第101話 火蜥蜴のお守り


「ぐ……ッ!」


 ガインが地面に倒れ込むと、イエッツェの下卑た笑いが廃墟に響いた。


「グフ、グフフフフ、グハハハハハ!!」


 ──くそっ! 力が……入らないッ!


「っ……! なぜ、お前がこれを持っている! これは神殿から持ち出すことも、神官がいない場所で使うことも禁止されていたはずだ!」


 イエッツェが使ったのは、神殿でのみ使用が許されている、犯罪者を拘束するための魔術具だった。手足に枷がはめられ、短い鎖で起き上がることもままならない。


 魔術具の名は、ハープスローの輪。

 作ったのはエルフだと言われている。

 恐らく、この世界で最強の拘束の魔術具だ。


 これを使われてしまうと攻撃力も防御力も、どんな魔法や魔術、それにスキルでさえも、その全てのものが無力と化す。例え勇者や魔王であっても、この拘束から逃れることは出来ないと、そう聞いている。

 しかもこの魔術具は神官にしか外せない。

 だから使用する時は、必ず神官の立会いが義務付けられている、そんな特殊な魔術具だ。


 それがなぜ地上界ここに……。


 ガインの驚きに満ちた声を聞いたイエッツェは、にんまりと歪んだ笑みを深めた。


「グフフフフ。いいザマだなぁ、ガイン。ひと思いに殺してくれと貴様の口から出るまでは、そう簡単には殺さないでいてやろう。さあて、どこまで耐えられるか楽しみだなァ。グッフフフフ」


 醜悪な笑い声を上げながら、イエッツェが獣人化する。身体全体が黒っぽく変色し、短い獣耳と長いしっぽが生える。手には硬い爪が鈍く光り、筋肉が膨れ上がって背が倍ほどになった。


 その姿で拘束されているガインの側に立ち、愉悦に浸った目で冷たく見下ろす。

 そのまま加減なしの獰猛な力で、抵抗できないガインの脇腹をえぐるように蹴り上げた。


「──ぐ、はッ!!」


 魔術具の効果で、今のガインの防御力は無いに等しい。剥き出しの痛みが身体中に広がり、骨を軋ませ呼吸を奪った。


「グハハハハ! さすがに効いているようだな! もっと良い声でいてみせろ!」

「……っぐ!」


 イエッツェの重い蹴りが、鈍い音と共にガインの身体に何度も沈む。執拗に同じ箇所を狙われ、肋骨あばらぼねを何本かと内蔵を少しやられてしまった。


「──か、は……ッ」


 切れた口の物か、それとも腹からきた物か。

 口の中に溜まった血を吐き出すと、熱を持ったノドはすぐにカラカラに乾いた。


 ……くそ。ノドが、血で乾く……。


 態勢を立て直そうと、この場を離れる隙を窺ってはいるが、執念深いイエッツェが追撃の手を緩めることはない。それどころか少しでも気を抜けば、意識を全部持っていかれそうだった。


「グフフフフ。そろそろ腹を潰しておくか」


 動けないガインを足で転がし、仰向けにする。

 イエッツェは腹に狙いを定め、足に勢いをつけて踏み貫こうとした。


 ──避け、きれん……!


 その時、ガインはほんのわずかにだけ、枷にはめられた手をイエッツェの方に向けていた。

 すると右手の指にはめていたジュリスの指輪から大きな炎が上がり、迫っていたイエッツェの足を激しく焼いた。


「グ、グギャアアアァァ────!!」


 驚きと激痛に顔を歪め、イエッツェは後ろに飛び退くと地面にゴロゴロと転がった。

 何とか火を消し、焦げた団服と焼けただれた自分の足を目に映す。そして沸き上がる憎悪を顔に移すと、イエッツェは怒りに震えながらガインを睨みつけた。


「……き、き、貴様ァアアあぁ──!!」


 イエッツェはガインの右手を思いきり踏みにじり、ジュリスの指輪を抜き取ると地面に叩きつけ、それを粉々に踏み砕いた。

 荒い息で肩を怒らせ、憎しみを込めた目で剣を抜く。


 ガインの手足にある枷は、10センチほどの幅なら広げることが出来た。バランスさえ上手く取れれば、立って跳ぶくらいは出来そうだ。


 剣は抜いたが、イエッツェはすぐには襲ってこなかった。ガインの持つ魔術具を警戒しているのだろう。

 今を好機と見て、ガインはひとまずこの場から離れることを決めた。ユヒムから渡されていた指輪をどうにかズボンのポケットから取り出し、指にはめてイエッツェに向ける。


 ゴオォウッ!!


