第2部・菓子学科のルリ

第9章・学園生活の始まり

第129話 いざ学園へ


 ぽかぽかとした春の陽気が、ルーリアの足取りを軽くする。今日は学園の入園式の日だ。


 金色の部紋が輝く白いマントを身に着け、ルーリアはフェルドラルと学園の門前に立った。

 重厚な音を響かせ、門が左右に開いていく。

 そこから一歩足を踏み出せば、今日から学園での新しい生活が始まる。


 ……つ、ついに来てしまいました、学園。

 いったい、どんな所なんでしょう?


 ルーリアはソワソワしながら敷地の景色を眺めた。すると、どこからともなく淡いピンクの花びらが舞い降りてくる。ひらひらと、風がそよぐ度に淡雪のように降ってきた。


「わぁぁ~、綺麗……。これ、何の花びらでしょう? すごく綺麗ですね」

「これは……桜、ですわ」


 フェルドラルが懐かしむように目を細める。


「サクラ?」

「……あ、いえ。この世界での呼び名は違うかも知れません。恐らくですが、神が創って地上に置いた樹木だと思いますわ」

「神様が……」


 フェルドラルはたまに、ここではないどこか別の場所の話をする。フェルドラル自身が、見たことのない文字の魔法陣で創られているのだから、それはたぶん神の住む天上界の話なのだとルーリアは思っていた。


 門からまっすぐに延びる石畳の大通り。

 そこをしばらく進むと、淡いピンク色の並木が目の前に広がった。ずっと奥の方まで続いていて、見渡す限りが淡いピンク一色に染まっている。こんな綺麗な景色は今まで見たことがなかった。


「わあぁぁ……」


 サァッと風が通り過ぎると、花びらが吹雪のように舞い上がる。周りを歩いていた人たちも足を止め、その美しい光景に見とれているようだった。


 今日は入園式だから、学園の中にはたくさんの人がいる。少しずつではあるけれど、ルーリアは大勢の人を見ることに慣れてきていた。

 とは言っても、創食祭と比べればマシというだけで、苦手なことに変わりはない。


 食部の菓子学科の学舎は、門から入って右手にある小川に沿って進んだ先にある。

 小さくても学園の中に川があるなんて。

 ルーリアは目を輝かせて川沿いを歩いた。

 前に川を見た時は、初めて外の世界に出たことで不安しかなくて、ゆっくり眺める余裕なんてなかった。


 すごい! 水面がキラキラしてて、水がずっと流れている。どうして地面に水が染み込んでいかないんだろう?


 水の流れを追いかけ、淡い花びらが舞う空を見上げ。浮かれて歩いていたルーリアは、降り注ぐ花びらに夢中になり、つい石畳につまずいてしまった。


「わっ!」


 転ぶ! そう思った瞬間。

 誰かが片腕で身体を受け止め、支えてくれたのが分かった。直後に穏やかな声がかけられる。


「──もう少し、足元を見た方がいい」

「あ、すっ、すみません。ありがとうございます」


 ルーリアが慌てて顔を上げると、白金プラチナ色の長い髪を後ろで一つに束ね、サラリとした前髪から森を映したような深緑色の瞳を覗かせる、綺麗な顔の男性がいた。

 色合いだけで言えば、人族に変身した時のガインと一緒だ。品の良い騎士のような黒の装いで、腰には金色の魔石が輝く立派な黒剣を帯びている。歳や身長なんかは、ユヒムと同じくらいに見えた。マントの部紋は軍部のものだ。


「姫様、おケガはありませんか?」


 少し離れて付いて来ていたフェルドラルが側に寄ると、その男性はすぐにその場を後にした。


「わたしは大丈夫です。助けてもらいましたから」

「余所見をなさるからですわ。つまずきやすい道ですので、お気をつけください」



 菓子学科の学舎に辿り着くと、入り口にシャルティエが立っていた。ルーリアが来るのを待っていてくれたようだ。


「ルリ、おはよう。フェルさん、おはようございます。ちゃんと無事に着けたね」

「おはよう、シャルティエ。フェルがいるから大丈夫ですよ。それにしても、この淡いピンクの花の並木。とっても綺麗ですね」


 菓子学科の学舎の周りにも、華やかな景色は続いていた。地面に散った花びらも、風と踊っているようにくるくると転がる。


 ちなみに、フェルドラルは学園にいる間は『フェル』と呼ぶことになっている。学園にはミンシェッドの神官がいるから、念のためだ。エルシアから言われるまで、ミンシェッド家の家宝だということを、すっかり忘れていた。


「ちょうど今が満開だね。これは『サクラ』って言うんだよ。学園名物の一つだね」

「サクラ……」


 フェルドラルが呼んでいた名前と同じだった。

 神が創った樹木で間違いないようだ。


「さ、早く中に入ろう。ルリが来てから一緒に見て回ろうと思って、まだ見ていないの」

「そうだったんですか。待たせてしまってごめんなさい」


 菓子学科の学舎は、料理学科の学舎と隣合って建っていた。どちらの建物も真っ白な壁で二階建てだ。中は同じような造りになっていて、一階が調理室、二階が教室となっている。

