第131話 初めての授業
学園に通い始め、初めての授業となる2日目。
ルーリアとシャルティエは午前中、菓子学科の授業に参加していた。今日は試験課題で提出したシュークリームを、一人30個ずつ作ることになっている。
材料は学園側でそろえてくれていた。
驚いたことに粉や砂糖、バター、ミルク、水など、試験の時と全く同じ物が用意されている。ロモアの種もちゃんとあった。
どこの物を使って作ったかなど、材料について聞かれたことは一度もないのに。どうして分かったのだろう。
作り始めてすぐ、ルーリアの手元を見ている周りの真剣な目に気付いた。シャルティエも同じように見られている。
一緒に学ぶ友であり、敵でもある。
その言葉の意味が、少しだけ分かったような気がした。ここにいる人たちは、みんな職人なのだ。
「やっぱり同じ味だね」
「ですね」
外側の皮は香ばしく、それなのに中はもっちり。クリームもコクのある甘さで、とろけるような香りに頬が緩む。だけど、自分の作った物と同じ味だから素直に褒めにくい。
出来上がったシュークリームをシャルティエと食べ比べ、完成品をグレイスに預けて、その日は別れた。
午後からは経済学科と農業学科に行く予定だ。
どっちから行こうか迷ったけど、農業は体力を使うかも知れないから経済から行くことにした。疲れたら眠ってしまう自信がある。
経済学科のある政部の区域は、入園式に使った大ホールから見て西側にある。正門から見ると、敷地の左側部分の真ん中辺りだ。菓子学科のちょうど反対側となる。歩くとなると距離はあるが、これは最初だけだという。
学園内では魔術具による個人転移は禁止されている。けれど代わりに、園内に備えつけられている転移装置での移動は、誰でも自由に使えるようになっていた。好きな場所への転移ではなく、装置から装置への転移となる。
装置に付いている魔石に一度でも触れておけば、次からはそこに転移できる仕組みとなっているそうだ。
装置本体は円形の台座で、透明な筒に囲われている。屋根と扉つきだから雨の日でも安心だ。転移していきなりずぶ濡れ、なんてことにはならない。装置は門の横や学舎前などに設置されていた。
そんなことを考えながら歩いていると、経済学科の学舎に辿り着く。灰色の重々しい石造りの建物だ。
シャルティエには、ルーリアが思っているような所ではないと言われてしまったけれど。いったい、どんな所なのだろう?
シャルティエの言葉の意味は、学舎に入ってすぐに分かった。経済学科の学舎には、若者と女性がいないのだ。
一番年下に見えた男性でも4、50代くらい。
他は年老いた男性ばかりだ。
ルーリアは明らかに場違いと言えた。
うっ。ど、どうしよう……。
授業の申し込みを出してしまっているから、とりあえず教室に入る。けれど、どうしたらいいのか分からない。
後ろの方でキョロキョロと迷っていると、聞き覚えのある声で呼びかけられた。
「確か……ルリ、だったか。こんな所で何をしている?」
「えっ、セルさん? あれ? セルさんこそ、どうしてここに?」
軍部だったんじゃ……?
「呼び名に敬称はいらない。経済というものに興味があって来ただけだ。そちらは?」
「わたしもです。セルさんは軍事学科の人じゃなかったんですか?」
「所属はそうだ。特待、という訳ではないが、興味があれば自由に見て構わないと言われている」
自由に? それは……特待と言うのでは?
セルの後ろには執事のような服装をした、年配の男性が控えていた。付き添い人のラスであると紹介される。ルーリアもフェルドラルを紹介した。
入園式の時にも付き添い人を連れた者は何人かいたが、だいたいは人族の上級貴族なのだそうだ。セルもそうなのだろうか?
「ひとまず隣に座るといい。付き添い人を連れた者は、後部に座る暗黙の決まりがあるそうだ」
「え、そんな決まりがあったんですか。知りませんでした」
菓子学科は人数が少ないから気にしていなかった。というか、菓子学科で付き添いを連れているのはルーリアだけだが。
「そういえば昨日、転んでいたようだが……その、大丈夫だったか?」
少しだけ躊躇うようにセルが尋ねる。
まさか、アレを見られていたなんて!!
ルーリアは羞恥で顔が真っ赤になった。
「…………だ、だいじょぶ、です」
まだ授業は始まっていないけど帰りたい。
恥ずかしさのあまり、死んでしまうかと思った。
時間になり、授業が始まるかと思いきや。
経済学科の授業は、授業と呼べるものではなかった。すでに顔見知りと思われる者たちが30人くらい集まり、自由に立ち話をしている。
今日が授業の初日のはずなのに、菓子学科ではあった自己紹介などもない。もしかしたら挨拶は昨日の内に終わってしまっているのかも知れないが。
……というか、これが授業?
