第100話 追いかけてきた過去
ルーリアとシャルティエが課題発表を受けている間、ガインはフェルドラルと一緒に周囲に目を光らせていた。
これは神……いや、あの2人の女神の力か。
空に悠然と浮かぶ、光と闇の女神。
その2人が作り出した白黒の空間に目が戸惑う。遠くを見ると、会場を囲っている黒い帯から向こう側は普通の色彩だった。
神のものと思われる少年の声が響いた後、ルーリアとシャルティエは跪いたまま動かなくなった。
シャルティエが心配していたように身体ごと消えた訳ではないが、2人の意識は今ここにはないように見える。
ガインは赤いボタン── NOを押したから、意識がある状態で会場に残っていた。身体も自由に動かせる。
だがYESを押した者たちは、みな跪いて身動ぎすらしなかった。ちらほらと動いている者もいたが、それは本当にごくわずかな数だ。
フェルドラルはボタンを押したのか、押さなかったのか。そもそも選択肢があったのかどうかも分からない。
ガインの視線に気付いたのか、フェルドラルは目の動きだけでこちらを一瞥した。今は周りに合わせ、ルーリアの隣にしゃがんでいる。少なくともYESを選んではいないようだ。
ここで立って周りを見渡せば、それだけでものすごく目立つだろう。ガインは出来る限り身を低くし、息を殺して辺りを警戒した。
じっとして待つのは、ひどく疲れる。
呼吸すらしていないように見えるYES組の中にあっては、瞬きをするだけでも人目につくような気がした。
「まさか……貴様が生きていたとはな、ガイン」
いきなり後ろから声をかけられたのは、そんな時だった。
その聞き覚えのある声に、ガインは反射的に振り返ってしまう。何と声をかけられようと、絶対に振り返るべきではなかったのに。
それは明らかにガインのミスだった。
変身までしていたのに、自分がガインであると自身で認めてしまったのだ。それほどに、予期していない人物からのひと声だった。
…………イエッツェ……。
振り返った視線の先には、ガインが二度と会いたくないと思っていた嫌な顔があった。
ガインが神殿で騎士団長ではなく、ただの騎士をしていた頃に、副団長をしていた男。獣人、イエッツェ。
ガインが騎士見習いだった子供の頃からやたらと目の敵にし、何かと因縁をつけては嫌がらせをしてきた、最低な大人の代表とも言えるクズだ。酒癖が悪く、自分よりも弱い者をいたぶることで優越感に浸る性格をしている。
イエッツェが副団長の座にいたのは、実力があったからではない。ミンシェッドの本家筋の取り巻きをしていたから、そのおこぼれに預かっていただけだ。
その証拠にガインの前任の騎士団長は実力主義だったため、副団長だったイエッツェではなく、一介の騎士だったガインを次の団長に任命していた。その際、副団長も別の者が選ばれている。
しかしそれもまた、新たな怨みの種となってしまった。そこから嫉妬をこじらせたイエッツェの陰湿な付きまといは、悪質でしつこかったのだ。今では思い出したくもない。
ガインが神殿を飛び出した直後にミンシェッドの者に取り入り、自ら名乗り出て団長の座に就いたとギーゼたちからは聞いていたのだが……。まだ騎士団にいたのか。
ちなみにギーゼとシャズールが神殿騎士を辞める原因となったのも、このイエッツェだ。
