第85話 呪いを解くヒント


 猫妖精ケット・シーのセフェルとルーリアの従属契約を行うため、ガインとユヒムを含む五人は別室へ移った。

 この屋敷では珍しく、絨毯が敷かれているだけの何もない部屋だ。全ての窓のカーテンを閉めて扉に鍵を掛け、フェルドラルは本来の姿に戻った。


 エルフのような尖った耳に、雪のような真っ白で長い髪。森の奥を映したような深緑の瞳。

 胸と腰回りしか隠れていない寒そうな服。

 ずっと黒い髪と瞳のメイド姿だったから、本来のフェルドラルを初めて目にしたガインとユヒムは、かなり驚いていた。


「エルフっぽいな」

「この姿でオルド村に入っていたら、きっと大変な騒ぎになっていただろうね。ルーリアちゃんが姿を変えてくれてて助かったよ」


 本当はこの姿の方がフェルドラルらしいのだけど、人目につく間は目立たないようにしなければならないから仕方がない。


「では、姫様とセフェルはこちらへ」

「はい」

「にゃにゃ」


 今回行われる従属契約は、フェルドラルが全てを一人で行うそうだ。使う術式はとても古いもので、創った本人である神には『黒歴史』と呼ばれていたらしい。

 ルーリアはその呼び名を素敵だと思ったのに、なぜかフェルドラルは笑いを堪えるような微妙な顔をしていた。


 ルーリアとセフェルを目の前に並べ、フェルドラルは目を閉じる。凛とした声で契約の文言もんごんを重ねると、二人の足元に淡く光る魔法陣が次々と広がっていった。


風の凪ヴィンドログン受諾じゅだくせよ

 風を織る者ヴィンドオヴニルの名において蜜酒ミョズは交わされた

 緑なすものグローアンディより永遠に輝くものエイグロー


 我が名は フェルドラル


 回転するフヴェルファンダフヴェールより外れし者

 風に漂うものヴィンドフロトより儚き者


 彼の者の名は セフェル


 時測りアールタラ欠けるものミュリン

 暗闇ニョールより来たる夢の織り手ドラウムニョル

 揺らめくものヴァグ輝く輪ファグラヴェールへと繋げ


 其の者の名は ルーリア・ミンシェッド


 星の撒き散らされフリュールたる者ニル桎梏しっこくせよ!』


 フェルドラルの声が響き渡ると、魔法陣から昇る淡い光の粒が集まり、ルーリアとセフェルのノドを光輪で繋ぐ。


 これは……?


