第130話 嬉し恥ずかし入園式


 入園式が行われる『大ホール』は、学園の中心部にある巨大な建造物だ。円筒型の建物で、天井部分が半球状の透明なガラスに覆われている。

 そこには2千人ほど収容できるらしいけど、それだけ生徒がいるということなのだろうか?

 まさか、とルーリアは顔色を悪くする。


 その答えは、大ホールに着いてすぐに判明した。建物の中は、どこを見ても白いマントで溢れ返っている。


 うあぁっ! め、めちゃくちゃ人がいる!!

 大勢の人が密集している様子にルーリアは固まった。


 聞けば、今年は全学部の生徒数を合わせると、千2百人を超えているらしい。中でも軍部が圧倒的に多く、4百人以上いるそうだ。全生徒の3分の1が軍部ということになる。

 それだけの人が一つの建物内に集まっていると聞いただけで、ルーリアは逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。


 はわゎ……む、無理……。

 ガクガクと膝が震える。


 けれど逃げるには手遅れで、周りの人たちが次々と座席に着く中、ルーリアも押されるように座ることになる。シャルティエが隣にいることだけが救いだ。フェルドラルは付き添いだから別席となっていた。こんなにも多くの人が毎日学園に通うのかと思うと、早くも気が遠くなる。


 ホール内に目を向けると、楕円形の舞台から扇状に座席は広がっていた。緩く段差がついているから、どの席からでも舞台の上が見やすくなっている。

 二階席もあるそうだけど、そちらは今日は貴賓席となっていた。ダイアランの王族や貴族が来ているらしい。


 食部の座席はホールの後方にあった。

 席に着いて少しすると、ホールの中の照明が薄暗くなる。まだ少しザワつきがある中で、入園式は始まった。


『みんな、今日は入園おめでとう』


 唐突に神の声が響くと、一瞬だけザワッと声が上がり、その後は息をするのも気を遣うほど、シン……と静まり返った。


『あはは、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。ボクはこういった式とかの長ったるい話が好きじゃないんだ。簡単に済ませたいんだけど、それでいいかな?』


 前方の軍部の座席から、「誰だ?」「え、子供?」といった戸惑う声が聞こえてくる。


『あー、知らない人もいるのか。ボクが神だよ。これから1年間よろしくね』


 何とも軽い自己紹介に、ホールのあちこちからどよめきが起こる。


『今年は勇者が入園するって聞いてたから、生徒代表の挨拶でもさせようかと思ってたのに。勘が良いというか、肝心の勇者が逃げ……コホン。あー、勇者がどうしても魔物退治の方が大事だって言って帰ってこなくてねー』


