第84話 妖精のイタズラ


 目を覚まして最初に映ったのは、天蓋にある深青色の厚布に白い点々の星々。

 ルーリアは屋敷の三階にある自分の部屋のベッドに寝かされていた。


 ベッドの横には椅子に座り、心配そうな顔をしているガインがいる。ルーリアが薄く目を開けたことに気付くと、ガインは大きく息を吐き、張り詰めていたものが消えたように肩を落とした。


「これで納得しましたか、バカ虎?」


 腕を組み、立って壁に寄りかかっていたフェルドラルは、珍しく苛立ったような声で言い捨てる。

 その声を聞いたガインは恨めしそうな目を向け、投げやりな態度で手を振った。


「あーあー、はいはい。俺が悪かったよ。だがな、何をするのか先にひと言くらいあっても良かっただろ、あの場合」


 文句を言うガインをフェルドラルは鼻で笑う。


「あの場で貴方に説明しても、結局のところ邪魔をしてくる未来しか見えませんでしたわ。妖精の契約を切るためには急ぐ必要があったのです。貴方に説明している時間の方が惜しかったのですよ。それより感謝なさい」

「ぅぐ……っ」


 何か言い返したいような顔をしているガインに、ルーリアはまだ上手く力が入らない手を伸ばした。


「……お父、さん」

「今はまだ無理をするな。妖精との契約は切れたが、落ち着くまでは身体を動かし辛くなるそうだ」


 ガインはルーリアの手を取り、優しく頭を撫でた。温かい大きな手に、強ばっていた感覚がほぐされていく。

 倒れる前のことでルーリアがはっきりと思い出せるのは、セフェルがフードを外したところまでだった。そこから何が起こったのか、順を追ってガインに尋ねる。

 結論から言えば、ルーリアは妖精のイタズラに遭っていたらしい。


 ……妖精のイタズラ。


 言葉だけなら可愛らしく聞こえるが、猫妖精ケット・シーが仕掛けるイタズラは強引に契約を結び、壊れるまで自分のオモチャにするという、とても恐ろしいものだそうだ。

 だけど本来、猫妖精ケット・シーのイタズラは一瞬で消えるもので、普通は契約まで出来るようなものではないらしい。

 どうしてルーリアにイタズラの効き目が強く出てしまったのか。それはヨングにも分からないそうだ。


 ガインもこの話は初耳だったそうで、知っていたら絶対に会わせなかったと悔しそうに言っていた。

 妖精にとってイタズラは暇潰し程度の気まぐれな遊びでしかない。だけどその効果が出てしまえば、された方にとっては堪ったものではなかった。


 フェルドラルが素早く契約を切ってくれたお蔭で助かったが、一歩間違えれば一生妖精のオモチャとして過ごすことになっていたかも知れないのだ。そう考えただけで、ルーリアは背筋がゾッとした。


「ユヒムさんやヨングさんは無事ですか?」

「ええ、誰も傷ついておりません。……問題があったとすれば、最後にそこのバカ虎が気を失って倒れられた姫様を見て勘違いし、わたくしに攻撃を仕掛けてきたくらいですわ」

「…………お父さん」


 たぶんフェルドラルと戦ったのだろう。

 よく見ると、ガインの服のあちこちが切れたり破れたりしている。ルーリアがじっと見つめると、ガインはそっと目を逸らした。


「ちなみにその時、加減も忘れて部屋の一部を壊したのも、そこのバカ虎ですわ」

「…………」


 ルーリアとフェルドラルから無言の視線を向けられ、居た堪れなくなったガインは「ユヒムの様子を見てくる」と言い残し、逃げるように部屋を出て行った。


 ……あとでユヒムさんに謝ろう。


 ルーリアは小さく息をついた。


「姫様、あの猫は如何いたしましょう?」

「……猫?」

「あの妖精のことでございます」

「あれが……猫ですか」


 前にユヒムは虎のことを大きい猫だと言っていた。姿形を考えると、確かに猫は小さい虎のようだ。


「お父さんは何て言っているんですか?」

「ガインは『殺す』の一点張りですわ」

「!!」


 ルーリアが操られた時、ガインは本気で怒っていた。今の状況ならやりかねない。

 ダイアランやサンキシュがそうなのかは知らないが、アーシェンから外の世界について話を聞いた時、やられたらやり返してもいいルールの国が多かったと記憶している。


「セフェルさんは今、どうしているんですか?」

「今は逃げないように縛り上げた状態で、元飼い主の小人に預けられていますわ」

「……元?」


 ルーリアは気力を振り絞り、身体を少しだけ起こした。すぐにフェルドラルが支えてくれる。


「姫様と一度契約を結んだことで、あの猫と小人の契約は切れています。まぁ、もっとも、小人との関係も互いの協力を約束しただけのものでしたから、契約と呼ぶほどのものでもなかったと思います。姫様が気になさる必要は全くございませんわ」