 身体に溶け込むように光の輪が消えていく。

 その時、ルーリアとセフェルは互いにとても強い繋がりが出来るのを感じた。

 従属というよりは信頼のような絆を感じる。


「……わぁ、綺麗」


 思わず声がこぼれる。

 薄暗い部屋の中、まるで蛍の光の乱舞のように、魔法陣の上で淡い緑光が舞い散った。

 それは言葉では言い表すことが出来ないほど、とても綺麗な光景で。

 契約が無事に終わると、その様子を黙って見ていたユヒムは少し興奮気味の声を上げた。


「ルーリアちゃん、フェルドラルさんて本当に神様が創られたんだね。疑ってた訳ではないけれど、改めて実感したよ。本当にすごかった」

「わたしも、フェルドラルがこんなことまで出来るなんて思っていませんでした。弓なのに……何でも出来て驚きです」

「俺は敵でなくて良かったと心底思ったぞ。今日は本気で助かった」


 そんな風に三人で盛り上がっていると、自分を話題にされ慣れていないフェルドラルは、少し引いた目でこちらを見ている。


「……何なのですか、あなた方……」


 気持ち悪いとでも言いたげな顔を男二人に向けるフェルドラルに、ルーリアたちはひと言ずつ感想を述べた。


「素晴らしかった」

「綺麗でした」

「ただの変態ではなかったんだな」


 フェルドラルは「ほぅ」と呟き、獲物に狙いを定めるように、鋭い深緑の瞳をガインだけに向けた。お願いだからこれ以上、部屋を壊そうとしないで欲しい。


「セフェル。いきなりで戸惑うこともあるかも知れませんが、これからよろしくお願いしますね」

「にゃい、姫様。よろしくお願いします」


 大きな緑色の猫目でルーリアを見上げ、しっぽをパタパタさせるセフェル。そんなセフェルにルーリアは我慢が出来なかった。


「あぁ~~! もう、可愛いっ!」


 ふわふわな毛並みごと、ギューッとセフェルを抱きしめる。すると、みんなの視線が後ろから突き刺さるのを感じた。


「…………ルーリア?」

「…………は、い」


 ガシッと、ガインの大きな手で頭を掴まれてしまう。ちょっと指に力がこもった鷲掴みだ。


「っな、何ですか!? いいじゃないですか、わたしのセフェルですよ?」

「なーにが『わたしのセフェル』だ! いいか! 何度も言うが、そいつは妖精だ。可愛いだけの人形じゃないんだ。油断するな! 甘やかすな!」


 ルーリアは抱っこしているセフェルを見下ろした。両手を可愛らしくそろえ、上目遣いでしっぽがパタパタである。


「…………無理です。絶対に勝てません」


 ガインの言った通り、猫妖精ケット・シーはルーリアの天敵で最大の弱点だった。


 はあぁ~、もふもふっ。

 猫がこんなにも可愛かったなんて……!


「……俺はしくじったかも知れん」


 緩みっ放しのルーリアの顔を見て、ガインは後悔の言葉をぽつりと呟いた。


「では、姫様。さっそくセフェルにまじないとやらをさせましょう」


 その声を聞いたセフェルは毛を逆立ててピョンッとルーリアから離れ、ビシッと姿勢を正してフェルドラルの前に立った。

 どう考えても怖がらせ過ぎだろう。

 しっぽがブワッと広がり、タヌキのようになっている。セフェルの天敵は、どうやらフェルドラルらしい。


「セフェル、まじないをお願い出来ますか?」


 出来るだけ優しく声をかけたつもりだが、セフェルは視線を彷徨わせ、怯えたようにおどおどとする。


「あ、あのぅ……」

「何ですか、セフェル。言いたいことがあるのなら、はっきりと言いなさい」


 フェルドラルがジロリと見ると、セフェルのしっぽはピンッと伸びた。


「にゃ! はいっ。ひ、姫様の血をくださいっ!」

「……わたしの、血?」

「ほぅ、血ですか。このわたくしに姫様を傷つけろと? なかなか面白いことを言いますね、この猫は」


 フェルドラルは音もなく大鎌を握り込む。


「にゃー! い、一滴でいいんですっ! 血がないと、その、まじないは出来なくてっ」


 バタバタと手を振り、セフェルは慌てて説明をする。


「なるほど。媒体が必要なのですか。……はて、困りました」


 フェルドラルは大鎌を消し、ガインに視線を送った。


「……血か。どうしたもんかな」


 と、ガインは腕を組んで眉を寄せる。


 ……いやいやいや。一滴ですよ?