 …………神様。


 今、勇者が逃げたって言いかけたような。

 それでもホールからは「さすがは勇者」「武人のかがみですな」といった謎のフォローが入る。


『まぁ、そんな訳だから、誰かに代役を頼みたいんだけど──……』


『誰にしようかな~』と、神が呟く。

 勇者の代わりなのだから、当然、軍部から選ばれるのだろう。一瞬にして前方にいる者たちに緊張が走った。


『じゃあ、セル。キミがやってよ。勇者の代わりだったら、キミが適任だ』


 神の声と共に、視線が一箇所に集中する。


「…………は?」


 そんな戸惑いの声をホールに響かせたのは、ルーリアがつまずいた時に支えてくれた、白金プラチナ色の髪で深緑色の瞳のあの男性だった。

 各部の女性たちからは、「やだ、格好良い!」「軍部にあんな素敵な人がいるの!?」「綺麗な顔~」といった歓声が上がる。


「代役が必要な理由は分かった。だが、辞退したい。他を当たってもらえないか」


 突然の指名に、セルと呼ばれた男性はすげなく返す。神の指名を断るとは。ある意味、勇者だ。


『あはは、そんなに構えないでよ。挨拶って言っても原稿を読んでもらうだけだし。今回のは借りでいいから、頼んだよ』

「なっ……」


 一方的に押し切られた形で壇上に登ることになったセルは、学園の関係者から書状を渡され、諦めた顔で声を拡張する魔術具の前に立った。


「……申し訳ないが、挨拶と言われてもこの様な場の作法を知らない。ただ書状を読むだけになるが、容認して欲しい」


 ホールの中は、真面目そうなセルに同情する空気で満たされた。いきなり神から無茶ぶりされるなんて、怖すぎる。

 カサッと書状を開き、セルは文を読み上げていった。


「この学園は創立以来、多くの者を受け入れ、育て、輩出してきた。多種多様の者が互いに競い、高め合う姿こそ学園の目指すところである。おこたる者は、本気の者の前では無力と知れ。全力を尽くすために、死力を絞れ。勇者が在籍する年は、必ずと言っていいほど波乱に満ちる。楽しみにすると同時に覚悟するがいい。今年はその、勇者がいる年だ……?」


 とても短い挨拶文(?)だった。

 宣戦布告とも取れるような内容に、「これ、挨拶か?」と、ホール内がザワつく。

 読み上げるセルの声も、文の終わりには疑問形に変わっていた。


「……これを勇者に読ませようとしたのか」


 セルが困惑の色を浮かべる。


『あはは。セル、ありがとう。ボクが言うよりも生徒に読ませた方が面白いと思ったのさ。いやぁ、勇者がいなくて本当に残念だよ』


 神は満足したようだった。

 勇者が逃げた理由が何となく分かったような気がする。


『この学園は学びの場だけど、戦場でもある。周りの人たちは友であり、同時に敵でもあるんだ。みんな、互いに高め合って頑張ってね』


 その後は、各部の先生たちの紹介や挨拶、学園全体での決まり事や注意などがあった。

 もう少しで式も終わるかな、と思っていたその時。


『じゃあ最後に、今年の創部と食部の最優秀者を紹介しよう。選ばれた人は壇上に集まってくれるかな』


 ………………え。


 ルーリアは瞬時に青ざめた。

 呆然としている内にシャルティエに手を引かれ、いつの間にか壇上に登ってしまう。


 ひ、ひいぃぃ~っ! ひ、人の目が……っ!


 当然のことながら、視線の集中砲火を浴びる。

 壇上では一人一人に照明が当てられ、心臓がバクバクと破裂しそうになった。止めどなく滝のような汗が流れていく。


『じゃあ簡単にでいいから、一人ずつ自己紹介をよろしく』


 壇上には五人並んでいた。

 順番でいうと、ルーリアが最後のようだ。


「鍛冶学科のドルミナです」

「木工のラウディだ」

「料理学科のマリウスです」

「菓子学科のシャルティエです」

「か、菓子学科のルリです」


 ちょっと噛みかけたけど、何とか言えた。


『今年は菓子学科で課題とほぼ同じ物を作った者が二名いたから、二人とも最優秀に選んだよ。あと、この五人は他の学科にも顔を出すと思うから、みんなよろしくね。ちなみに今年の生徒ではルリが最年少だ。もしいじめるヤツがいたら、軍部の標的ターゲットにするから。そのつもりでいてね』


 そんな命知らずはいないだろう、とホール中から笑いが漏れる。


 ひ、ひあぁっ!!

 い、今、神様に名前を呼ばれた!?