「……そうですか」


 そうなってくると、今のセフェルは契約主を持たない、ただの妖精ということになる。誰の庇護下にもない存在だというのなら、ガインを止めなければ本当にセフェルは──。


 ルーリアがベッドから下りると、フェルドラルは慌てた様子で止めに入った。


「姫様、強引に契約を切りましたので、まだお身体への負担が大きく残っております。他人の心配より、ご自分のお身体を大切にしてくださいませ」

「わたしが行かなければ、お父さんを止めることは難しいと思います。……それに、わたしにはセフェルさんにお願いしたいことがあるんです」


 セフェルの使うまじないだけが自分の呪いを解くヒントに繋がるというのなら、それは絶対に守らなければならない。もしそれを失ってしまったら、きっとガインは後悔する。

 そのことを伝えると、フェルドラルは少し考える素振りを見せた。


「それでしたら、わたくしに良い考えがございますわ、姫様」




 ルーリアはフェルドラルに支えてもらいながら、みんなが集まっているという一階の部屋へ向かった。


 部屋に入ると、ガインとユヒム、ルキニーの話し合っている姿が見える。

 部屋の奥には椅子に座っているヨングがいて、その足元には縛り上げられたセフェルがいた。

 パケルスとクレイアはヨングの近くの床に座り込んでいる。


「ルーリアちゃん! もう動いても大丈夫なのかい?」


 ルーリアの姿を目にしたユヒムがすぐに駆け寄ってきた。その表情を見れば、どれだけ心配してくれていたのかが窺える。


「ユヒムさん、心配をかけてしまってすみません。もう大丈夫です。その、お父さんが暴れて部屋を壊してしまったみたいで……」

「あー、はは。それは気にしなくてもいいよ」


 乾いた笑いで遠い目をするユヒムに、しっかりと謝っておく。


「……それと、お父さんとユヒムさんに大切な話があって来ました」


 ルーリアはユヒムの後ろに立つガインに、チラリと視線を向けた。


「まだ無理はするなと言ったはずだ。話だけなら部屋でも良かっただろう。何の話だ?」


 どうせ猫妖精ケット・シーのことだろう。そう顔に出ているガインは、何を言っても駄目だと断りそうな雰囲気だった。


「セフェルさんのことで来ました」


 やはりといった顔で、ガインとユヒムがその表情を固くする。


「ルーリア、この場に参加する時に約束したことは忘れていないだろうな?」


 厳しい目で見据えるガインを、ルーリアもまっすぐに見返した。


「忘れてはいません。ですが、状況が変わりました。わたしの話を聞いてください」


 自分の意見をちゃんと伝えて、それから決めてもらいたい。ルーリアはギュッと自分の手を握りしめた。


「……いいだろう。話を聞こう」


 すでに決定している考えを覆すのは難しい。

 セフェルがこれからの自分にとって必要な存在となることを、ルーリアはガインに一生懸命に伝えた。この身体の呪いを解くためには、セフェルのまじないは欠かせない。


 フェルドラルも援護するように、ルーリアの話に言葉を付け足してくれた。

 妖精であるセフェルは従属させればいろんな場面で役に立つ。ガインが一番気にするであろう安全性についても、フェルドラルは難なく語って聞かせた。


 ガインを相手に交渉する時は、可哀想だからと感情に訴えても意味はない。ルーリアとフェルドラルはセフェルの命乞いを一度もしなかった。森にいた頃のままだったら、真っ先に『助けてあげて』と言っていたことだろう。

 この屋敷に来てから学んだ駆け引きを含むルーリアの話に、ガインとユヒムは素直に感心した。


 そして。


「そこまで言うなら、やりたいようにやってみればいい。フェルドラル、妖精のことはお前に任せるぞ」


 ガインはしばらく考え込んでいたが、ルーリアの意見を認め、セフェルの生命を預けることにした。


「姫様が望まれているのです。そちらは引き受けましょう」

「お父さん、ありがとうございます」


 ……本当に良かった。


 ルーリアは心の中でそっと胸を撫で下ろし、その足でヨングの所へ向かった。


「ヨングさん、セフェルさんのことで少しお話を聞かせてもらってもいいでしょうか?」

「えぇ、もちろんですとも」


 話を聞くと、ヨングはセフェルとの別れを済ませておくよう、ガインに言われていたらしい。

 その考えが変わったこと伝えると、ヨングは喜び、小さな生命を救ってくれたルーリアにセフェルを託したいと申し出た。


 セフェルは路地裏で行き倒れていたところをヨングが拾い、行く所もないからと、そのまま面倒を見ていたらしい。

 いくらガインと旧知の仲とはいえ、大切に育ててきた娘に対し、無謀なイタズラを仕掛けたセフェルを庇うことは出来ないと、ヨングは諦めていたそうだ。


 ヨングと話し終わったルーリアは、フェルドラルと一緒にセフェルの前に立った。

 離れた所から、ガインとユヒムはその様子を見守っている。


「セフェル、姫様に伝えるべき言葉があるはずです」


 フェルドラルが凍りつくような冷たい目でセフェルを見下ろす。すっかり怯えた様子のセフェルは毛を逆立て、耳をペタッと後ろに下げてぷるぷると震えていた。

 涙で潤んだ緑色の瞳でルーリアを見上げ、かすれた小さな声を出す。


「……ご、ごめんにゃさい。……ごめんにゃさいぃ……」


 !! な、なに、この可愛い生き物!?


 ルーリアは衝撃を受けた。

 その場はものすごく緊迫しているというのに、めちゃくちゃセフェルが可愛い。今すぐにでも抱きしめたい衝動と、それを我慢しなければいけない理性が頭の中で殴り合っていた。


「セフェル。あなたは本来なら、その場で殺されても文句の言えないことを姫様にしたのです。姫様に忠誠を誓って従属するか、その短い生涯をここで終えるか。好きな方を選びなさい」


 小さな身体でフェルドラルの言葉を受け止め、セフェルは潤んだ瞳でルーリアを見つめる。


「にゃぅ。姫様にお仕えさせてください」


 地面に伏せるように頭を下げたセフェルに、フェルドラルは満足そうな笑みを浮かべた。


「んふ。では、姫様。さっそく妖精との従属契約と参りましょう」


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