第106話 混ぜるな危険


「お母さん!?」


 ユヒムの姿を目にしたエルシアはすぐに詰め寄り、ルーリアが今まで聞いたことのないような強い口調で声を上げた。


「ユヒム、報告を! ガインの現状は!?」


 その凛とした姿は戦場の指揮官のようだ。

 突然のことに、ユヒムは戸惑いを声に乗せた。


「あ、あの、エルシア様。大変申し上げにくいのですが、ガイン様はすでにお戻りになられています。ご無事です」

「…………え、っ……」


 ぱちぱちと目を瞬かせたエルシアは、一気に力が抜けたようにヘナヘナ~……と、その場に座り込む。


「……ぶ、無事……? 本当に……?」


 気が抜けて泣きそうな顔になるエルシアに、ルーリアはしゃがんで目線を合わせた。


「本当です。昨日の疲れが溜まったみたいで、今は別の部屋で休んでいますけど、お父さんは無事です」

「…………ルーリア……」


 きっとアーシェンからの連絡で心配になり、急いで駆けつけたのだろう。

 エルシアは黒い瞳を涙で潤ませていた。


「……ルキニー、茶の用意を」

「かしこまりました」



 暖かい茶を口にして落ち着いたエルシアは、今回の話をユヒムとルーリアから詳しく聞いた。

 けれど肝心な部分は、ガインが起きないことには分からないままだ。


「……こうしてルーリアと、ここで向かい合って話しているなんて……。何だか不思議な感じがしますね」


 言われてみればそうだった。

 ルーリアとエルシアが外の世界で会うのは、これが初めてだ。


「はい。わたしもそう思います。…………お、お母さん」

「…………お母さん?」


 初めて耳にした聞き慣れない呼び方に、エルシアが緩く首を傾げる。


「あの、わたしはお父さんとお母さんの呼び方に、違いや差をつけたくないと思っています。2人とも、同じくらいわたしの大切な人なんです。だから、お父さんと同じように、お母さんって呼びたいんです。いきなり呼び方が変わって困るかも知れないですけど、お母さんって呼ぶことを……その、許してもらえますか?」


 緊張した顔でまっすぐに見つめてくるルーリアを、エルシアはクスッと笑った。


「許すも許さないも、それは元々ガインが言い出したことです。私はどちらでも、ルーリアの好きに呼んでもらって構わないのですよ」


 娘の小さな告白を、温かく見守るようにクスクスと笑う。優しい瞳のエルシアに、肩の力が抜けたルーリアは頬を染めて照れた。


「エルシア様、申し訳ありませんでした。私が焦って連絡をしてしまったせいで……」

「いいえ、アーシェン。そう頼んでいたのは私なのですから。貴女が気にする必要は何もありません。……それより」


 エルシアの視線がテーブルから外れ、壁際の方へと向けられる。


「……見慣れない者がいますが、もしかして、あれがフェルドラルなのですか?」


 エルシアが名前を口にした瞬間。

 フェルドラルの気配が、ザワリと変化した。


「ガインから話だけは聞いていましたが、本当に人型になるのですね。派手で驕奢きょうしゃなだけの魔術具かと思っていましたのに」

「……エルシア。貴女には、いろいろと言いたいことがあります。まずはその不躾で失礼極まりない無礼な態度を、今までのことも全て含め、心の底から詫びるべきなのではありませんか? いえ、いっそ土下座なさい」


 その場の空気が瞬時に凍る。

 フェルドラルは妖しいまでの艶やかな笑みを浮かべ、対するエルシアは頬に手を当て、感情の一切を消し去った目で冷たく微笑んでいた。


「あら? もしかして感情も持ち合わせているのですか? 本当に珍しい魔術具ですね。どのような仕組みなのか、今度詳しく調べてみたいのですが。解体してみてもいいでしょうか?」


 にこやかに物騒なことを言い出すエルシア。


「んふ。面白いことを言いますね。その前に貴女の手足が胴体から切り離されていないかどうか、あの世で確認することをお勧めしますわ」


 売り言葉に買い言葉とは、まさにこのことだろう。このまま互いに挑発を続けていたら、戦闘に突入してしまいそうだ。

 全く目が笑っていない笑顔を互いに向け、しばらくの間2人は無言で睨み合った。これはまずい。


「あ、あの、お母さん。わたしはフェルドラルから、お母さんがひどいことをしたと聞いていたんですけど……それは本当なんですか?」


 2人の視線をどうにか逸らそうと、ルーリアが尋ねる。するとエルシアは、突き刺さりそうなトゲのある微笑みをフェルドラルに向けた。


「うっふふ、フェルドラル? 貴女、ひとの娘に何でたらめを吹き込んでいるのです? 先にひどいことをしたのは貴女ではありませんか。まさか忘れたとは言わせませんよ?」


 え、あれ? でたらめ?


「……えっと、お母さんはフェルドラルに何をされたんですか?」


 エルシアは、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、口早に言葉を並べ立てた。


「たくさんありますが、何と言っても一番は敵を目前にして盾にしていた風を内側からフェルドラルに壊されたことでしょうか。そのせいで私は大変な目に遭いました。それだけではありません。攻撃が必要なタイミングで、いきなり無反応になったり。私の魔力を根こそぎ奪おうとしたり。それでも魔力を受けつける内は武器としてまだ使用できていたから良かったのです。ですが、私の魔力を受けつけなくなった途端、何で出来ているのか分からないくらいに重くなって……。あの時、私は首を絞めつけられて、本気で死ぬかと思ったのですよ!」