 過保護な二人にルーリアは呆れた。

 風魔法で小さく指先を切り、それをセフェルに差し出す。


「セフェル、これを使ってください」


 切った指先から赤い色がじわりとにじむと、ガインとフェルドラルは顔色を変えた。


「何をやっているんだ、お前は!?」

「姫様、血が……!」


 …………この二人って。


「お父さん、フェルドラル。セフェルの邪魔をしないでください」


 ルーリアが目の据わった笑顔を向けると、ガインたちはそろって大人しくなった。


「にゃ、始めます。…………ふにゃっ!」


 気合いを入れたセフェルは自分のヒゲを二本引き抜き、肩から下げていたポシェットから紙を取り出し、何やら記号のようなものを書き込んでいく。

 そして、その紙の上に抜いたヒゲを並べて床に置くと、歌うようにまじないの言葉を口にした。


『響け 響け 三日月のお告げ

 鳴らせ 鳴らせ 夜露の虹を

 まるいおヒゲを 翼に変えて

 飛んで 回って くーるくる

 探して 連れて 鈴の中

 猫の手の中 始まりの中』


 セフェルの鈴のような声が響き終わると、紙の上に置いてあったヒゲは一枚の銀色の羽根に変わり、ふわりと空中に浮かび上がった。


「にゃ! 姫様、姫様。この羽根に血を一滴垂らして!」

「は、はいっ」


 慌てた声のセフェルに急かされ、ルーリアはポトリと一滴、羽根に血を落とす。

 すると、その羽根はくるくると回って銀色の小鳥に姿を変え、部屋の中を一周するように飛び回った後、壁をすり抜けてどこかへと飛んで行ってしまった。


「……これが、まじない」


 小鳥が消えた壁を呆然と見つめていると、すぐさまガインが魔虫の蜂蜜とスプーンを突き出してきた。

 針でちょっと刺したくらいの傷なのに、魔虫の蜂蜜なんて大袈裟すぎる。フェルドラルにも早く食べるように言われたけど、親離れとかはいいのだろうか?


 そんなことを考えながらしばらく待つと、先ほど飛んで行った小鳥が戻ってきた。

 くちばしに何か咥えている。


 パタパタと部屋の中をひと回り飛び、床上に置いたままになっていた紙の上に降りると、小鳥は小枝のような物をポトリと落とした。

 すると紙は、小鳥を包み込むようにクシャクシャッと丸まり、手を握ったくらいの大きさの銀色の鈴に姿を変えた。


「にゃ、姫様、どうぞ」


 セフェルはその鈴を手に取り、ルーリアに差し出した。


 ……これが、呪いを解くためのヒント?


 受け取った鈴を眺め、ルーリアは首を傾げる。


「にゃ! 姫様、鈴を割って。ヒントは中」


 セフェルが焦れったそうに卵を割るような仕草をする。どうやら鈴の中にヒントとなる何かが入っているようだ。蜂蜜の瓶にコンコンと当てると、鈴はパカッと綺麗に割れた。


 中に入っていたのは、小さく折りたたまれた紙が二枚。ルーリアは丁寧にシワを伸ばし、それを広げた。ガインたちもその手元をじっと見つめている。


 それは、神のレシピの課題発表がある祭りのチラシと、学園の菓子学科の入学申し込み書だった。


「…………え?」


 ルーリアとガインとユヒムの声が重なる。


「これがヒント?」


 意味が分からない。

 ルーリアたち三人は顔を見合わせた。


「これは……どういう意味でしょう?」

「……さっぱり分からんな」

「祭りのチラシは街で配られている物だね」


 奇妙な物を見るようにヒントを持て余す。

 すると、セフェルがぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「にゃ! 姫様、これに行く。行かないと呪い解けない」

「…………は、い?」


 ルーリアはギギギ……と、錆びついたような動きで手元にある紙を見下ろした。


 神のレシピの課題発表。

 学園の菓子学科の入学申し込み書。

 行かないと、呪いが解けない?


「……え……それって、つまり……」


 ルーリアたちは一斉に顔色を変えた。


「えぇええっ! むむ、無理ですよ! 今からですか!?」

「はぁあ!? 嘘だろ? いったい何の関係があるんだ、これ!」


 ルーリアとガインは大慌てとなる。

 ユヒムは割と冷静だった。


「これって、菓子学科の課題に挑戦して学園に入学する必要があるって意味だよね? ルーリアちゃんの呪いを解くためには、これが必須だということかい?」

「ですにゃ」

「これはシャルティエが言っていた祭りではありませんか。姫様が参加なさるのでしたら、わたくしもお供いたしますわ」


 一気に騒がしくなったルーリアたちを見て、セフェルはにっこりと楽しそうに笑う。


「にゃは! みんな元気になった。そんなに嬉しい?」

「……ほう。セフェル、ちょっとそこ動くな」


 爽やかな笑顔を浮かべたガインが握り拳を作って指を鳴らす。


 ひいっ……!


 ルーリアはセフェルをさらうように抱きかかえ、部屋を飛び出して全力で逃げた。


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