 大きな炎が上がると、イエッツェはひるんで後ろに下がった。その隙にガインは自身を炎に重ねるように隠し、イエッツェの死角を突いて、その場から離脱した。



 まさかルーリアが作ったお守りに助けられるとは……。ガインはジュリスの指輪を外し、ポケットに戻した。たぶんもう魔力は残っていないだろう。


 身を潜められそうな場所を探しながら、工場跡地を跳ぶように移動する。地面に足を着く度に、身体は悲鳴を上げるように痛んだ。

 今は回復する手段がないから、我慢するしかない。自分たちで作った魔虫の蜂蜜を、こんなに欲しいと思う日が来るとは思わなかった。


 ……それにしても参った。これはまずい。


 ガインはハープスローの輪に視線を落とした。

 この姿はどこからどう見ても、立派な犯罪者で逃亡者だ。しかも最悪なことに今日は祭りの日で、どこに行っても人目についてしまう。

 このまま街中に出ればどうなるかなんて、考えるまでもなかった。


 この昼間の明るい時間では逃げきれない。

 結局ガインは気配を消して息を潜め、夜になるまで待つことしか思いつかなかった。


「ガインンー!! 隠れても無駄だァー! 貴様に逃げ場はないと思えぇー!!」


 遠くからイエッツェのえる声が聞こえてくる。気配を消したガインの居場所を、なぜかイエッツェは的確に見抜き、執拗に追いかけてきていた。


 ……ちっ、またか。なぜ分かるんだ?


 イエッツェを避け続けるガインは、知らず知らずの内に袋小路の奥へと入り込んで行く。


 ……くそっ。こっちも行き止まりか。


 今なら屋敷の中で迷うルーリアの気持ちが少しだけ分かるような気がした。馬鹿にして悪かったな、と少し反省する。


 イエッツェの大きな足音が、こっちに向かって響いてきた。もういい加減、逃げることにも疲れている。ガインは隠れることを止め、ここで決着をつけようと覚悟を決めた。


「グフフフフ。とうとう観念したか、ガイン。望み通り、ここをお前の墓場にしてやる!!」


 …………墓場って。


 そんな台詞を言うヤツが本当にいたとは驚きだ。ガインの前に姿を現したイエッツェは、余裕を絵に描いたような顔をして、すでに勝負はついたと思っているようだった。獣人とは思えない、お気楽さだ。

 それと追いかけている途中で回復薬か何かを使ったのだろう。足のヤケドはすっかり治っていた。


 ……さて、ここからが本番だ。


 ガインはイエッツェには見えないように、パラフィストファイスの還印を握りしめた。

 使い方はルーリアから聞いている。致命的な攻撃を受けそうになった時、魔石に触れればいいそうだ。


 ただそのためには、イエッツェに大きな攻撃をさせる必要がある。じわじわとなぶるつもりでいるのなら、この魔術具は使えない。

 だから、かなりの賭けにはなるだろう。

 魔術具の効果については、ルーリアを信じるだけだ。


「死ねぇええッ!!」


 イエッツェは初めの時と同じように大剣を振り回した。獣人化しているから、その威力は数倍となっている。少しでも当たるとまずいが、一撃で致命傷となるにはまだ弱い。

 そして、やはり魔術具の使用を警戒しているのか、大きくは狙ってこなかった。


 ガインは枷のせいで、攻撃を上手く避けきれないでいる。イエッツェの攻撃は威力だけはあるから、少しかすっただけでも受けるダメージは大きかった。

 ガインの身体に少しずつ傷が増えていく。

 そして服に血がにじむ度、動きもだんだんと鈍くなっていった。


「グハハハハ! わめけ、叫べ! 貴様のような、どこから湧いたかも分からねぇ薄汚ぇドブクズが、おこがましくも騎士団長だなどと、オレ様は断じて認めねぇぞ!!」


 …………は?