 この後も、エルシアの苦情はしばらく続いた。

 古代魔法の詠唱より長い。

 そして思う存分、溜まりに溜まった不満をぶちまけ、荒く息を切らしたエルシアは、キッとフェルドラルを睨みつけた。


「そんな貴女に詫びる礼など、私は持ち合わせておりません!」

「先にわたくしを踏みつけたのは貴女ではありませんか!」


 ぐぬぬ……と、さらに睨み合う。

 どちらかと言えば、普段は冷静な2人だ。

 どうしたらいいのか分からず、ルーリアたちは困り果ててしまった。


「あ、あの……お2人とも落ち着いてください。あまり騒がしくされますと、ガイン様が……」


 何とか間を取り持とうと、ユヒムが声をかける。ガインの名前を出せば、少なくともエルシアは落ち着くかと思ったのだが、フェルドラルは『良い燃料投下が来た』とでもいうように、黒い笑みを浮かべた。


「んふ。そうですよ、エルシア。ガインは昨日、ずぅっと寝ずにわたくしと過ごして、つい先ほど一緒に戻ったばかりなのですから。今はいろいろと疲れて休んでいるのです。少しは気遣っておあげなさい」


 フェルドラルが「ふふん」と勝ち誇ったような顔をすると、エルシアは呼吸を止めて息を呑んだ。


「…………なん、ですって…………」


 驚愕の目でフェルドラルを見つめる。

 背はフェルドラルの方が少し高い。

 胸もわずかに負けている。


「んふ。ガインが暴れないように、2度も意識を奪ったのです。いくら鈍い貴女でも、そこまで言えば言葉の意味は分かるでしょう?」

「……なッ!!」


 目元までザッと影を落とし、エルシアは凍りついたように動きを止めた。


「え、じゃあ、わたしが見たお父さんが気を失っていた姿って、フェルドラルがしたことだったんですか?」

「ええ、そうですわ」

「口を塞いでいたのも?」

「ええ。声を出されて、人に見つかる訳にはいきませんでしたから」

「そうだったんですか。暗い中で服も着ないで縛りつけられてたから、てっきり悪い人にでも捕まったんだと思って。……ところで、あれは何をしていたんですか?」


 カタン……と、室内に椅子の音が響く。

 血の気の失せた顔で立ち上がったエルシアは、ふらりと漂うように部屋から出て行ってしまった。


「……? お母、さん……?」


 ルーリアがキョトンとした顔でユヒムとアーシェンを見ると、2人とも『なんてことを……!』といった顔で固まっていた。

 よく分からないけど、何か失敗したらしい。


「んふ。まさか姫様が、わたくしの援護に回ってくださるとは。お蔭でエルシアに完全勝利することが出来ました。これで少しは溜飲が下がるというものです」


 フェルドラルは満面の笑みでルーリアの頭を撫でた。こちらもよく分からないけど、なぜかとても嬉しそうだ。……でも、フェルドラルはいったい何に勝ったというのだろう?



 ◇◇◇◇



「………………ん……」


 しまった。

 軽く仮眠を取るつもりが寝すぎたか?


 ガインがぼんやり目を覚ますと、目の前に見覚えのある人影があった。ガインが寝ているベッドの縁に、背を向けるようにして腰かけている。


 ……ああ、これは夢か。


 その人物を見て、ガインはまだ自分が眠っているのだと思った。エルシアがここにいるはずがない。

 だが、ガインが少し動いて布の擦れる音を立てると、エルシアは振り向きざまに、しっかりとしがみ付いてきた。懐かしいエルシアの匂いと、温かい体温が直に伝わってくる。


「…………エル、シア……?」


 夢か現実か分からない感覚で名前を呼ぶと、エルシアはその綺麗な蒼の瞳に、なぜかこぼれそうな涙を浮かべていた。


「…………ガインのバカ。浮気者……」



 ………………は?


 ガインは目を覚ましたばかりだが、もう一度、これは夢だと思った。




 エルシアが部屋を出て行き、しばらく経った頃。

 眠る前よりも疲れた浮かない顔をして、ガインが起きてきた。ユヒムが話しかけるタイミングを窺っているが、どんよりとした重い空気がそれを阻む。


「ガ、ガイン様……あの……」

「……何も言わなくていい。だいたい察しがつく」


 ガインはその場にいた全員の顔を確認すると、疲れきった顔でため息をついた。


「あー……、エルシアが本日をもって勇者パーティを抜けるそうだ」

「「えぇっ!?」」


 一番に驚いた声を上げたのは、ユヒムとアーシェンだった。


「あの、それってお母さんが家に帰ってくるってことですか?」

「そうだ」

「ずっと、家にいるってことですか?」

「……ああ」


 家に……お母さんが帰ってくる……!


 ルーリアは思わず笑顔になり、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。けれど喜んでいるのはルーリアだけで、周りは微妙な顔をしている。


「ガイン様、それは前から決まっていたことですか? それとも、今回のことでエルシア様が……」

「…………まぁ、両方だ」


 どう考えても今回のことが原因だろうが、ガインが渋い顔で答えると、ユヒムもアーシェンも仕方なさそうに頷いた。

 せっかくエルシアが帰ってくるというのに、みんなの浮かない顔の理由が分からない。

 ルーリアは1人だけ置いてけぼりにされた気分になった。


「みんなだけ分かったような顔でずるいです。なんで難しい顔をしているんですか?」


 ルーリアが拗ねると、ガインは壁際にいたフェルドラルをじろりと睨んだ。


「フェルドラル、お前の好きに説明して構わん。少しは責任を取れ」

「責任を取って説明した後の責任は取りませんが、それでも宜しいのでしたら」

「………………はぁああぁぁ────……」


 フェルドラルへの感謝の念が爆散する。

 ガインは心の底から面倒そうな顔をして、深くため息をついた。


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