ガインがいなくなったことで、イエッツェの嫌がらせが直属の部下だった2人に向いたのだと聞いている。……ギーゼたちには本当に悪いことをした。
目の前にいるイエッツェは、ガインが神殿にいた頃とあまり変わっていなかった。人族に例えるのなら、中肉中背な40代といったところだろうか。獣人なのに若くは見えないから、それなりに歳は行っているのだと思う。
筋肉質な体格で、手足は短く背も低い。
硬そうな焦げ茶色の短い髪に、火色の瞳。
そして人を嘲笑うように歪んだ大きな口。
ねじ曲がった性格が、そのまま顔に表れているようだった。見ているだけで嫌気が差す。
「いやぁ、貴様が生きていたとは驚いた。あれから何年だ? 気に入らねぇ面ってぇのは、時間が経っても忘れねぇもんなんだなぁ、おい。毛色を変えても、その澄ました面はすぐに分かったぞ」
イエッツェは勝ち誇ったように口端を吊り上げ、耳障りな濁り声を上げた。
「忘れもしねぇ貴様の鼻につく匂いがしたと思って来てみれば……グフフフフ。そこにいるのは、お前の家族か? んん~?」
ニヤニヤとしたいやらしい笑みを浮かべ、イエッツェはルーリアやシャルティエを舐め回すように見下ろした。ガインはグッと殺意を堪える。
…………本気で
ガインは作り笑いを顔に貼りつけ、イエッツェの方を向いた。
「俺は汚い声がしたから振り返っただけだ。お前みたいな低俗そうなヤツなんか知らないな。人違いじゃないのか?」
「んなッ、何だとォ!?」
イエッツェの額にピキッと青筋が浮かぶ。
「俺は1人で祭り見物に来た、ただの田舎者だ。……そうだな。お前が街の観光案内でもしてくれると言うのなら、付いて行ってやらないこともないが?」
ガインは分かりやすくイエッツェを煽った。
怒りの沸点が低く単純な性格なのは、よく知っている。イエッツェなら、これだけで話に乗ってくるだろう。
「……ほおぉ、面白い。その身のほど知らずな面の厚さは何も変わっていないようだな」
何も変わっていないのはお前の方だろ、と言い返したいがここは我慢だ。
「よし、貴様は今から犯罪者だ、ガイン。このオレ様に盾突いたことを死ぬほど後悔させてやる。祭りが終わるまで、オレ様の退屈しのぎに付き合ってもらおうか、グフフフフ」
気分1つで、何の罪もない者を犯罪者呼ばわりか。相変わらずだな。下手に逃げて指名手配でもされたら面倒だ。ユヒムに迷惑がかからないよう、ここは何とかするか。
「グフフ。ここではゆっくり話も出来ねぇ。場所を変えるとするか。大人しく付いて来い、ガイン」
イエッツェが身体の向きを変えると、取り巻きと思われる騎士たちがガインを囲んだ。
「ああ、そうだ。おい、お前たち。残りのヤツらに言って、そこら辺りの小娘共をまとめてテントに連行させておけ。この犯罪者の仲間かも知れねぇからなぁ。特にそこの娘2人は逃がすんじゃあねぇぞ。あとでオレ様が直々に取り調べをしてやる。時間をかけて、じっくりたっぷりとなぁ。グッフフフフ」
「「「はっ!」」」
……ちっ、このクズが。
聞いてるだけで反吐が出そうだ。
それにしても、ここにいる騎士たちはこんな無茶な命令に従うのか。どうして誰も反論しない?
よく見れば、どいつもこいつも上の者の顔色しか気にしていないような者ばかりだった。まぁ、まともな神経をしていれば、こいつに付き従ったりはしていないか。気概もなく、意志も弱そうだ。本当に神殿の騎士か?
