閑話5・ひと雫の蜜―前


 人族の王が治める国・ダイアランは、この世界で初めて勇者が誕生した歴史ある国だ。

 地図で見れば、魔族領・ヴィルデスドールに次ぐ世界で2番目に大きな国である。

 その首都・ダイアグラムは、世界で最も人口が多い大都市だ。世界中のあらゆる物が流通し、国の中枢を貴族社会が占めている。


 その大都会にあるタルト専門店・セルトタージュのオーナーの娘、シャルティエ・セルトは人族で14歳。魔力を持たない、ごくごく普通の女の子で、得意なことは『菓子作り』。

 将来の夢は、この国で一番の菓子職人になること。


 父親の店であるセルトタージュはダイアラン国内に七店舗あり、本店を含む六店舗がダイアグラムにある。

 今のような人気店となったのは、父親が神のレシピの課題に挑戦してタルトの権利を獲得してからだ。

 その時から店は急成長し、シャルティエたち家族の生活は一変することとなった。それまでは楽な暮らしをしているとは、とても言えない日々を送っていた。


 シャルティエの家は、祖母、父、母、妹の五人家族。祖母は少し前に「故郷の方がのんびりしていて暮らしやすい」と、一人で田舎に帰ってしまった。だから今は四人暮らしだ。

 セルトタージュは亡くなった祖父が開いた店で、元はダイアグラムの片隅にある、小さな焼き菓子店だった。


 菓子を作って並べても、誕生日とか特別な日でもない限り、わざわざ買いに来る人もいないような地域にある店だ。

 周りは暮らしに余裕があるとは言い難い家庭ばかりで、シャルティエの家もそんな中の一つだった。


 そんな場所にある店は、当然、日々の売れ行きなど良いはずもなく。借金はなかったけど、店の経営はいつもギリギリだった。

 いろんなことを我慢して切り詰め、やっと暮らしているような毎日。祖母は息子である父に「職を変えたらどうか」と、何度も話をしていた。口ゲンカになることも少なくない。


 今になって思えば、あれは妻と幼い子供二人──家族を抱えた息子を心配した、祖母なりの愛情だったのだろう。

 でも、まだ小さかったシャルティエには、家族が金の話で揉めているようにしか見えなかった。


 金、金、金、金……。


 それさえあれば、家族は幸せになれるのだろうか? 父と祖母は言い合いをしなくて済むのだろうか?


 幼いながらも、そんなことをぼんやり考える。

 父は祖父と祖母が作った店を守るため、そして家族を養うために、朝から晩まで一生懸命に働いていた。



 シャルティエは父親の仕事が大好きだった。

 甘い菓子を作り、たくさんの人々を笑顔にする仕事。


 そう、『菓子職人』だ。


 亡くなった祖父から教わった焼き菓子のレシピを守り、さらに美味しい菓子を作るために努力を重ねていく。シャルティエの父親はとても真面目で、仕事熱心な男だった。


 シャルティエと妹のルナエは、そんな父親の作る焼き菓子が大好きだった。

 都市の中心街で持てはやされている有名店の菓子よりも、父親の作る菓子の方が何倍も美味しいと思っている。

 それなのに、どうしてみんなはそれに気付いてくれないのだろう?


 その頃のシャルティエは、どんなに美味しくて素晴らしい菓子でも、まず知ってもらえなければ人は手に取ることもないのだと感じ始めていた。



 そんな冬のある日、店の外壁に大きな一枚の紙が貼り出される。『創食祭』のポスターだ。

 この都市にある店には、年末のこの時期になると祭りのポスターが配られ、どの店も外壁に貼ることになっている。


 毎年恒例だから祭りがあることは知っていたけど、『人が多くて、うるさい花火の日』くらいにしかシャルティエは思っていなかった。会場に行ったこともなかったし、祭りがどんなものなのか、その内容も全く知らなかった。


「ねぇ、お父さん。これって何のお祭りなの?」


 シャルティエが珍しく菓子以外のことに興味を持つと、父親は優しく教えてくれた。


「これは神様のレシピの課題が発表されるお祭りだよ。その課題の料理やお菓子を作って、みんなで競い合うんだ。学園に入るための試験なんだけど、選ばれた人は料理人でも菓子職人でも、たちまち有名人になってしまう、そんなお祭りなんだよ」