 ガインは思わずイエッツェを二度見した。


 今はイエッツェが騎士団長だ。というか、ガインが騎士団長でいた時期はとても短い。

 ガインが団長となったことを、思考停止するくらいイエッツェが根に持っているということだけは理解した。が、阿呆かと言いたい。


 ──ここならいけるか?


 逃げ込んだように見せかけて移動した先にあった、行き止まりの広場。そこでガインは、わざと転んだ。起き上がれないふりをして、イエッツェを待つ。


 その姿を見たイエッツェはニタリと目を細め、引きずるように身を引くガインに向け大剣を構えた。


「……グフフフフ。この日をどんなに待ちわびたことか。突然ふらっと現れたどこぞの獣とも分からねぇヤツに、騎士団長の座をおめおめと奪われた、あの時のオレの屈辱が……それが貴様に分かるかッ、ガインッッ!!!」


 イエッツェは大剣を握る手に渾身の力を込めると、大きく振りかぶった。ガインに向かい、一直線に振り下ろす。

 その瞬間、ガインはパラフィストファイスの還印の魔石に触れた。


「────ッッ!! ぐ、が……ッ!?」


 イエッツェの振り下ろした剣と、ガインが起動させた魔術具の効果が重なり合った瞬間、大剣はイエッツェの身体を深く貫き、その背中には大きな炎の刻印が刻まれた。


 身体を貫いた大剣からは、血が大量に溢れ落ちている。その血はまるで油のように、轟々ごうごうと音を立て燃え盛っていた。

 炎の刻印から出た紅い焔は、死肉に食らいつく獣のようにイエッツェの身体を焼いていく。


「……ご、ふッ、……ガ、ガイ、ン……! ぎ、貴様あぁあァァ……ッ!!」


 信じられないものを見たようにイエッツェの目は大きく見開かれ、燃える血が伝う腕は、息も絶え絶えにガインに向けて伸ばされた。


「ご、す……ご、ろす! 殺す、殺す!! 殺す……ッ!!」


 身体から血飛沫ちしぶきを飛ばし、そう叫んだイエッツェに、


 ──ザンッ!!


 細く貫く音を立て、冷たい鋼の雨が降った。

 ガインの髪から、髪飾りの残骸がカランとすべり落ちる。イエッツェからはその後、何の音もしなくなった。


 したたる血だけが、ゆらりと燃える。


「…………」


 ガインは黒くくすぶるイエッツェから離れると、きびすを返してその場を後にした。



 傷だらけで重くなった足を引きずり、工場跡地から抜け出す。するとそこにはなぜか、いるはずのないフェルドラルが立っていた。


「……お前、なぜここに……? ルーリアとシャルティエはどうした?」

「ガイン、その手はどうしたのですか?」


 驚いた顔を向けるガインの目に、大鎌を握っているフェルドラルが映る──と同時に、問答無用で斬りかかってきた。質問しておいて、それはないだろう。


「ッ!! ちょ、ちょっと待て!」


 手ということは枷のことを言っているのか。

 神殿にいたフェルドラルの目には、今のガインは犯罪者として映っているのかも知れない。


「待て、フェルドラル! 俺は何もしていない! これは魔術具を悪用したヤツにはめられただけだ!」


 フェルドラルは聞く耳を持たず、素早く大鎌を振り下ろしてくる。ガインはギリギリのところで、それをかわした。身体はすでにボロボロで限界だ。少し動くだけで血がにじむ。


「くそっ! このバカ弓、話を聞け!」

「避けないでください、バカ虎! 死にたいのですか?」

「は!? 避けなかったら死ぬだろうが!」

「あぁもう、貴方は手間がかかる!」


 珍しく焦った声を上げたフェルドラルは、ガインを風で縛りつけると、そのまま大鎌を振り下ろした。


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