第98話 敵か味方か


 次の日。街の中は昨日の祭りが幻だったかのように、少しだけ人通りはあるものの、いつもの穏やかな朝を迎えていた。


「おはよう、ルーリア。はい、これ」


 朝早くにユヒムから送られてきた手紙には、残念ながらガインが戻ったとの知らせはなかった。


「もうすぐ迎えが来るみたいだよ。屋敷に戻ったら、ちゃんと食べてちゃんと休んでね」

「……はい」


 いつになく元気がないルーリアを、シャルティエはぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫だよ。ガインさんはきっと無事だから」

「……っ、ありがとう、シャルティエ」


 不安でくしゃくしゃになった笑顔を向けると、無理して笑わなくていいよ、と頭をわしゃわしゃ撫でられた。


「ルーリア様、お迎えにあがりました」

「わぁあ~ッ!!」

「──……セ、セイラさん!?」

「セイラとお呼びください」


 扉も開いていないのに、いきなりセイラが部屋の中に現れた。腰が抜けたかと思うほど、びっくりする。

 セイラは黒っぽい剣士のような格好で、いかにもお忍びといった姿だった。メイド服より、こっちの方が似合っている。セイラはユヒムの指示でルーリアを迎えに来た、と2人に告げた。


「あっ、あのっ。ウチ、一応いろんな魔術具とかで防犯対策してたんですけど。どうやって入ってきたんですか?」


 シャルティエは迎えが来るとしても、普通に玄関から来客として訪ねてくるものだと思っていた。

 全幅の信頼を置いていた自宅の安全対策が難なく破られ、信じられないといった顔でセイラを見つめている。


「突然の訪問となってしまい、大変申し訳ございません。内密にルーリア様をお迎えに行くよう伺っておりましたので、罠などは通り抜けさせて頂きました」

「……そんな、あっさりと」


 訪問じゃなくて侵入だよ。そう呟いたシャルティエは、今度ユヒムに会ったら防犯対策について詳しく聞こうと、そう心に決めた顔をしていた。


 セイラの話では、昨晩はラミアとアチェットがシャルティエの家の周りを見張ってくれていたらしい。特に変わったことはなかったそうだ。

 メイドってそんなことまで出来るんだ、と素直に感心するルーリアに、『そんな訳ないでしょ』と、シャルティエは心の中で突っ込んだ。


「では、ルーリア様。こちらを」


 セイラは転移の魔術具をルーリアに手渡し、その使い方を説明した。


 大きさは手の平に収まるくらいで、八角形。

 厚さは2センチくらいで重くはない。

 複雑な魔法陣が描かれ、魔石が随所に埋め込まれている。何も知らなかったら、カップの下に敷いてしまいそうな魔術具だ。


 転移の魔術具は起動すると、まず訪れたことのある場所が映像として目の前にずらりと浮かぶ。これは使用者にしか見えないらしい。

 そこで行きたい場所を強く思い浮かべ、転移する場所を決める。今回はユヒムの屋敷の自分の部屋を思い浮かべればいいそうだ。行き先が決まったら、移動となる。

 転移に慣れるまでは、足元に浮かぶ魔法陣が光ったら、一歩踏み込むようにすればいいらしい。


「分かりました。やってみます」


 さっそく魔術具の魔石に触れた。

 魔力が込めてあったから、すぐに床の上に魔法陣が広がる。その魔法陣の真ん中に乗ると、目の前にたくさんの映像が並んだ。


 ルーリア自身は今まで行動範囲が狭かった。

 だから選択肢も少ないだろうと思っていたのだが、蜂の巣箱やその近くの森、オルド村、宿屋、ダイアグラムの街、地下通路など、さらに細かく選ぼうと思えば、いくらでも選択肢は増えるようだった。

 その映像の中には、もちろん自宅もある。


 ……懐かしい景色。早く自分の家に帰りたい。


 家や森の映像はあっても移動不可能なためか、そこだけ色がついていない白黒の状態だった。

 ルーリアはセイラに言われた通り、ユヒムの屋敷の自分の部屋を選んだ。


「シャルティエ、いろいろと助かりました。本当にありがとう。お父さんのことが分かったら、すぐに連絡しますね」

「うん。でも、ルーリアは無理しちゃダメだよ。ちゃんとご飯食べてね」

「はい。念のためにシャルティエも気をつけて」


 魔法陣から立ち昇る光に、身体が包まれる。

 眩しくて閉じた目をそっと開けると、ルーリアはユヒムの屋敷の自分の部屋に転移していた。


 ……本当に、こんな一瞬で……。


 この部屋を出たのは、昨日の朝だ。

 たった1日なのに、ひどく遠回りをして、やっと辿り着いたような気持ちになった。

 あの祭りで起こった全てのことが、夢の中の出来事のように思える。


 ベッドの上ではいつものように、セフェルが丸くなって眠っていた。

 昨日はきっと1日中、怖い思いをしていたことだろう。音を立てないように近付き、起こさないようにそっと撫でる。


「っ、ににゃっ!!」


 すると、ルーリアの気遣いとは裏腹に。

 セフェルは針でつつかれたように飛び起き、慌てた様子で丸いたまのような物をルーリアに差し出した。


「姫様! フェル様から伝言!」

「……フェル様? っフェルドラルからですか!?」


 ルーリアは飛びつくように、セフェルからその丸い珠を受け取った。

 これは何だろう? この部屋にこんな物はなかったはずだから、ヨングがセフェルに持たせた物だろうか? 魔術具のような……。

 ルーリアが丸い珠に付いている魔石に触れると、そこから扇状の光が出て、薄らとどこかの映像を浮かび上がらせた。


 これは……どこだろう? 倉庫か小屋の中?


 薄暗く閑散とした場所に、大きな木箱がたくさん積まれている。その見覚えのない景色を背景に、フェルドラルの立っている姿が映し出された。


 映像は現在のものではなく、過去に記録したものを流しているだけのようだ。背景の暗さから考えれば、恐らく昨日の夕方以降に記録されたものだろう。

 細かいことも見逃すまいとルーリアが目を凝らしていると、フェルドラルがこちらに向かって話しかけるように口を開いた。


『姫様。わたくしとガインは無事ですわ。何も心配なさらずに、そのままもうしばらくお待ちください』


 それだけ伝えると、映像はプツリと途切れてしまった。


 ……………………え。


 ルーリアは愕然とした顔で固まった。

 ガインとフェルドラルが無事だという情報は、ルーリアが何をおいても知りたかったことだ。その知らせは良かった。本当に。


 しかし、しかしだ。

 ルーリアはその知らせを聞いて安心するよりも、フェルドラルの後ろに一瞬だけチラッと映った光景に、全ての意識を奪われていた。


 見間違いじゃなければ、気を失っている様子のガインが、上半身裸で壁に縛りつけられていたのだ。ぐったりとして、口を布のように見える何かで塞がれて。


 …………な、に。今の…………?


 ガインは身体中に血がにじんだような痕もあった。何がどうなったら、あんな状態になって、それを無事と言えるのだろう?

 映像の中のフェルドラルは、最後に薄い笑みを浮かべていた。


 トッ、コロロ──……


 ルーリアの手から落ちた珠が、絨毯の上を転がる。完全に思考停止したルーリアは、ただ呆然と立ち尽くした。


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