第73話 人の噂と商人の顔


 シャルティエとの商談が終わり、フィゼーレとルキニーは執務室へ向かうため、ルーリアたちと別れた。


「じゃあ、シャルティエ。行きましょう」

「うん」


 ルーリアはシャルティエを連れ、お茶会をしていた部屋に戻った。

 ユヒムとアーシェンに初めての友達となったシャルティエを紹介したかったのだ。


「……あ、お菓子が……」

「あら、もう話は終わったの?」


 あれほどあったお菓子は綺麗に片付けられ、ユヒムとアーシェンがのんびりとお茶を飲むだけとなっている。

 その光景にしょんぼりとしたルーリアを見て、アーシェンはくすりと笑った。


「食べたいお菓子があったなら、フィゼーレに言えばいつでも出してくれるわよ。それより、その可愛らしい方を紹介してくれるかしら?」

「っあ、は、はい」


 そうだった。今はお菓子よりシャルティエだ。


 自分の分かる範囲でシャルティエを紹介し、ルーリアは今回の商談の結果を伝えた。

 すると二人は、とても驚いた顔でシャルティエをじっと見つめる。


「なるほどね、キミがセルトタージュの娘さんかぁ。ガイン様相手に、初対面でよくそこまで話を持ち込めたね」


 先に感心した声を上げたのは、シャルティエと魔虫の蜂蜜の取引をしていたといっても、ほとんど面識がなかったユヒムだった。

 取引の時は、いつもフィゼーレやルキニーが間に入っていたらしい。


「その魔術具の装着、親には相談しなくて良かったの?」


 手首にある許可証を見て、アーシェンが心配そうに声をかけると、シャルティエは晴れやかな笑顔を返した。


「全っ然、問題ないです。自分の道は自分で選ぶように言われて育ちましたので」

「そう。見かけによらず、割とたくましいのね」

「ダイアランでも有名なケテルナ商会とビナーズ商会のお二人とご一緒できるんですもの。迷う必要なんてどこにもないわ」


 迷いや後悔なんて微塵もない。そんなことより二人に会えたことの方が嬉しいと話すシャルティエに、ユヒムとアーシェンはちょっと照れた顔となった。

 ルーリアが知らないだけで、二人はダイアランの商人たちの間ではとても有名なようだ。


「……あの、シャルティエ。今のはユヒムさんたちのお店の名前ですか? ケテルナ商会とビナーズ商会って」

「えっ。ルーリアは二人の屋号を知らないの? 何で?」

「何でと言われても。やごうって、何ですか? お店の名前のことをそう呼ぶんですか?」

「えぇー……」


 商売のことを何にも分かっていないルーリアを、シャルティエは意外そうな顔で見つめた。

 あとから聞いた話だけど、シャルティエも魔虫の蜂蜜屋の娘はもっと年上だと思っていたらしい。


「わたしは二人が家に訪ねてきた時の、行商人としての姿しか知らないんです。世界中のいろんな所へ行って、物を届けたりしているとは聞いたことがありますけど。どんな仕事をしているのか、何となくでしか知りません。わたしがこの屋敷に来たのも、家のある森から外に出たのも、今回が初めてで……」

「えっ、外に出たのが初めて!? どれだけ箱入りなの、ルーリアは!?」


 商売だけでなく、当たり前のことも知らなそうなルーリアに衝撃を受け、シャルティエはガインに説明を求めるような目を向けた。


「いずれ分かることだから先に言っておくが、ルーリアは一日の内、陽の当たる時間帯の6時間ほどしか起きていることが出来ない体質だ。夕方から朝までは眠ってしまう。だから今まで家から出ることはなかった。今回ここにいるのは、いろんな偶然が重なったに過ぎない」


 ガインの話にルーリアは俯いて目を伏せる。


 短い時間しか起きていられない。

 そんな話を聞けば、きっと変な目で見られたり、気味悪く思われてしまうだろう。


 ……せっかく友達って言ってもらえたのに。


 しかし、落ち込むルーリアを見つめるシャルティエは、なぜか目をきらきらと輝かせた。


「それが、ルーリアに掛けられたっていう呪いなんだね。……噂は本当だったんだ」


 ……え。噂……?


