第109話 帰宅からの本戦
んんぅ──!!
帰ってきました────っっ!!
何も変わっていない、カウンター。
蜂蜜の棚、床、天井、テーブル、椅子。
大きな窓から見える、見慣れた自然の景色。
ルーリアは大きく息を吸い込んだ。
……はあぁぁ──…………。
懐かしい木の匂い、暖炉で燃える薪の音。
本当に、帰ってきたんだぁ……。
ただただ懐かしくて、ぼーっとなる。
あの秋の日、フェルドラルを背負って家を出た自分が、真冬の今日まで外の世界にいたなんて。
「…………ただいま、です」
ぽそっと呟くルーリアのすぐ側に、セフェルが後を追うように転移してきた。
「にゃ! 雪が、いっぱい!」
窓の外の真っ白な景色に驚いたセフェルが、まっすぐ暖炉の前に向かう。どの季節でも家の中は快適な温度に調整されているけれど、セフェルは寒そうな景色も苦手らしい。
フェルドラルは弓から人型に戻り、ルーリアが抱えていた荷物を抜き取ると、テーブルの上に置いた。
姿が見えないところをみると、ガインたちは、まだ外なのかも知れない。
ダイアグラムではチラチラとしか降らなかった雪だが、ここではしっかりと積もっていた。
「姫様、ひとまず荷物をお部屋まで運んでしまいましょう」
「……はっ……!」
声をかけられたルーリアは一気に階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込んだ。
当然といえば当然だが、部屋はルーリアが出て行った時のままだった。
くうぅ~っ、何もない部屋!
でも、今はそれが嬉しい……っ!
ドーウェンの耳飾りを外して机の上に置き、ハーフエルフの姿に戻ったルーリアは、ベッドに腰を下ろした。
大きなベッドに慣れてしまっていたから少し狭く感じるけど、それでも懐かしさの方が大きく胸に込み上げてくる。
やっと、帰ってこられた……。
ぽふっと、ベッドに仰向けになる。
自分のベッドに髪が広がる感覚も懐かしい。
ぼんやりと天井を見ていると、フェルドラルが荷物を持って部屋に入ってきた。
「姫様。セフェルは良いとしても、わたくしがそちらでご一緒させて頂くのは、さすがに手狭かと思います。夜はこちらの椅子をお借りしても宜しいでしょうか?」
そう言って、フェルドラルは机の椅子に手をかけた。
「……え、まさか……そこで眠るつもりですか?」
「いえ、本来わたくしは眠る必要もございませんので。こちらでひと晩中、姫様の可愛らしい寝顔を拝見させて頂こうかと」
「それは丁重にお断りします」
そんな状態で眠りたくない。
というか、今度から先に眠るのが怖くなるから、そういうことを言わないで欲しい。
「それなら一緒に眠ることが出来るように、フェルドラルが小さくなればいいじゃないですか」
「わたくしが、小さく……?」
そこでルーリアは
エルシアが焼きもちを焼くこともなく、みんなが円満に過ごせる方法を。
「そうです! フェルドラル、わたしと同じ……いえ、それよりずっと幼いくらいの姿になってください。そうすれば一緒に眠ることが出来ます」
そのくらいの姿であれば、いくらエルシアでも不安を感じたりはしないだろう。
我ながら、なんて名案……!
「……ひ、姫様は、そこまでわたくしと一緒にお休みになられたいと……」
たぶん何かを勘違いしてるっぽいフェルドラルは、感激した顔で身体を小刻みに震わせている。
「はい。わたしは小さい姿のフェルドラルと一緒にいたいです。出来れば、起きている間もずっと」
ズキューン! と、何かに撃たれたような顔をして、フェルドラルは瞬時に幼い子供の姿になってくれた。
小さく尖った耳。
真っ白な長い髪に深緑色の瞳。
そして……幼い姿の、フェルドラル。
「……完璧です。フェルドラル」
「姫様のお望みとあらば、喜んで」
人族でいう5、6歳、といったところだ。
声も幼くなっている。
こうしてルーリアとフェルドラルは帰宅早々に、エルシアの工房もある部屋を子供部屋として、見た目的にも健全な小さなコンビを結成したのだった。もちろん見た目が変わっても、フェルドラルはフェルドラルだ。
部屋で荷物を片付けていると、一階から裏口の扉の開く音が聞こえてきた。ガインたちが戻ったようだ。
「ルーリア、戻っているか」
ガインに呼ばれ、一階に下りる。
ガインとエルシアはルーリアと幼くなったフェルドラルを目にすると、何とも言えない微妙な顔になった。
「……今度は何をするつもりだ?」
すぐにガインが疑うように尋ねる。
「何もしませんよ。フェルドラルが大人のままだとベッドが少し狭いから、小さくなってもらっただけです」
ガインたちはもう少しだけ外の見回りが残っているそうで、人族の姿に変身したままだった。