生徒と見られる老人たちが話しているのは、どこの国の何が不作で、とか。どこの地域で薬がどれだけ必要、とか。輸入と輸出が、関税が、といったよく分からない話ばかりだった。
失礼かも知れないが、先生がどの人なのかも分からない。いるのだろうか?
……うん。これはシャルティエが正解。
思ってたのと違う。
これは商人の話などではなく、もちろん授業でもなく。正真正銘、本物の国同士の取引の現場だった。なぜ学園でしているのかは謎だ。経済とは、国の経済のことだったのだ。
「……えっと、いろんな国の話をしているみたいですね。セルさんはこれを見に来たんですか?」
場違い感に耐えきれなくなり、思わず変な質問をしてしまう。経済学科がどんな場所か知らないで来てしまった仲間を増やしたかったのもある。セルはとても人が好いようで、律儀に答えを返してくれた。
「これと言われるほど明確なものを想定をして授業に臨んだ訳ではない。もしあの中に入って会話をしたいのであれば、国の財政の権限を何かしら持っていなければ話にならないだろうな」
「…………国の、財政……」
なぜ自分はここにいるのだろう。
どうして経済を選んでしまったのだろう。
何かもう、居た堪れなくなってきた。
「どうした? 望んだものと違ったのか?」
顔色が悪くなったルーリアを見かね、セルが優しく声をかける。ルーリアは今の気持ちを正直に話すことにした。
「……わたしは商人の話が聞けたらいいなって思って、ここに来ました。ウチはお店をしているので、少しでも勉強が出来たらいいなって。でも、想像していたのとは違ってて……」
ルーリアが俯いて答えると、セルは少し考え込む。
「それなら外に出るか?」
「えっ。でも、まだ始まったばかりで……」
「得る物がないのであれば、この場にいても意味はないだろう。それに経済とは言っても、していることはただの取引だ。こちらとしても有意義な時間を過ごしているとは言えない」
それって……一緒にここを出てくれるという意味だろうか?
「あの、セルさん、わたし……」
「敬称は不要だと伝えたはずだ」
男性を呼び捨てにするなんて、人生初だ。
ルーリアは緊張で耳が赤くなった。
「え、っと……セル、も、ここを出るってことでいいんでしょうか?」
「一人では出て行きにくいのだろう? それに、こちらも元から長居するつもりはなかっただけのことだ」
「あ、ありがとうございます」
何となくだけど、セルが気を遣ってくれているような気がした。話し方はちょっと硬いけど、ものすごく面倒見の良い人のような。
始まってからほんの少ししか時間は経っていないが、ルーリアたちは教室から抜け出した。
今後の授業の参加予定から経済学科の名前が消える。ここは、ない。
さて、これからどうしよう。
「セルさ……」
うっかり敬称をつけてしまいそうになり、ジロッと見られてしまう。いけない、いけない。
「……セル、あの、ありがとうございました。でも本当に良かったんですか?」
「何がだ?」
「いえ、その、授業を抜け出してしまって……」
「構わないだろう。あの場にいた者たちも、こちらに気付いているようには見えなかった。それより、先ほど店を経営していると言っていたな」
店? ウチの蜂蜜屋のことだろうか。
「えっと、はい」
「そちらの方が興味を
ええっ!? そ、それは困る。
「あの、ごめんなさい。その……お店のことは詳しくは話せなくて」
困った顔でそう伝えると、セルはすぐに話を引いてくれた。
「なるほど。企業秘密というものか。商いであれば、よくある話だ。それなら無理に聞く訳にはいかないな。不躾で済まなかった」
「い、いえ。こちらこそ、すみません」
セルは紳士的で、本当に良い人だった。
一緒に教室から連れ出してくれたのに、何も話せなくて申し訳ない気持ちになる。
「では、私は失礼するとしよう」
「はい、ありがとうございました」
「この先、足元には気をつけるように」
「……は、はい。そう、します」
去り際に心配してくれたセルに、ルーリアは苦笑いを返した。こちらを振り返ることもなく去って行くセルを見て、隣に立つフェルドラルが眉を寄せる。
「姫様、あの者……」
「……え?」
フェルドラルが見つめる先に目を向けると、風の跡がどこにもなかった。確か人族は風を見ることが出来なかったはずだ。
「これは……セルさんが人族ではないということですか?」
「いいえ、そうとは言いきれません。戦闘に長けた者であれば、気配や痕跡を消すくらいは容易いでしょう。或いは……強大な魔力の持ち主か。姫様は人を疑われることを嫌っておいでですが、油断はされない方が宜しいかと思いますわ」
「……わ、分かりました」
悪い人に見えなくても、用心しないといけないなんて。外の世界で生活するのは、思っていたより難しい。
しかし思わぬ形で次の授業まで時間が空いてしまった。ここから住部の区域までは、それなりに距離がある。ルーリアは景色を楽しみながら、のんびりと散歩をすることにした。
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