第99話 捕らわれた白虎


「……おい。これはいったい何の真似だ?」


 ガインは鋭く光る深緑色の瞳で、腕を組んで目の前に立つフェルドラルを睨みつけた。

 上半身は裸。壁に風で両手両足を押さえつけられ、身動きが取れないようにされている。目を覚ましたら、この状態だった。


 この場所に見覚えはない。あまり使われていない倉庫の中、といったところだろうか。薄暗い周りに目を向けても、これといった特徴もなく、木箱が積まれているだけだった。

 光源が乏しいところを見ると、だいぶ日は傾いているらしい。もう少ししたら夜になるくらいか。


「んふ。静かにして頂けますか? せっかくここまで来たのです。誰かに見つかるのは避けたいのですが」

「お前、何を言っ──!?」


 声を上げようしたガインは、薄い風のような物で口を塞がれてしまった。こうなってしまうと、出来ることと言えば目の前の相手を睨むことぐらいだ。


 ……くそっ。この状況は何だ?


 力任せに身体をひねってみたが、フェルドラルの出した風はビクともしなかった。

 今の自分ではフェルドラルの風を振りほどけない。それは前回のセフェルの時に実証済みだった。


「暴れても無駄ですわ。勝手に傷つかれても迷惑です。大人しくしていてください」


 状況が分からず苛立つガインとは対象的に、フェルドラルは澄ました顔をしている。

 自分がなぜフェルドラルに捕まっているのか、それが分からなかった。


 フェルドラルはガインをじっと見つめ、緩く首を傾げる。視線はガインに向いているのだが、そのものを見ている訳ではなく、それを通り越して別の何かを見ているようだった。

 しばらく観察した後、フェルドラルは左手の指先から風を放ち、ガインの全身を包み込んだ。


 ──ッ!?


 一瞬、攻撃かと思い身構えたが、痛くもかゆくもない。何をしているんだ、こいつは? と、今度はガインが首を傾げた。


「……何もないですね」


 つまらなそうに呟き、フェルドラルは出した風をあっさりと消した。


 …………何なんだ、いったい。


 本気で何をしているのか分からない。説明もない。否応なしに、ガインの中で苛立ちだけが増えていく。

 他にやることもないから仕方なしに睨んでいると、何かを思いついた顔でフェルドラルが急にガインに身体を寄せてきた。


 ガインの肩に、フェルドラルの長い黒髪がサラリとかかる。呼吸をしていれば吐息がかかりそうなほど、フェルドラルはガインの首筋に顔を寄せていた。


 ──ッ、今度は何だ!?


 ガインは反射的に顔を逸らした。

 見た目だけで言うのなら、縛り上げた男の首筋に女が顔を寄せている状態だ。もしこんなところを知り合いの誰かにでも見られたりしたら……。そう考えただけで、ゾッとした。


 男嫌いのフェルドラルが、ここまでする理由は分からない。が、互いに色事の感覚を微塵も持ち合わせていないことだけは、はっきりと分かる。この行動にも、きっと何か目的や理由があるのだろう。

 しかし他の者が見れば、どんな言い訳をしても無駄な気がした。どこからどう見ても、男女の情事だ。目にした瞬間に、お取り込み中お邪魔しましたーと、回れ右される案件だった。


 フェルドラルはガインから身体を離すと、ニッと口の端を上げた。何を見ていたのかは知らないが、目当てのものを見つけた顔だ。

 ガインはウンザリした顔で、『いい加減に説明しろ』と、フェルドラルを睨んだ。


 恐らくだが、こうやって有無を言わさず壁に押さえつけているということは、最初から説明する気なんてないのだろう。

 ガインがどう思おうが、フェルドラルは自分の思った通りにやる。だから今、この状態なのだ。


「ちょうど良い物がありました」


 フェルドラルは木箱を開け、中から瓶を取り出した。中身は酒のようだ。その酒瓶を片手にぶら下げ、ガインの前まで歩いてくる。

 この状況でフェルドラルが次に取りそうな行動といえば、そう選択肢はないように思えた。


 酒を飲む。酒瓶で殴る。その他。

 さあ、どれだ? と、ガインが固唾を呑んで見つめる中、フェルドラルは瓶の上部をフタごと手刀で跳ね飛ばした。切り飛ばされたガラス片が床に落ち、キィンと高い音を響かせる。

 次いで封の切れた酒瓶をガインの頭上まで持ち上げ、フェルドラルは何の躊躇いもなく、その持ち手を逆さまに返した。


 バシャッと分かりきった音を立てた後、トクトクトク……と、瓶の中身がガインの身体にかけられる。頭から足先まで酒浸しにされ、身体を伝った紅い酒がズボンに染み込んでいった。

 じっとりとした重さと湿った感覚が気持ち悪い。それに今は真冬だ。弓には分からないかも知れないが、人族だったら拷問とも受け取れる仕打ちだった。



 ……ポタッ



 ……ポタッ



 静かな倉庫に、酒のしたたる音だけが響く。


 …………。


 ガインは目元に影を落とし、何とか理性を保っていた。辺りには、アルコールと果物のような香りが漂っている。


 ……これ、ケンカを売られているのか?


