思って困惑していると、フェルドラルは意外な言葉を口にした。


「ミルクや卵は、動物から得る糧です」

「……動物から?」


 フェルドラルは何を言って……?


「もしや姫様はミルクを樹液か何か、卵を果実か木の実だとでも思ってらしたのですか? いくら何でもそれは──」

「……えっ。ち、違うん、ですか?」


 戸惑うルーリアの弱々しい声に、フェルドラルの表情は驚いたものに変わった。

 ルーリアはずっと、ミルクと卵は植物だと思い込んでいたのだ。


「……ち、ちょっと待ってください。じゃあ、わたしは。今まで、動物を食べて──」


 カクンと足の力が抜け、ルーリアは地面に両手をついた。頭の中でぐるぐると思いが渦巻き、上手く考えがまとまらない。


 知らない内に動物を食べていた!?

 動物を食べるということは、肉を食べていることと同じことで。肉を口にしていなくても、動物を……。だから、つまりそれは、動物の生命を奪って、食べて──。


「姫様、少し落ち着かれますように」


 フェルドラルは青ざめているルーリアの手を取り、その場に立たせた。ルーリアは言葉も出せずに小さく震えている。


「……このままですと、今後も同じことでお悩みになられるかも知れませんね」


 ルーリアの膝についた土を風で払い、フェルドラルは手を引いて歩き始めた。ルーリアは引かれるまま、力なく付いて行く。


「今でしたら時間もございます。ご自分の目で、直接ご覧になられるのが宜しいでしょう」

「…………」


 向かった先は、動物たちのいる柵だった。

 この感覚には覚えがある。流行り病の時、オルド村で二頭の鹿の所へ連れて行かれた時と同じだ。


 柵で囲われた場所に着くと、フェルドラルは大きな茶色い動物を一頭、側に呼び寄せた。

 鹿の何倍も大きな動物で、牛というそうだ。


「ミルクは、この動物の体液ですわ」

「体液? それって、血を、抜くということですか?」

「いいえ。血でもありますが、姫様のお考えになられているものではございません」


 フェルドラルが牛の下腹辺りを風で絞めると、ミルクがポタタとしたたり落ちた。


「……ケ、ケガじゃ、ないですよね?」

「牛は傷ついておりません。なぜ、ここからミルクを搾ることが出来るのかは、話が長くなりますので家に戻られてからにいたしましょう」

「……生命を奪って食べているという訳ではないのですね?」


 ルーリアは念を押すように尋ねる。


「ええ、それとは違います。分けてもらっていると言った方が宜しいかと思いますわ」


 その答えを聞いて、ルーリアは大きく息を吐いた。ホッとしたというよりは脱力した感じだ。


「では、次は卵ですが……」


 言いかけて、フェルドラルを少し眉を寄せる。


「これは、姫様のお考え次第ですわ」

「……わたしの……?」


 今度は屋根付きの細長い建物に向かった。

 鼻を突く匂いと、忙しそうに鳴く鳥の声。

 粉っぽい空気と、カサカサと枯れ草を踏む音。


「牛の所もですけど、独特な強い匂いがしますね」

「畜産とはそういうものですわ」


 柵で仕切られた場所に、茶色いモコモコした鳥がたくさんいた。両手で抱えるくらいの大きさで、不思議と飛んで逃げることはない。飛べないのだろうか? 鳥なのに?


 フェルドラルは鳥たちの様子を少し眺めた後、ルーリアに一羽の鳥を見ているように言った。

 じっと見ていると、その鳥の動きが止まる。

 やがて張り詰めた顔をして、苦しんでいるような声を出し始めた。どうしたらいいのか分からず、ハラハラして見守っていると、モコモコのお尻からコロンと卵が転がり落ちる。


「…………っえ。ええぇええ~~ッ!?」


 初めて見た、かなり衝撃的な場面だった。

 まさかそんな所から出てくるなんて。


「お、お尻から……っ!?」

「これが、卵です。こちらの説明も家に戻られてからにいたしましょう。もうじき次の授業時間となりますので」


 フェルドラルから追い立てられるように移動する。けれど、頭の中にはたくさんの『?』が浮かんだままだった。


 ミルクは体液。卵は……何だろう?

 生命を奪ってはいないけど、分けてもらって食べている? でも、それなら。どうして『考え次第』と言った時に、フェルドラルは難しそうな顔をしたのだろう?


 食材として用意してもらうミルクと卵は、いつも瓶や容器に入っていた。だからつい、果汁や木の実のように考えてしまっていたのだ。

 アーシェンが初めて土産に菓子をくれた時、ミルクと卵は平気かと聞いてきた理由がようやく分かった。


 と、そんなことを考えている内に、農業学科の学舎に辿り着く。横に長い木造の一階建てで、外壁は焦げ茶色の板張りになっていた。明るい赤い屋根は、緑豊かな自然の中にあると遠くからでも目を引く。

 学舎の近くを流れる川の側には、水車小屋と呼ばれる建物も数棟あった。


 中に入ると、天井も壁も床も綺麗な木目の板張りになっていて、木の良い香りがした。

 そこに20人くらいの生徒が集まっている。

 今年の農業学科の生徒は百人くらいいるそうで、そのほとんどが男性だという。今回の授業には女性が5名ほどいた。自分だけではなくて、ひとまずホッとする。


 今日の初めての授業では、エリオンの樹の植樹をするそうだ。これは住部では毎年恒例となっているらしい。

 一人一株ずつ苗木を手にして、森へと移動する。苗木は根の部分が土ごと荒い布で丸く縛られていて、持つとずっしりと重かった。

 今日植えた苗木は、4、50年後くらいに建築学科の授業で使うのだそうだ。何とも気の長い話である。


 自分の背丈より少しだけ低い、細い苗木。

 それを持ち、えっちらおっちらと林道を歩いていると、一人の男性に声をかけられた。


「苗木を引きずりそうで危なっかしいな。持ってやるから、貸してみろ」

「えっ、あ、あの……?」


 突然のことで返事にもたついていると、その男性はルーリアが持っていた苗木を掴み、自分の分と合わせて片手で軽々と肩に担いだ。


「オレの名前はレイドだ。よろしくな」


 焦げ茶色の髪に、蜂蜜色の瞳。

 180センチくらいの高い身長で、20歳くらいの人だった。たぶん人族だろう。


「あ、ありがとうございます。あの、わたしは」

「知ってる。菓子学科で最優秀を取ったルリだろ?」

「は、はい。……えっと、授業なのに持ってもらっていいんでしょうか?」

「構わないだろ。別に訓練とかじゃないし」


 レイドと名乗った男性は気にする様子もなく、森へ向かって歩き出す。ルーリアは慌てて後を追いかけた。


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