こんなのしかいないようなら、ルーリアたちの方はフェルドラルに任せておけば問題ないだろう。
しかし、なぜ神殿の騎士が地上界に……しかも祭りの会場なんかに? 下見で回った時はいなかったし、ユヒムからそんな話は出ていなかった。
……とにかく厄介なことになったな。
ガインはため息をつき、騎士たちに囲まれたまま、イエッツェの後を付いて行った。
着いた先は、街外れにある工場跡地。
石造りの外壁は所々崩れ、金属材の柱や残されたままの錆びついた機械類が放置されていた。
人気もなく、ただの廃墟と化した状態だ。
「おい、どこまで行く気だ?」
周りに人の気配はなく、広い空き地もある。
ここなら少しくらい暴れても大丈夫だろう。
そう判断して、ガインはイエッツェに声をかけた。
「グフフフフ。どこまで? ガイン、貴様の行き先はすでにあの世と決まっている。オレ様が飽きるまで遊んだ後は、皮を剥いで敷物にしてやるから有り難く思え。さぞかしご立派な踏み心地なんだろうよ! グハハハハ!」
…………これが今の神殿の騎士団長か。
イエッツェの根性は腐りきっている。
こいつは絶対に野放しにしてはいけない。
ガインはそう判断した。
改めて狩る対象として、イエッツェを見る。
神殿騎士の団服に、背には大剣。
恐らく、何かしらの魔術具をいくつか隠し持っているだろう。イエッツェ自身は魔法を使えなかったはずだ。
一方のガインはと言うと、丸腰だった。
見た目は冒険者風な服装の人族で、武器は何も持っていない。持ち物はルーリアが作ったお守りだけだ。指輪が2つと、髪飾りと首飾りが1つずつ、それと反撃型のお守りが1つ。
イエッツェは部下の騎士たちを使ってガインを囲い、なぶり殺しにするつもりなのだろう。
それだけでも、いかにイエッツェが騎士道に反しているのかが窺い知れる。
「グフフフフ。どうした、ガイン? 急に借りてきた猫みてぇに大人しくなりやがって。ビビっちまったのか、ぁあ? さっきまでのふてぶてしい態度はどうした? さあ、無様な姿を晒してオレ様を楽しませてみせろッ!」
イエッツェは大剣を抜くなり、ガインに向かって大きく叩きつけてきた。不意打ちを狙うにしても初動が大きいから、避けてくれと言われているようだ。舐めてるのか。
ガインは地面を蹴ってそれを軽くかわし、1人の騎士の腰からすれ違いざまに剣を1本拝借した。
イエッツェの剣は地面に亀裂を入れ、土煙と共にパラパラと砂や小石を飛び散らせている。無駄に力だけはあるようだ。
「そんな荒い攻撃が当たるか。ふざけてるのか? それともそれは神殿の新しいお祈りか何かか?」
と、さらに挑発をしてみる。
昔のままなら、頭にきたイエッツェは動きが単調になるはずだ。
「き、貴様ァアぁぁ────!!」
……ちょろ過ぎるだろ。子供か。
イエッツェは何も成長していなかった。
頭に血を上らせ、真っ赤になった顔で大きく剣を振り回す。ガインは力任せのイエッツェの攻撃を難なくかわしながら、周りにいた取り巻きたちを1人ずつ確実に倒していった。
手応えがなさ過ぎる。
これでよく神殿騎士を名乗れたな。
ガインがいた頃に比べると、騎士たちの質は格段に落ちていた。もしかしたらルーリアの補助を受けたユヒムよりも弱いかも知れない。
まともな騎士が神殿に残っていないというのなら、原因は間違いなくイエッツェだろう。
ガインは最後の1人、イエッツェに対峙した。
「諦めて降参したらどうだ? すでに残りはお前1人だ」
ガインが剣先を向けてそう告げると、肩で息をしていたイエッツェは不気味な笑みを浮かべた。
「……グフ、グフフフフ。さすがは腐っても元団長か。ちょろちょろと逃げ回って小賢しい。……こうなったら仕方ねぇ」
イエッツェは懐から1つの魔術具を取り出した。手の平ほどの大きさの水色の輪に、同じような輪が3つ通されている。
「グフフフ、ガイン。『これ』が何か分かるか?」
ガインはそれを見た瞬間、驚愕で目を見開いた。地上界で目にするはずがない魔術具が目の前にあったからだ。
「ッ馬鹿な!! どうしてお前がそれをッ!?」
イエッツェはその魔術具をガインに向けると、迷うことなくすぐに起動させた。
──まずいッッ!!!
そう思った時には手遅れだった。
ガインは瞬時に水色の光の輪に捕らえられ、手足に枷をはめられた状態で、その場に倒れ込んでしまった。
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