 笑いが込み上げてくるくらいの怒りは感じていた。ここが人族の街中でなければ、とっくに暴れていただろう。

 フェルドラルは空になった瓶を床に置くと、さっきと同じようにガインの首筋に顔を近付け、何かを確認した。


「まぁ、いいでしょう」


 …………何がだよ。


 ガインは顔を上げ、殺意を含んだような目でフェルドラルを睨んだ。その視線に気付いたフェルドラルは、目を細めて笑う。


「んふ。少し扱いが雑かも知れませんが、貴方のために仕方なくしていることなのですから、そんな目をしないで頂けますか、ガイン。それにこの程度のこと、くだらない理由でわたくしに屈辱を与え続けていたエルシアに比べれば……」


 口元は笑顔のそれと同じ形をしていたが、エルシアのことを口にするフェルドラルの目は完全に冷えきっていた。2人を会わせるのは、まだちょっと早いかも知れない。


 しかし、この酒浸しのどこがガインのためなのだろう? それに、どうしてここでエルシアの名前が出てきたのか。もしかするとこれは、エルシアが先に売ったケンカなのだろうか?

 ガインはエルシアのものだ。フェルドラルもそれは知っているだろう。だから、その巻き添えを食っただけなのかも知れない。いわゆる八つ当たりだ。


 エルシアの名前を出されたガインは、少しだけ冷静さを取り戻した。

 酒をかけられたことに腹は立ったが、エルシアがしたことに対する報復なら仕方がないとも思える。……かなり理不尽で損な役回りだが。


 それにしても、何がどうなってこんな場所に?

 ガインは課題発表の時のことを思い出そうとして、ふと感じた冷たい感触に自分の胸を見た。


 ──な……。


 気配もなく、気付けばフェルドラルの手の平がガインの胸に当てられていた。


「わたくしはミューラ様の眷属ではありませんので、洗浄は苦手なのですよ」


 と、なぜか言い訳に似た独り言を呟いている。

 何を言っているんだ、と呆気に取られていると、フェルドラルはガインにかけた酒の水分を風で一気に吹き飛ばした。


 ──っ!! マジで何がしたいんだ!?


 突然の突風に、ガインは心の中で叫んだ。

 濡れていた髪と服から水分だけが蒸発し、べた付くような感覚と、酒の香りが少しだけ残る。潔癖というほどではないが、割と綺麗好きなガインの気分は最悪だった。


 フェルドラルは『まぁ、いいか』といった顔で小さく頷き、その流れでガインの首に左手を当てた。

 感情を持たないような顔になり、暗く深い森色の瞳にガインを映す。見覚えのあるその瞳に、ガインはゾクッと悪寒が走った。


「苦しいのは一瞬です。我慢してください」


 そう告げたフェルドラルは、ガインの首を風で強く絞め上げた。


 ────ッッ……!!


 フェルドラルからこの台詞を聞くのも、首を絞められるのも、今日は二度目だった。ガインは薄れ行く意識の中で、ようやくそのことを思い出した。



 ◇◇◇◇



「……────……」


 気がつくと、さっきとは違う知らない場所にガインはいた。気を失う前と同じなのは、手足の自由を奪われ、口を塞がれていることくらいだ。今回は壁にではなく、床に転がされていた。

 そんなに時間は経っていないのか、夜と呼ぶにはまだ早い程度の暗がりだ。


 ……何が、どう、なってるんだ……。


 首を動かし、ぼやける視線を床に這わせる。

 視界の端にフェルドラルの足が見えた。

 物言いたげな下からの視線に気付いたフェルドラルは、風を使ってガインの身体を起こし、壁に寄りかからせるように置き直した。


「姫様には貴方が寝ている間に連絡を入れておきました。心配しないで屋敷でお待ちになられるように伝えましたので、恐らく大丈夫ですわ」


 …………大、丈夫。これのどこが?


 苦々しい目をフェルドラルに向け、気を失っていた間の報告を聞く。フェルドラルが何をしたいのかは未だに謎だが、ルーリアたちが無事だと分かり、少しだけ気持ちに余裕が持てた。ルーリアたちが無事なら、それでいい。


 ……あとは──……。


 ガインが詳しい説明を求める視線を送ると、フェルドラルは今回の意味不明な行動について、やっと話し始めた。


「これからガインには、ある人物に会うか会わないか、自分で決めてもらいます。念のために言っておきますが、これはわたくしが考えたことではありません」


 フェルドラルが差し出した手の平には、色せた小さな紙切れが乗っていた。随分と古い物のようだ。


『俺に何かあった時は、あとを頼む』


 ──!! 俺の字だ! フェルドラルがこれを持っているということは、その人物とは──。


 ガインは目を見開き、フェルドラルをまっすぐに見据えた。


「やっと意識が戻ったようですね。ここに来るまでの経緯は思い出せますか?」


 課題発表から今まで。ガインは一度、強く目を閉じた。記憶を辿るように、頭の中を整理していく。


 課題発表の会場で、ガインは目の前にあるNO──赤いボタンを選択していた。


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