第107話 仲が良いのと悪いのと
「ルーリアちゃん、ちょっと向こうで私と話そうか?」
拗ねたルーリアをアーシェンが奥の席へと誘う。
「エルシア様はね、焼きもちを焼いてしまったのよ」
「焼きもち? えっと……確か、好きな人を独り占めしたくて拗ねる感じ、でしたか?」
「そうそう、そんな感じ」
あれ、でもそれって……と、ルーリアは首を傾げる。焼きもちは、まだ婚姻していない人がすることじゃなかっただろうか?
エルシアはすでにガインと夫婦だ。
夫婦とは、互いに相手を独り占めすることだとルーリアは考えている。だからエルシアが焼きもちを焼いていると聞かされても、ピンと来ない。
「エルシア様は、ただでさえ長い間ガイン様と離れていたでしょ? そんな状態で自分以外の女の人……例えばフェルドラルさんとかが近くにいたら、不安な気持ちになると思わない?」
「女の人って言っても、フェルドラルは弓ですよ? それにお母さんはお父さんと、とっくに夫婦です。それなのに不安って……?」
「うーん、なんて言えばいいかしら」
まだ恋すらしたことがないルーリアには難しいかぁ、とアーシェンは苦笑いを浮かべる。
「いくら魔術具でもね、見た目が人と変わらなかったら、十分に焼きもちの対象になると思うの。夫婦になって相手がいたとしても、絶対に他の女の人と仲良くしないってことにはならないでしょ?」
「お父さんはそんなことしないですよ。それでもですか?」
ガインに限って、それは有り得ない。
アーシェンだってよく知っているはずなのに、どうしてそんなことを言うのだろう?
「これはガイン様がどうするかじゃなくて、エルシア様がどう感じるかが問題なのよ。それに夫婦になったからといって、独り占めしたいと思う気持ちに終わりは来ないわ」
人にもよるが、好きという気持ちが強いほど独り占めしたくなる。その言葉で、ルーリアはすんなり納得した。エルシアなら、ガインを独り占めし続けたいと思っていそうだ。
なるほど。焼きもちって、好きと一緒なんだ。
「ちょっとだけ分かったような気がします。お母さんは、わたしでもお邪魔かなって思う時がありますから」
「えっ。エルシア様って、ルーリアちゃんの前でもそうなの?……って、それよりも問題なのはこれからよ」
これから……。エルシアが勇者パーティを抜け、隠し森の家に帰ってくる。エルシアが家に帰ってくるということは、ルーリアも家に帰れるということで。そうなると、エルシアとフェルドラルが同じ屋根の下に住むこととなる。
「同じ家の中で2人を一緒にして大丈夫でしょうか?」
顔を合わせる度に、思いっきりケンカしそうだ。
「うーん、そこよね。フェルドラルさんは男の人が嫌いだって聞いてたから、その辺りの心配はしていなかったんだけど……」
先ほどの様子を見る限りでは、エルシアを追い落とすためなら何をするか分からない。
シャルティエが心配していた、エルシアを困らせるための嫌がらせが繰り広げられているのだが、ルーリアはそのことに全く気付いていなかった。ただ単に仲が悪いだけだと思っている。
「お母さんたちは、どうしてあそこまで仲が悪くなってしまったんでしょう? 女の人同士でそういう問題が起きた時って、どうすればいいんですか?」
男同士の話なら、前に蜂蜜屋に来ていた冒険者から聞いたことがある。酒を飲んで、ひと晩くらい語り明かせばいいと。
「んー……他に感情の行き場がなかったら、本人同士が納得するまで徹底的にぶつかり合う、とかかなぁ」
「徹底的に、ですか」
それはそれで、ものすごく嫌な予感と怖い想像しか出来なかった。下手をしたら、森が丸ごと消える。
「でも、これでやっと家に帰ることが出来ると思うと、わたしは嬉しいです」
「そうね。ルーリアちゃんが楽しそうにしていれば、2人も大人げないケンカなんてしなくなるんじゃないかしら?」
「うーん、どうでしょう。そうだといいんですけど……」
2人が仲良く、かぁ……。
エルシアとフェルドラルに仲良くしてもらうための良い方法が思い浮かばない。
「じゃあ、戻ろっか」
「はい」
ガインたちのいるテーブルに戻ろうとすると、そこにはなぜかシャルティエがいた。
ちょこんと椅子に座り、のんびりと茶を飲んでいる。
「えっ、シャルティエ? どうして?」
いつの間に来たのだろう。
ルーリアが驚いた顔をしていると、笑顔のシャルティエは隣に座るよう、空いている椅子をポンポンと手の平で叩いた。
「ガインさんが戻ったから、会場に残った私たちに何があったのか詳しい話を聞きたいって、ユヒムさんから連絡があったの」
「あっ、ごめんなさい。わたし、連絡するって言ってたのに……」
「それどころじゃなかったみたいだし、気にしないで。ガインさんが犯罪者じゃないって、神官様が認めてくれたんだってね。良かったね、ルーリア」
「え、あ、はい」
返事はしたものの、ルーリアはまだその話を聞いていなかった。シャルティエの話からすると、同じ神官かどうかは分からないが、ガインは無実であると証言してもらえたらしい。
ルーリアを庇い、とっさの機転で神殿騎士からの尋問を切り抜けたシャルティエに、ガインは深く感謝していた。ルーリアだけだったら、こうはいかなかっただろう。