外に長くいると身体が冷えるから……と、ガインがエルシアを気遣って休憩に戻ったらしい。
エルシアはルーリアたちにテーブルに着くように言い、温かい茶を淹れてくれた。
「……まさか、エルシアに茶を淹れてもらう日が来るとは思ってもいませんでしたわ。まぁ、仮に毒などが入っていても、わたくしには効きませんが」
エルシアが用意した茶を、幼いフェルドラルは危険物を調べるように眺める。エルシアは引きつった微笑みを浮かべ、苛立つ気持ちを抑えるように、ゆったりと頬に手をついた。
「あら、卑劣な貴女と一緒にしないでもらいたいですね。ガインがこの家に迎え入れたからには、私は自分から争いを望んだりはしないのですよ、うふふ……」
自分が神殿から持ってきたことを、すっかり忘れているエルシアの笑顔には黒い影が差している。
「んふ。それを聞いて安心しましたわ。姫様が悲しまれるようなことは、わたくしも出来るだけ避けたいので」
……うーん。
やっぱり見た目が変わったからと言って、すぐにわだかまりがなくなったりはしなかった。
引きつった笑顔で睨み合うエルシアとフェルドラルを、それ以上に引きつった顔で見ていたガインは誤魔化すように茶を飲み、目を逸らして深いため息をついた。
「……そういえばフェルドラル。貴女、祭りの日にガインにひどいことをしましたよね?」
声は穏やかだが、エルシアの雰囲気がザワリと変わる。目に見えてもおかしくないくらいの、凄まじい威圧感をルーリアは感じた。
──ッ!? な、何、この空気!?
いきなり魔王でも降臨したかと思える存在感に、思わず茶をこぼす。
「んふ。ひどいこと? 何のことです?」
表情が変わっていないフェルドラルからも、エルシアと同じくらいの重圧を感じた。
あえて効果音を付けるなら、ゴゴゴゴゴ……。
どうやらユヒムの屋敷にいた時は、二人ともかなり抑えていたらしい。フェルドラルは幼い姿なのに、なぜか迫力が増している。
気のせいなのは分かっているが、顔に暗い影を落とした二人の目が、怪しく光っているように見えてならない。怖すぎる。
ルーリアはガインにしがみ付き、ガクガクブルブルと怯えて震えた。
「とぼけても無駄です。私は知っているのですよ。貴女がガインに何をしたのか」
「また覗いたのですか。貴女はスキルに頼り過ぎです。いい加減、自分で判断することを覚えたらどうです?」
鼻で笑うフェルドラルを、エルシアが強く睨む。
「私は自分の目で確認したものでなければ信じられません。……今はそんなことはどうでも良いのです。私は怒っているのですよ! よくもガインの首を……」
「エルシア。だからあれは、」
「ガインは黙っていてください。いくらガインが良いと言っても、私は許せません!」
ここまで感情的になったエルシアをルーリアは見たことがない。びくびくしながらも、どうにか落ち着いて欲しくて必死に呼びかけた。
「あ、あの、お母さん。フェルドラルの話も聞いてあげてください。フェルドラルは本気でお母さんと正対してみたいって言っていたんです。だから、ちゃんと話を──」
「…………本気で正対? 良いでしょう。私もそうしたいと思っていたところです。フェルドラル、場所を変えますよ」
エルシアは静かに席を立つと、目を細めて綺麗に微笑んだ。
「んふ。望む所ですわ」
フェルドラルも黒い笑みを深め、席を立つ。
二人はそのまま、裏口から外へ出て行ってしまった。
「あ、の……? えっ?」
今は真冬だ。周りは雪深く、どこも埋もれて身動きが取れないくらいなのに、外に出て二人は何を……?
戸惑うルーリアに、ガインは苦い顔を向けた。
「……ルーリア。さっきのが、わざとじゃないのは分かる。だが、これはまずい。俺には、あいつらを止めるのは不可能だ」
「お母さんとフェルドラルは何をしに外へ行ったんですか?」
「恐らくあいつらは、言葉じゃなく魔力に任せて語るつもりなんだろう」
「えっ、魔力!? それって、まさかお母さんとフェルドラルが魔法で戦うってことですか!?」
「ああ、そうだ」
えぇええぇーッ!!?
「な、何でそんなことに!?」
「お前が言った『本気で正対』が、あいつらにはそういう意味だったってことだ」
「……そ、そんな……っ……」
ちゃんと話し合いたい、って意味じゃなかったなんて。
「とにかく、あいつらを追うぞ。止めることは無理でも、何かあった時の補助くらいは出来るはずだ。急いで準備しろ」
「は、はいっ」
ルーリアは駆け足で自分の部屋に戻った。
コートを着て、ドーウェンの耳飾りを着ける。
そしてすぐに裏口に向かい、蜂蜜の瓶を手にしたガインと合流した。
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