第114話 心の中に染みる闇


 ミンシェッド家からしてみれば、ルーリアは存在そのものが罪なのだろう。

 ガインは関係ないと言っていたけれど、祭りの日にガインの生命が狙われたことも、自分のせいのように思えてならなかった。


 そんな自分が、いつか外の世界で誰かの役に立ちたい、誰かに必要とされる生き方をしてみたいだなんて。

 他の人にはささやかな願いかも知れないけど、ルーリアが持っていい願いではなかったのだ。


 生きていることを一族から認められていない。

 生きているだけで、いろんな人に迷惑をかけている。

 ガインとエルシアには、自分たちのせいだと責めるような気持ちまで持たせている。二人は互いのことが好きなだけなのに。悪いところなんて、どこにもないのに。


 ……ルーリアわたしが生まれてしまったから。


 自分さえいなければ、ガインとエルシアはこんな悲しい顔をしないで済んだ。

 蜂蜜屋とこの森に縛りつけられることも、結界を張る必要もなかった。もっと自由に、安全に暮らせたはずだ。二人で一緒に勇者パーティに入ることも出来たし、ずっと離れて過ごすこともなかった。


 自分はいつまで二人を苦しめるのだろう。

 心配をかけて、足を引っ張ってばかりで。

 自分がいる限り、二人はこれからもきっと……。


 良くない考えに、ルーリアの心は塗り潰されていく。暗く、冷たく、みじめに、寂しく。



 ──ワタシナンカ、イナケレバ良カッタ。



 黒く渦巻く声が心に響き渡ると、ルーリアの胸の内は真っ黒な影に覆われていった。


 ────心が、苦しい…………。


 胸を押さえつけるルーリアの頬を、ひと筋の涙が伝った。心の奥底から冷たい感情が溢れてくる。

 金色の瞳も、毛先が白い黒髪も。

 ハーフエルフの姿に戻っていたのに、ルーリアの持つ色の全てが闇色に染まっていった。


「…………姫様?」


 その異変に気付き、フェルドラルはルーリアの腕を掴んで引き寄せた。


「ガイン、エルシア! 姫様が」

「ルーリア!?」

「色が……!」


 透かさずフェルドラルがルーリアの目の前に左手をかざす。

 しかし、視界がグラリと揺れると、ルーリアの意識は深く深く、真っ逆さまに落ちるように暗闇の中に沈んでいった。




 …………ここ、は……?


 気付くと、ルーリアは真っ白な世界にいた。

 課題発表の時の場所に似ていると思ったけど、濃い白いモヤがかかっているだけのようにも見える。

 どこかで見た覚えがあるような、でもそれがどこだったのか思い出せないような。そんな不思議な場所。


 目の前には、なぜかガインとエルシアが立っていた。二人とも、とても幸せそうな顔をしている。

 ルーリアのことが見えていないのか、二人の視線はルーリアの身体を通り越し、その先にいる生まれて間もないくらいの小さな赤ん坊に向けられていた。


 考えるまでもなく、この赤ん坊はルーリアだろう。小さなルーリアを抱き上げ、二人は頬を寄せ笑う。さっき見た悲しそうな瞳とは真逆の、温かくて優しくて、泣きたくなるくらい喜びに満ちた顔をしている。


 だけど自分は、このあと二人を悲しませる元凶となってしまう。そう思うと、ルーリアの指先がジワリと黒く染まっていった。


 このまま全てが黒く染まってしまえば、誰にも迷惑をかけずに、そっと消えることが出来るのだろうか。黒い指先を見てそう思うと、さらにジワリと染みていく。

 黒く冷たい空気が辺りに漂うと、目の前にあった幸せそうな光景は消え、周りは重苦しい雰囲気に変わっていった。


 いつの間にか足元から黒い水のようなものが湧き上がり、それが少しずつ広がってルーリアの足を沈めていく。

 気付けば膝上ほどまでが黒い水に浸かり、ルーリアは薄暗い泉の中で身動きが取れなくなっていた。


 ジャラリ、と鈍い金属音が響く。

 ルーリアは首と手首に真っ黒な枷がはめられ、何本もの重い鎖に冷たく繋がれていた。

 まるで物語の中の生贄のようだ。


 ピチョン……と、一滴の雫が黒い泉の水面に波紋を広げた。


『これ、あなたの心』


 どこからとも無く、幼いフェルドラルのような声が響いてきた。


 ……この、真っ黒に囚われた状態が、わたしの、心……?


