第86話 もどかしい魔力屋


 はわゎっ、ここ、どこ!?


 残念ながらルーリアは方向音痴だった。

 逃げている途中で道に迷い、あっさりガインに捕まってしまう。セフェルごとぷらーんと脇に抱えられ、元いた部屋に逆戻りだ。


「この屋敷の中でさえ迷うんだぞ。祭りになんて行けると思うか?」

「……ですね。心配です」


 ガインとユヒムの口ぶりは、ルーリアに祭り見物なんて無理だろうと言っているようなものだった。もちろんルーリアだって、自分が行けるなんて思っていない。


「……むぅ。ちょっと道に迷うくらい別にいいじゃないですか。どうせお祭りには行かないんですから」


 頬を膨らませ愚痴をこぼすルーリアに、ガインは不思議そうな顔を向けた。


「なに言ってるんだ、ルーリア。たった今、呪いを解くための切っかけが分かったばかりじゃないか」

「……え?」

「街道も屋敷の中も、今から覚える練習をすればいいだけだよ、ルーリアちゃん」

「……え?」


 この二人の反応って、もしかして……。


「……あ、あの。まさかとは思いますけど、二人ともわたしが学園の課題を受けるなんて思っていないですよね?」


 そろっと窺うように見上げれば、二人は取り繕ったような爽やかな笑顔を並べている。


「やっと手に入れた手掛かりだぞ? まさか試しもしないで諦めるとか言わないよな?」

「大丈夫だよ、ルーリアちゃん。春までは、まだたっぷり時間はあるから。もし課題をこなすのが難しそうなら……国王に裏から手を回すか」


 ……ちょっ!? 爽やかな笑顔で、ユヒムさんがものすごく黒いことを言っているんですけど!?


「諦めるのは、やるだけやった後の話だ」

「……えぇー……」


 どうやら二人の中では、すでに課題を受けることは決定しているようだ。


 その後、ガインとユヒムが話し合い、まじないで示された神のレシピの課題発表と、学園の菓子学科への入学を目標にルーリアは動くこととなる。

 もちろん選択権なんてルーリアにはない。

 というより、周りが自分のために動こうとしてくれているのに反対だなんて、とても言い出せる状況ではなかった。


 菓子作りの経験も知識もほとんどないのに、いくら何でも無茶すぎる。まさか自分が、神のレシピの課題に挑戦することになるなんて。


 先のことを考えても不安しか残らない。

 ルーリアは一人、途方に暮れた。



 ◇◇◇◇



「ヨングさん、セフェルとの契約は無事に終わりました。……あの、本当に良かったんですか?」

「ええ、もちろんですとも。セフェルや。これからはこのお嬢さんが、お前さんの大切な人になるんだよ。しっかりおやり」

「にゃい」


 部屋に戻ったルーリアが結果を伝えると、ヨングはいくつかのアイテムを渡し、別れを惜しむようにセフェルの頭を撫でた。


「おう、なんだ。婆さん、嬢ちゃんに猫を売ったんか?」


 休憩ついでにルーリアたちの様子を見ていたパケルスが口を挟む。


「ひゃひゃ、馬鹿なことをお言いでないよ。セフェルが自分で主を選んだだけのことさ。妖精の売買なんざ、怖くて手が出せたもんじゃないさね」

「ふん、業突く張りのお前さんがよく言うわい。どうせ大方、その嬢ちゃんに当たりをつけて縁でも売りつけたんだろうさ」


 二人の乱暴な物言いにケンカが始まったのかと慌てたが、そうではないらしい。ガハハと、パケルスは豪快に笑っている。

 シャルティエの言った通り、話し方一つでも受ける印象は違うんだなぁ、とルーリアはポカンとした顔で眺めていた。すると、


「一つ尋ねたい。お前は人族なのか?」


 突然、頭の上から低い声が降ってきた。

 いつの間に横に来ていたのか、紅い巨体が見上げた視界に映る。

 火蜥蜴サラマンダーのクレイアが蛇のような黄色い目でルーリアを見下ろしていた。


 ──っ!


 息を呑んで固まった表情になったものの、叫び声を上げなかった自分を褒めてやりたい。

 クレイア自身にも驚いたが、その質問の内容にルーリアの心臓はドキリと跳ね上がった。

 まさかハーフエルフであることがバレたのだろうか? 冷や汗が流れ、答えに詰まる。


「ああ、済まない。もしかして怖がらせてしまったか?……大丈夫か? 泣くのだけは勘弁してくれ」


 困った声のクレイアは、そう言って少しだけ距離を置いた。


 ……あ、れ? 良い人そう?


 大きく裂けた口から覗く白い牙は食べられたりしないか不安になるけど、不思議とその声は優しい。ついノド元まで『わたしは美味しくないですよ』なんて台詞が出かかっていた自分が恥ずかしい。


「わ、わたしは人族ですけど。クレイアさんには違って見えるんですか?」

「見た目は普通の人族だ。……だが、それ以外がな」


 ……それ以外?


