第115話 ごめんなさいの手紙


 それからの数日。


 ルーリアはシャルティエのレシピを元に、家の中でひたすら菓子作りの勉強をしていた。

 あの後、何となく距離が出来てしまい、ガインやエルシアとは、まともな会話が出来ていない。気まずくなったままだ。


 そんなある日。シャルティエから『明日、遊びに行くね』と、白い蝶の手紙で連絡が入った。


 この辺りは、森林国家のミリクイードの中でも高山とされている。どこもかしこも、真っ白な雪の世界だ。

 ここはエルシアの作った結界の中だから、家や森が完全に雪に埋もれることもなく、かろうじて生活が出来ている。けれど、その周囲の土地は何メートルもの高さの分厚い雪に覆われていた。

 真冬で雪深いこんな山奥に、いったいシャルティエはどうやって来るつもりなのだろう?


 そう思っていると、次の日。

 シャルティエはアーシェンを道案内に連れ、不思議な乗り物でやって来た。


「これは何ですか?」

「スノーリフトっていう、雪の上専用の移動用の魔術具なんだって」


 楕円形状の金属っぽい台に両足を乗せ、その台から伸びているハンドルを両手で握り、立って乗る。


「雪の上を浮かんで飛ぶんですか?」

「そうだよ。すごいよね。雪が止んでいる時じゃないと使えないらしいけど」


 ルーリアが魔石の付いているハンドルに触れると、本体をぐるっと薄い風が覆った。


「わ、すごい。ちゃんと風よけもあるんですね」

「これはまだ一般向けには販売されていないのよ。ユヒムが考えたんだけど、軍事用に悪用されたら困るから、今は特許の出願中なの」

「……とっきょ?」


 特許とは、新しいレシピの発明や開発をした者の権利を、神が保証する制度だそうだ。

 神のレシピと似たようなものだが、特許を取ったレシピはその所有者の財産となるらしい。


 レシピを個人で独占できる期限は50年。

 それを過ぎると一般に公開される。

 ただし、特許の所有者が『これだけには使って欲しくない』と申し込み、神がそれを認めれば、公開後もレシピを使用する際に制限をかけることが出来るらしい。


「あんなに忙しくしてるのに、こんな便利な魔術具まで作っちゃうなんて。ユヒムさんってすごいね」

「これは改造すれば、いろんな移動に使えそうですね」


 水の上を走ったり、空も飛べるかも知れない。

 つい、そんなことを考えてしまう。


 シャルティエたちはダイアグラムから来たのではなく、近くまで転移してから、この魔術具で移動してきたそうだ。アーシェンは道案内が済むと、シャルティエを残して転移して帰った。


「これで、いつでもルーリアの家に遊びにくることが出来るようになったよ」


 嬉しそうに話すシャルティエに家の中を案内して、自分の部屋に連れて行く。

 温かい茶を淹れようと準備していると、シャルティエはじぃっとルーリアの顔を覗き込んだ。


「ねぇ、ルーリア。何かあったんでしょ?」


 いきなり核心を突いてくるシャルティエに、ルーリアは湯をこぼす。


「な、何ですぐに分かるんですか?」

「だってルーリアの顔色って、果物の食べ頃を見るよりずっと簡単だもん」

「……そんなに?」


 無理に隠そうとしていた訳ではないけれど、せっかく友達が遊びに来てくれたのだから笑顔でいようと思っていたのに。

 自分の不器用さに軽くため息が出る。


「それで? 何があったの?」

「…………え、っと、つい、最近の話なんですけど……」


 ルーリアは家族会議の時のことをシャルティエに相談することにした。とは言え、話せることは限られている。

 ミンシェッド家のことは伏せ、自分が言った言葉でガインを怒らせ、エルシアを泣かせてしまったことを打ち明けた。


 エルシアの泣いた顔を思い出すと、今でも胸が苦しくなる。自分のせいで母親を泣かせてしまったのだ。この話はフェルドラルに相談するのも違う気がして、ルーリアはずっと一人で悩んでいた。


 今、フェルドラルはエルシアの工房にこもって本を読んでいる。セフェルはいつも通り、ベッドで丸くなって眠っていた。

 エルシアはガインの部屋にいるだろう。

 ガインは……たぶん外だと思う。



「それはルーリアが悪いよ」


 話を聞き終わったシャルティエは、きっぱりとそう言いきった。


 ルーリアが悪い。

 分かりきっていたことだけど、改めて人の口から言われると、素直に心に突き刺さった。


「お母さんを悲しませるつもりはなかったんです。お父さんはその時もその後も、何も言ってくれなくて」


 あれから話をしていないから、二人がどう思っているのか分からない。自分はどうすれば良かったのだろう。……何も分からないままだ。


「まず、何でガインさんが何も言わずに外に出て行っちゃったのか、ルーリアはそれが分からないんだよね?」

「……はい」

「必ずそうだ、とは言えないけど。それでもいい?」

「はい。……お父さんは外に出て行く時、怖い顔をしていました。怒っているような、でも、ちょっと違うような」

「ガインさんは怒っていたんだと思うよ」


 やっぱり。……でも、何に怒っていたのだろう? よく分からないけど、身体が黒くなって心配をかけてしまったから?