 ルーリアは緊張のあまり、完全に気が動転していた。


『もう席に戻ってもいいよ』


 そう神から降壇を促されたまでは良かった。

 しかし、極度の緊張と神から名前を呼ばれたことで気持ちが焦り過ぎたルーリアは、ホール中の視線が集まる中、壇上から下りる時に階段を踏み外してしまう。

「ゔにゃっ」と叫んだ後、派手に転げ落ち、ズベシッと全身で床に倒れ込んだ。


「~~……っ」

「わっ! ルリ、大丈……ぶ……」

「……ぃったたたぁ…………え?」


 シャルティエが視線を固定して動きを止める。

 ルーリアも同じ方向に視線を向けた。

 すると──、


 なんと、パンツが丸見えになっていた。


「「「おおぉおおおおッ!!!」」」


 ホール中に響く、野太い男たちの声。


「ッにゃぁああぁぁ~~~~ッッ!!」


 ルーリアは絶叫した。

 無意識に風をまとい、全力でホールを飛び出す。そしてそのまま、全速力で逃げた。



 ◇◇◇◇



 どうやって自分がそこまで移動したのか、全く覚えていない。

 気がついたら、ルーリアは一人。

 菓子学科の学舎近くの小川のほとりで、ひらひらと舞うサクラを膝を抱えて眺めていた。


「………………」


 あれは、夢だ。きっと、悪い夢……。


「姫様、こんな所にいらしたのですか」


 混乱すると道に迷われないのですね、と呟きながら、フェルドラルがルーリアの前に膝を突く。

 あの後、ホールは大変な騒ぎになったらしい。


「……うぅっ……」


 残念ながら夢ではなかった。

 涙が浮かんだ瞳で、ルーリアは小川を見つめる。


「さすがの姫様も、少しは恥じらいの大切さをお分かりになられたのではないですか」

「……わ、わたしは。明日から、どんな顔をして学園に通えば……」


 もう恥ずかしくて消えてしまいたい。


「人から姫様の記憶を抜くことは、わたくしにも出来ません。もし何か言ってくる者がいましたら、その時は物理的に記憶を奪えば宜しいのでは?」

「……え? 物理的?」


 何か良い方法が……?


「頭ごと吹き飛ばして──」

「ダ、ダメですよ! なにサラッと怖いことを言っているんですか」


 フェルドラルの意見は参考にならない。


「シャ、シャルティエは? 何か言っていましたか?」

「笑っていましたわ。とても良い笑顔で」


 くぅ……っ!


「姫様がお気になされるほど、周りはその瞬間を見ていなかったのではないでしょうか。騒ぎになっていたのは、むしろ……」

「……むしろ?」

「姫様がホールを飛び出す際に使われていた、魔法の方だと思われますわ」

「…………魔法?」


 何でも軍部の先生たちが、あの生徒は菓子学科じゃなく軍事学科に来るべきだと、グレイスに詰めかけたらしい。そんなの嫌すぎる。


「食部の座席は後方でしたので、あの瞬間を見た者は少ないと思いますわ。見たのは前列にいた軍部の者くらいかと」

「…………そう、ですか」


 それならまだ大丈夫かも。

 全然、良くはないけど。

 学舎に戻って少し経つと、他の生徒たちも教室に戻ってきた。


「……くふっ」


 シャルティエはルーリアの顔を見るなり、口元に手を当てる。


「わ、笑わないでくださいっ!」

「ぷぷっ、無理だよ。さっすがルリ。いきなりやってくれるなぁって思って」

「や、やりたくてやった訳じゃないですよ!」


 けれど、そのことで笑っているのはシャルティエだけだった。フェルドラルが言っていたように、後方の席にいた人には見えていなかったようだ。ひとまずホッとする。


 ホールから戻ったモップル先生とグレイスが教室に入ってきた。


「あー、明日の初めての授業じゃが、皆には試験課題のシュークリームを作ってもらおうと思っておる。毎年恒例じゃが、互いの実力を知るには、これが一番手っ取り早いんじゃ」


 これは自己紹介の意味も兼ねているらしい。

 他の人がどんなシュークリームを作ったのか、すごく気になる。

 作った物はグレイスが管理してくれるそうだ。

 いつでも好きな時に食べに来ていいらしい。


 そういえば、神々はあの短時間でどうやって全員分の試食をしたのだろう? 受験する人の数だけのシュークリームだ。しかも他の日には料理学科の試験もあっただろうし。

 すごいけど大変そうだと思ってしまった。


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