「なんだ、クレイアも気付いとったか。おう、ヨング。この嬢ちゃんはいったい何だ?」


 言葉を濁したクレイアの話を引き継ぐように、パケルスがヨングに問いかける。


「あなた方、姫様に無礼を働くことは許しませんよ。それと、勝手に魔力を覗き見ることも止めていただけますか」

「ああ、悪い。相手の魔力を見てしまうのは職業柄なもので悪気はない。気に障ったのなら済まなかった」


 フェルドラルがルーリアを庇うように間に入ると、クレイアは軽く頭を掻いた。

 そんなルーリアの話題をガインが見逃すはずがない。透かさずパケルスの問いに質問を被せる。


「ヨング、魔力のことは俺にはさっぱり分からん。ルーリアの魔力が人族に見えないと言うのなら、どう見えているんだ? 教えてくれ」

「……そうでございますねぇ。そのお嬢さんは見た目は人族でも、中身が違うものに見えております。例えるなら、人族に化けた魔族とでも申しましょうか。他のどの種族よりも魔に近いものを感じるのでございます」

「なッ! 魔だと!?」


 驚きに満ちた目でガインはルーリアを見下ろした。

 エルフは本来、聖属性だ。それが魔族のようだと言われたのだから無理もない。


「それは……俺も魔族に見えているということか?」

「いいえ、そうではございません。恐らくではございますが、これもお嬢さんに掛けられている呪いに起因しているものかと」

「…………これも、なのか」


 属性が真逆の種族に見えてしまうほどの強い呪い。

 ガインは苦い物を噛み潰した顔で考え込んだ。


「これを完全に人族に見せるにはどうすればいい? 何か良い方法を知らないか?」

「人族に。……そうでございますねぇ」


 人族を人族に見せる方法を尋ねるなど無茶ぶりもいいところだが、ヨングは思い当たるものがあるような顔となった。


「あぁ、そうそう。ございますよ、良い方法が。ただその方法ですと、お嬢さん本人による手作業が必要となるのでございますが」

「手作業?……調合か? それなら大丈夫だ。材料は?」

「材料は当店にも扱いがございますので、そろえるのは容易でございます。レシピごととなりますと、少々値が張るのですが……」

「金なら問題ない」

「ひゃひゃ、愚問でございました。では、そのように手配させていただきましょう」


 すんなり商談がまとまると、パケルスはヒュウッと口笛を鳴らす。


「噂通りだな、蜂蜜屋。ヨングのとこの商品を値も聞かずに即決するなんざ、正気の沙汰とは思えねぇ」


 大きくニッと笑うパケルスに、ガインは不敵な笑みを返す。


「俺は金に執着も興味もない。それを使うことで信用の出来る物が手に入るなら、惜しむ必要なんてどこにもないだろう」


 それを聞いたパケルスは、ガハハと痛快に笑う。


「随分と気前の良いことを言うもんだ。お前さんみたいな商人、見たことねえ。気に入った! 懐に入ってる魔術具を貸しな」


 なぜここにあることを知っているのか。

 ガインは首を傾げながらも懐から魔術具を一つ取り出し、それをパケルスに渡した。


「だいたい男ってーのは、何でも懐に入れようとするもんだ」

「……なるほど」


 渡したのは転移の魔術具だ。

 パケルスは片目を細め、見定めるように魔術具を手にする。


「……ほう。これを作ったヤツは、お前さんにひどくご執心のようだな」

「どういう意味だ? 俺は詳しいことは分からんぞ」

「この魔術具が、お前さんのためだけに作られたもんだってことだ。普通、この手のもんは値が張るから、家族なり誰かと共有して使うもんなんだ。それをわざわざ、こんな複雑な仕様にしてんだ。これを作ったヤツは、よっぽどお前さんを気に入ってるヤツなんだろうよ。……男か女かは知らんがな」


 パケルスがニヤリと笑うと、ガインは少し照れた顔で「そうか」と返した。もちろん作ったのはエルシアだ。


「そうだな。白と黒、7から8ってとこだ」


 パケルスから魔術具を受け取ったクレイアは、大きな革袋から白い魔石を取り出した。

 光属性の魔力が込められた魔石だ。

 それを魔術具の魔石にピタリと押し当て、魔力を移していく。

 魔石の魔力が空になったら、黒い闇属性の魔石と交換だ。そしてまた白、黒……と繰り返し、8個目の魔石を使ったところで魔法陣が光って魔石に吸い込まれた。これで魔力供給は完了らしい。


 こうして見ると、魔力屋は時間と手間のかかる大変な仕事のようだ。直に魔力を流せば一瞬で終わることを知っているから、つい見ていてもどかしくなる。

 クレイアから再び使用可能となった魔術具を返され、ガインは戸惑った顔となった。


「まぁ一回分だ。お前さんと取引するには信用が必要なんだろ? また会うことがあったら、その時は贔屓ひいきにしてくれや」


 そう言ってパケルスは片目をバチッと閉じ、ニッと口の端を上げた。


「分かった。今回は有り難く使わせてもらうとしよう」


 商人が自分の仕事を売り込み、取引や繋がりを作っていくところを目にして、ルーリアは感心する。フェルドラルの影に隠れて見ているようでは、自分にはまだまだ真似できそうもないが。


 その後、明日には材料とレシピをこの屋敷に届けると言い残し、ヨングはサンキシュへ帰った。

 それなりに難しいレシピらしいが、ルーリアの調合レベルなら大丈夫だろうとヨングは言う。

 別れ際に「セフェルをよろしく」と頼まれたルーリアは笑顔でそれに応えた。


 屋敷に残ったパケルスとクレイアは泊まり込みで仕事をするらしい。ルキニーが呼びに来ると、二人は部屋を出て行った。


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