「ルーリアは、ガインさんが怒っているのはルーリアに対してだと思っている?」

「……え、違うんですか?」

「ガインさんはたぶん、自分自身に怒っているんだと思うよ」

「お父さんが……自分に、ですか?」


 どうして……。


「ガインさんは自分が許せないでいるんだよ。最初に言ってたんでしょ? 全部、自分のせいだって」

「……はい。わたしがこの森から出られないのも、成長が遅いのも、自分のせいだって」


 そんなことないのに。

 悪いのは、わたしなのに。


「それで、今度はルーリアが自分のせいだと思ったんでしょ?」

「……はい」

「それが、良くない」


 エルシアが泣いた理由も同じだとシャルティエは言う。二人は本当に、ルーリアのことを大切にしているのだと。


「自分が今まで頑張って守ってきたルーリアに、『いなければ良かった』なんて言われたら、それじゃガインさんがあまりにも報われないじゃない」


 ルーリアがいなくなったからと言って、問題が解決する訳ではない。それどころか、二人が今までにしてきた努力の全てを、ルーリア自身が壊すことになる。


「ルーリアを全力で守ろうとしてきた二人に対して、それでいいと本気で思っているの?」


 自分が相手の立場だったら、何を考えどう思うか。それを先に頭に置くようにと、シャルティエは付け加える。

 今まで触れずにいたガインとエルシアの気持ちを、逆の立場で考えるように言われ、ルーリアは思わず息を呑んだ。今までのルーリアの頭には、二人のためと言いながら自分のことしかなかったのだ。


 悲しませたくない、心配をかけたくない、迷惑をかけたくない、負担になりたくない。

 二人がそれを望んでいたか? これらは全部、ルーリアが勝手に望んでいたことなのでは?


 ルーリアはガインたちの気持ちを考えるのが怖かった。『お前さえいなければ』と、そう思われることが何よりも恐ろしかったから。

 だから考えないようにしていた。

 そしていつか『お前のせいで』と言われるくらいなら、自分から言ってしまった方が何百倍もマシだと、そう思ってしまっていた。

 二人があんなにも大切にしてくれていたのに、自分から『わたしがいなければ』と、口にしてしまっていたのだ。二人の気持ちを考えるなら、絶対に口にしてはいけなかったのに。


「…………わたしは、お父さんとお母さんに、とてもひどいことを……」

「自分を大切にしてくれる人が、何のために頑張っているのか。ルーリアはもっとちゃんと見た方がいいよ」


 ガインたちがルーリアを大切に思ってる気持ちを、ちゃんと信じてあげて欲しい。物語の中であれば自己犠牲も美談で終わるけど、現実でそれをされたら何も残らない悲劇となる。まずはルーリアが自分に自信を持つことだ、とシャルティエは話した。


「例え、ルーリアが自分のことをいらないと言っても、ガインさんたちは絶対にその手を離さないよ」


 シャルティエの優しい声に、ルーリアは力なく頷いた。その瞳から、ぽろぽろと涙の粒がこぼれ落ちる。


「…………は、い……ごめ……な、さい……」


 止めどなく落ちる涙をぐしゃぐしゃに拭うルーリアの頭を、シャルティエはしばらくの間、なだめるように優しく撫でた。


 シャルティエが来てくれて、本当に良かったと思う。ルーリア一人だけだったら、きっと自分を責めるだけで終わっていただろう。


 ルーリアが泣き止んで少し落ち着くと、「ちょっと待ってて」と言い残し、シャルティエはどこかに転移して、すぐに戻ってきた。


「これ、使って」


 シャルティエは手紙用の魔術具の紙をルーリアに差し出した。


「少しはガインさんたちの気持ち、分かったんでしょ? だったら手紙でも書いてみたら?」


 いきなり本人を目の前にして言葉を口にするよりは、落ち着いて自分の気持ちを伝えられると思うから、とアドバイスをもらう。


「ありがとう、シャルティエ」


 ……手紙。何て書けばいいんだろう。


 ガインとエルシアに手紙を書いたことなんて一度もない。いろいろ考えてみたけれど、下手に飾らずに素直に思ったことを書くことにした。



『 お父さんとお母さんへ


 自分がいなければ、なんて言ってごめんなさい。

 お父さんとお母さんが大切にして、ずっと守ってきてくれたのに、ひどいことを言ってしまいました。

 二人がどれだけ大切にしてくれているか、誰よりも知っていたのに、嫌われるのが怖くて自分から逃げていました。


 お父さんとお母さんに幸せに暮らして欲しくて、二人の気持ちをちゃんと考えられなくて、お母さんをひどく悲しませてしまいました。

 お父さんとお母さんが一生懸命に守ろうとしてきたものを、わたし自身が捨てようとしてしまいました。


 本当にごめんなさい。


 わたしは二人の子供として生まれてきたことを、ずっと誇りに思って生きてきました。

 二人の子供に生まれてきて良かったと、今でも強く思っています。この気持ちは、血筋の話を聞いた後でも何も変わっていません。


 お父さんもお母さんも、とても大切で大好きです。二人を悲しませる言葉を自分で言ってしまったことは、心から後悔しています。


 本当にごめんなさい。


 また迷惑をかけるかも知れません。

 また間違うかも知れません。

 けれど、それでも良かったら、これからも二人の娘として、ずっと側にいさせて欲しいと思っています。


 ずっと笑顔でいて欲しい二人へ


           ルーリアより  』


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