 動くことも消えることも、何も出来ない。

 ただ、何かを待つことくらいしか。


 ……何の役にも、立たない。


 ルーリアが俯いていると、目の前に大きな紅い焔が浮かび上がった。その焔は、ガインに渡したお守りに刻んだ炎の刻印に形を変えていく。

 紅い焔はしたたるように燃え上がり、傷ついたガインを守るように照らし出した。


 ……今のは、お父さん?


『血を懸けて、助けた』


 …………助けた?


『役に立たない、違う。助けた』


 …………助けた……。


 こんな自分でも何かの役に立てていたのなら、お父さんたちの側にいた意味が少しはあったのかな。そう思うと、ほんの少しだけ胸の辺りが温かくなった。



『──ルーリア、起きろ!』

『──ルーリア、目を覚まして!』


 ……お父さんと、お母さん。


 遠くから二人の呼ぶ声が聞こえる。


『──姫様、目をお覚ましください』


 ……フェルドラル?


 あれ? わたしを眠らせたのはフェルドラルですよね? 自分で眠らせといて起きるように言うとか、訳が分からないんですけど?


『ルーリア!!』

「はいっ!」


 耳元でガインに大きな声で呼ばれた気がして、ルーリアは反射的に返事をする。

 すると一気に視界が開け、ルーリアは店の床の上でガインにしっかりと抱きかかえられていた。その前には、泣きそうな顔のエルシアが座り込んでいる。



「…………え」


 頭がひどく重くて、クラクラする。

 何が起こったのか分からなくて目をぱちぱちと瞬いていると、ガインとエルシアは脱力したように大きく息を吐いた。


「姫様、ご自分のことがお分かりになられますか?」

「…………自分のこと?」


 ルーリアが周りをキョロキョロと見回すと、「問題はなさそうですね」と、フェルドラルは小さく呟いた。


「ルーリア。お前、何ともないのか?」

「……え? な、何がですか?」

「あなたは髪も瞳の色も、闇のように黒く染まりかけていたのですよ。何も覚えていないのですか?」


 ガインもエルシアも、ルーリアの身体を調べるように真剣な顔で見つめ回している。


「……闇色……? 今は変身するような魔術具は、何も身に着けていませんけど。フェルドラルが何かしたんじゃないんですか?」

「わたくしは姫様を風でお支えしただけですわ」

「……? でもさっき、変な場所でフェルドラルがわたしに話しかけてきてたじゃないですか」

「わたくしが、ですか?」


 フェルドラルは身に覚えが無さそうに首を傾げた。

 三人の話からすると、ルーリアは闇色に染まった後、その場で倒れたらしい。身体はあるのにルーリアの気配が薄れていくのを感じ、ガインたちは必死に呼びかけていたそうだ。


「ルーリア、お前は今、何を見たんだ?」


 真剣な顔でガインが尋ねる。


「……最初は、濃いモヤがかかったような真っ白い場所にいました。そこでたぶん、昔のお父さんとお母さんを見て、それから真っ黒い泉のような場所で鎖に繋がれて。そこで傷ついたお父さんを見て……」


 ガインは思い詰めた顔でルーリアを見つめた。


「……ルーリア、正直に答えてくれ。お前は過去の話を聞いた時、俺を恨んだりしなかったか? お前がミンシェッド家から身を隠さなければいけないのも、邪竜の呪いを受けてこの地に縛りつけられることになったのも、元はと言えば全て俺のせいだ」

「いいえ! お父さんを恨んだことなんて、一度だってありません」


 強く、否定する。自分のせいだと言って視線を落とすガインに、ルーリアは激しく感情を突き動かされた。ガインのせいだと思ったことなんて、一度もない。


「わたしは自分さえいなければ、お父さんとお母さんが自由になるって、そう思っただけです。悲しませることも、心配させることも、迷惑をかけることも、全部なくなるって。わたしさえいなければ、もう二人が離ればなれにならなくて済むんじゃないかって……」


 自分で言っている言葉なのに、声を出せば出すほど、ノドの奥が絞めつけられたみたいに苦しくなっていって。言葉に詰まり、自然と涙が溢れてくる。

 そんなルーリアの様子を目にしたガインは、何も言わずに裏口から外へ出て行ってしまった。


「…………ごめんなさい、ルーリア。……ごめんなさい……」


 エルシアは震える腕でルーリアを抱きしめ、何度も同じ言葉を繰り返し、流れる涙を拭うこともなかった。


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