 知らなかった。たくさんの人に自分を知ってもらう、そんな方法があるなんて。それに、菓子作りの腕を競うための祭りだったとは。


「これって私でも参加できるの?」

「ああ、もちろんだよ。だけどシャルティエはまだ小さいから、試験を受けるなら、もっとお菓子の勉強をしてからじゃないとね」


 今の自分じゃダメなのか。

 それなら、とシャルティエは目を光らせる。


「じゃあ、お父さんが参加して! ね、お願い!」

「どうしたんだい、急に?」


 突然のシャルティエのお願いに、父親は戸惑った顔になる。


「ううん、急じゃないの。ずっと考えてたの。どうしたらお父さんのお菓子を、もっとたくさんの人に食べてもらえるんだろうって。お父さんのお菓子は美味しいんだから、一度食べてもらえたら、きっとまた食べたくなってもらえるよ。私はお父さんのお菓子を、もっとたくさんの人に知ってもらいたいの!」


 シャルティエは今までずっと考えてきたことを、全部、父親に打ち明けた。

 父親の作った菓子をみんなに食べてもらいたい。そのためには、まずは知ってもらう必要があるのだと。


「…………シャルティエ」



 そして、その年末。


 シャルティエは生まれて初めて創食祭に参加した。尊敬する父親と一緒に。

 祭りの熱に浮かれた周りの者たちとは違い、会場に向かうシャルティエたちの表情は真剣そのものだった。


 その年の神のレシピの課題は『タルト』。


 シャルティエの父親が『神のレシピに挑戦する』と家族に告げたのは、祭りに参加してから一週間ほど過ぎてからだった。

 それからは元から仕事熱心だったのに輪をかけ、タルトの試作にも力を入れるようになっていく。

 ひたむきに頑張る父を見て、祖母も母も自然と応援するようになり、家族みんなが一つになった気がして、シャルティエはとても嬉しくなった。


 だけど、そんな中。

 シャルティエが足を引っ張ってしまうことになる。その年の流行り病にかかってしまったのだ。


「うぁぁ~。頭、痛い。気持ち悪いぃ~……」

「お姉ちゃん、大丈夫?」


 心配そうな顔で寄ってこようとするルナエに、シャルティエは慌てて手を振る。


「ルナエは近くに来ない方がいいよ。病気がうつっちゃうから」


 顔を赤くしてフラフラしているシャルティエを見た母親は、これから父親と中心街の方まで薬を買いに行くという。


「シャルティエ、熱があるんだから大人しく寝ててちょうだい。ちゃんと温かくしてるのよ」

「えぇー……お薬? 苦いのはヤダぁ」

「わがまま言わないの。じゃ、行ってくるわね」


 こうして薬を買いに出かけた両親だったが、なぜか持って帰ってきたのは小さな容器に入った蜂蜜だった。


「……え、蜂蜜? お父さんもお母さんも騙されてない?」


 どこからどう見ても蜂蜜だ。

 なのに、母親はこれを薬だと言う。


「騙されてないわよ、高いんだから。買う前にちゃんと確かめたわ」

「えっ。高いって、どれくらい?」

「大さじ一杯分で、5千エンよ」

「えぇっ!! ご、5千エンッ!?」


 それ、絶対に騙されてるよ!

 シャルティエは蜂蜜と母親を交互に見た。


「これでも子供が病気でって伝えたら、半額にしてくれたのよ。ケテルナ商会って知ってるでしょ? ウチが材料を仕入れているお店の大元の。あそこの商品だから、騙しなんてないわよ。そんな話はいいから、早くお薬を飲んでしまいなさい」


 ケテルナ商会。この街で、その名前を知らない商人は一人もいない。創業間もないながらも、信用も信頼も実績もある大きな商会だ。王族や上級貴族とも取引をしていると聞いたことがある。


 でも、このスプーン一杯分で、ウチの焼き菓子の五十個分だなんて。しかも半額じゃなかったら百個分。……うわぁー……。

 そう思いながら、小さな容器から蜂蜜をスプーンに移し、パクッと口に入れる。


 しかし、その瞬間。

 シャルティエは呼吸も忘れて固まってしまった。


 ──な、何、これッ!!?


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