エルシアが帰ってきて、間もなく家に帰れるようになることを伝えると、シャルティエは自分のことのように喜んでくれた。
「じゃあ、近い内に必ず遊びに行くね。噂の魔虫の蜂蜜屋に行けると思うと、今からわくわくしちゃう」
「友達が家に来るのは初めてだから、わたしも楽しみです。……あの、シャルティエ。実は相談があるんですけど……」
「相談? なあに?」
ルーリアはシャルティエに、エルシアとフェルドラルのことを簡単に説明した。
「……という訳で、そんな2人が仲良くする良い方法を何か知りませんか?」
「うーん。今はどんな感じなの?」
「何かよく分からない内に、フェルドラルが1勝したみたいです」
何の勝負か分からないけど。
「うわ、もうすでに始まってるんだ。徹底的に言い合うとかは? お互いの言いたいことを出し切っちゃえば、少しはスッキリするんじゃない?」
「んー……、やっぱり徹底的に、ですか」
どうかなぁ。死人が出そうなんだけど。
それか、家が失くなる。
「それと、お母さんが焼きもちを焼かないで済むようにもしてあげたいです。……どちらかと言えば、お父さんが辛そうなので」
疲れているのに、あまり休めなかったようだし。これがずっととなると可哀想だ。
「ルーリアの話だと、フェルドラルさんはガインさん自身には興味ないんでしょ? ルーリアのお母さんを困らせたいだけで。だったら、ガインさんがルーリアのお母さんを不安にさせなければいいだけじゃない?」
「それって具体的に何をすればいいんですか?」
「それは……人それぞれかな。ずっと側にいてあげたり、喜びそうな言葉をかけてあげたり。他の女の人なんか眼中にないって、態度で示したり、かな。心の中を見せることが出来たら楽なのにね。やっぱり一番は誠意かなぁ?」
心の中……。エルシアは見ようと思えば、ガインの記憶も心の中も、その全てを見ることが出来る。
…………て、あれ?
「心の中が見えないから、焼きもちを焼くんですか?」
「それはそうだよ。当たり前じゃない」
んん? じゃあ、心の中を見るだけで済む話なんじゃ……?
「でも、例え便利だとしても心の中を覗かれるだなんて、ちょっと怖いね」
「どうしてですか?」
「だって、少しでも他の人に気を取られたら、全部バレるんだよ? 好きとかじゃなくても、『この人、格好良い』って思っただけで浮気者とか言われたり。正直きついと思う」
「……言われてみれば、そうですね」
それを考えると、いつ覗かれても平気な顔をしているガインは、ある意味すごいのかも知れない。
「でもまあ、焼きもち焼きなのがお母さんの方で良かったね。ガインさんだったら大変だったんじゃない?」
「なんでですか?」
「何となくだけど、ガインさんが怒ったら大変なことになりそう。自分の大切にしているものに手を出されたら、人が変わりそうな感じ?」
シャルティエって本当に鋭い。
本気で怒らせたら、きっとガインはエルシアよりもずっと怖いだろう。
「それで、そのお母さんはどこにいるの? 良かったら、ご挨拶したかったんだけど」
「あー。今は別の部屋で、ふて寝してるそうですよ。あはは……」
結局その日、シャルティエがエルシアに会うことはなかった。せっかく初めて出来た友達を紹介できると思ったのに。
ぬぅ……、焼きもちめっ。
◇◇◇◇
その後の、余談。
エルシアがガインを神の眼で覗いたことで、疑いはすぐに晴れた。けれど、エルシアの気持ちは沈んだままだ。
一時的とは言え、イエッツェとの戦いでガインが生命の危機に晒されたことが一番大きかった。
一歩間違えれば、自分の知らないところでガインを失っていたかも知れないのだ。それはエルシアにとって、想像を絶するほどの恐怖だった。
それとフェルドラルのような魔の手(?)が、今後ガインの身に降りかからないとも言いきれない。本気でガインの浮気を疑った訳ではないが、他の女に手を出されるという心配は強く残った。
早く強力なお守りを作らなければ……と、エルシアは据わった目で呪文のように繰り返し呟く。
はっきり言って怖い。そんなエルシアに、ガインはすっかり困り果てていた。
しかし、ルーリアのひと言でその問題は呆気なく片付く。
「お母さん、一緒に家に連れて行きたい子を紹介するから来てください」
ルーリアの部屋でセフェルを目にしたエルシアは、光を取り戻したように目を輝かせた。
「まぁ、これが猫? ガイン以外で初めて猫を見ました。小さい子もいるのですね」
エルシアはひと目でセフェルを気に入り、めちゃくちゃ可愛がった。抱っこしたり、膝に乗せて撫でたり、ぎゅっと抱きしめたり。
「エルシア、何度も言うが俺は猫じゃないぞ」
その姿を見つめるガインは優しく微笑んでいた。だが、ルーリアは見てしまった。
ガインがセフェルを見下ろした時。
その目はこの世のものとは思えないくらい、冷たく凍りついていたのだ。あの目はきっと、炎も凍らせる。
セフェルにも、強力なお守りを渡しておいた方がいいかも知れない。似た者夫婦とはよく言うが、ガインも重度の焼きもち焼きだった。
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