 この二つの学舎の建つ場所が食部の区域で、さらに奥の方には住部の広大な畑と森が広がっているらしい。住部には建築と農業の二つの学科がある。

 食部と住部には、他の学部と違って交流や繋がりがあるそうだ。農業学科で作られる農作物を、料理や菓子作りに使うことが多いらしい。


 んー……。農業学科と料理学科かぁ。


「ルリはどの学科の授業を受けるか決めた?」

「一応、決めたと言えば決めたような……」

「やっぱり料理は無理そう?」


 ルーリアとシャルティエは最優秀に選ばれたから、他の学科の授業を自由に受けることが出来る。シャルティエは菓子作りに役立つから……と、料理学科の授業を受けると最初から決めていた。

 ルーリアも誘われてはいたが、未だに肉を見ることが出来ない。とてもじゃないが、無理だろう。


「……うん。まだ、ちょっと……」

「そっかぁ。残念だけど、無理には勧められないからね。で、ルリはどこにするの?」

「経済と農業に行ってみようかと思っています」

「ええっ! 経済? 何でまたそんな渋いとこに?」

「えっ、渋い? 商いのお話を聞くなら、経済かなって思ったんですけど?」

「うーん。たぶん、経済学科はルリが思っているような所じゃないと思うよ」


 あれ? 経済って、商人が集まる学科じゃないの? もしかして……間違えた?


「えっ、と……もう初日の授業の希望、出しちゃったんですけど」

「んー。じゃあ、とりあえず行ってみて、違うって思ったら行くのを止めればいいと思うよ。あくまでルリの在籍は菓子学科なんだから。他はいつでも自由に変更できるみたいだし」

「そうですね。行ってみてダメだったら、そうします」


 そして、ひと通り調理室を覗いた後。

 ルーリアたちが二階の教室に入ると、そこには20人くらいの生徒が集まっていた。

 ざっと見たところ、ルーリアより年下そうな者はおらず、一番年上に見えるのは4、50代くらいの男性だ。ほとんどが人族のようだ。


 フィゼーレに確認したところ、ルーリアの学園での年齢は12歳となっていた。それを聞いた時、ルーリアは思わずフィゼーレを三度見した。


「あの。おはよう、ルリ、シャルティエ」


 見覚えのある20代くらいの女性が声をかけてきた。茶色い髪を後ろで結い上げ、落ち着いた雰囲気で焦げ茶色の瞳をしている。どこで会った人だったろう?


「えっ、と、おはようございます、その……」

「おはよう」


 挨拶をしながら、シャルティエが右手を左胸に添える。手の平を内側にしたこのポーズは、『あなたの名前を教えて』という、学園の中だけで通用する特別な合図だ。この合図をされた者は、同じように左胸に右手を添えて名乗る決まりとなっている。


「私はエイナよ」

「おはよう、エイナ」

「おはようございます、エイナさ」

「ルリ」

「あ……エ、エイナ」


 そうだった。敬称は使用禁止だった。

 知らない人を呼び捨てにするなんて、難し過ぎる。


 エイナはクスッと笑うと、簡単に自己紹介をしてくれた。ダイアランの平民出身の人族で、試験の日にシュークリームの箱を潰された被害者の一人だという。見覚えがあるのは、そのためだった。

 あの後、女神は被害者たちのシュークリームを、潰される前の状態で審査してくれたらしい。実はそのことが気になっていたから、話を聞いてルーリアはホッとした。


「その時に、ルリが犯人を捕まえてくれたって聞いたの。本当にありがとう、ルリ」

「い、いえ。わたしは大したことはしていません。最終的に捕まえたのは軍事学科の人たちですし……」

「それにしても、二人ともすごいわね。そろって神様のレシピに選ばれるなんて」

「そのために小さい頃からお菓子作りを頑張ってきたんだから、当然よ」


 シャルティエは自信たっぷりに胸を張る。

 そんな感じで話をしていると、他の人たちも会話に入ってきた。いきなり質問攻めを受けてしまう。


「ねえ、二人はいくつなの?」

「どこから来てるの? この近く?」

「そっちの人は誰? お姉さん?」

「お菓子で何が一番好き?」


「え? え?」とルーリアがたじろぐ横で、笑顔のシャルティエは順に答えていく。


「私は14で、ルリが12歳。家は近くで、フェルさんはルリの付き添い人。お菓子は焼き菓子だったら、割と何でも好きかな。ルリは──」

「あ、わたしはシャルティエの作るタルトが一番好きです」

「だ、そうよ」

「「おぉ~~……」」


 その「おぉ~」は何なのだろう?

 一度にたくさん人と話すのは初めてだから、ルーリアは緊張した。


 そうこうしている内に、グレイスが教室に入ってくる。そのグレイスの隣を、謎の生き物が並んで歩いていた。もふもふで白い毛の塊だ。


「皆さん、おはようございます。皆さんが明日から、お菓子作りを習うことになる先生をご紹介します。こちらが菓子学科を担当される、モップル先生です」


 グレイスが紹介すると、謎の白いもふもふは教壇に移動する。毛の塊から小さな手足がにゅっと飛び出し、長い毛を撫でつけながら帽子を被ると、いつの間にか小さな人の型になっていた。


「あー、ワシが菓子学科担当のモップルじゃ。見ての通り小人じゃが、菓子作りならお前さんたち手足の長い種族にも負けはせん。明日からみっちり教えてやるから覚悟しておくんじゃな」

「「はい」」


 ……せ、先生だったんだ。


「では、これから皆さんには大ホールに移動して入園式に参加してもらいます。他の学部の生徒も一堂に会することになりますので、はぐれないようにしてくださいね」


 グレイスはルーリアに目を向け、にっこり微笑んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る