 思わぬシャルティエの呟きに、ルーリアは首を傾げながら顔を上げる。


「その、ルーリアは……キスしてくれる人を待ってるの?」


 ………………え゛っ?


「……あの、キス、してくれる人って……何の話ですか?」


 真顔でルーリアが目をぱちくりすると、シャルティエも同じように目をぱちくりさせた。


「ルーリアには、愛してくれる人のキスで呪いが解ける魔女の呪いが掛けられているんじゃないの?」


 …………なんですか、その怖い噂。


 すぐに反論しようとしたルーリアだったが、その話に一番に反応したのはガインだった。

 ものすごい速さでガッチリとシャルティエの肩を掴み、ルーリアでもゾッとするような恐ろしい笑みを浮かべている。

 すごく爽やかなのに、動いたら殺されそうな笑顔だ。


「……シャルティエ。詳しい話を聞こうじゃないか」

「ひッ!?」


 怯えた顔で固まるシャルティエ。

 とんだ娘馬鹿をシャルティエから引き剥がそうと、フェルドラルは後ろからガインを羽交い締めにした。その隙にシャルティエはガインの手から脱出する。


「いたいけな少女を怯えさせるなんて、何を考えているのですか、貴方は!?」

「やかましい! 大事なことだ。離せっ!」


 その様子を冷やかな目で見ていたアーシェンは、ゆっくりとガインの前に立ちはだかった。


「……ふぅん。娘と同じくらいの子を怖がらせるなんて、いい趣味をお持ちですねぇ。ねぇ、ガイン様?」


 アーシェンはアーシェンで、また別の怖さを含んだ笑みを浮かべていた。背筋がひやりとする。

 ユヒムとルーリアは気配を消し、そっと距離を取った。


「アーシェン、お前は知っていたのか? くそっ、商人たちに会わせるんじゃなかった。そんな噂が広まっているなら、俺は今すぐルーリアを連れて帰る」

「連れて帰ってどうなさるんですか? まだエルシア様も戻られていないというのに。どうやって中に入るおつもりですか?」

「……ぐっ」


 アーシェンの正論にガインが押し黙る。


「見苦しい。貴方は早々に子離れという言葉を知るべきですわ」


 残念そうに呟くフェルドラルとアーシェンの口撃に挟まれても、ガインは「もう商人たちには会わせん」と言い張る。

 そんなやり取りを見てポカンとしていたシャルティエに、ユヒムは苦笑いを向けた。


「えっと、ここはいつもこんな感じだよ。まぁ、すぐに慣れると思うけど。気にしないで」

「え、あ……はい。わ、かりました」


 そう返事をして気を取り直したシャルティエは、その場から逃げるように、すすっとルーリアの隣にやって来た。


「ガインさんは誰にも見せたくないくらい、ルーリアのことが好きなんだね。余計なことを言わないように今度から気をつけなくちゃ」

「……うーん。好き……。どうなんでしょう?」


 大切にされているのは分かるけど、ガインから好きだなんて言われたことは一度もない。嫌われるのが怖い、なら聞いたことはあるけれど。


「でも、これじゃ、ルーリアの呪いが解けるのは、まだまだ先になりそうだね。キスの邪魔をしてきそう」


 ……あ、まだ言いますか。


「あの、シャルティエ。その噂って、いったい誰から聞いたんですか? そんなの嘘に決まっているじゃないですか」

「えー、そうなの? 私が聞いたのは……んー、どこでだったかなぁ。忘れちゃった」


 てへっと笑って誤魔化すシャルティエは、その話が嘘か本当かなんて気にしていないようだった。

 どうやら人族はルーリアが思っている以上に噂というデタラメな話が好きらしい。

 自分には、あとどれくらいそんな噂があるのか。ルーリアは一気に頭が痛くなった気がした。


 ガインとアーシェンが言い合う姿を遠目に見つつ、商談の場でも話題に出したマリクヒスリクの噂について、シャルティエはユヒムに尋ねる。


「あの、ユヒムさんがお菓子のお店を開く準備をしているかも、って噂で聞いたんですけど。ケテルナ商会は菓子業界にも手を延ばすつもりなんですか?」

「えぇっ。そんな話、いったいどこから?」


 真面目な顔をしたシャルティエに探るような目で見られ、ユヒムは慌てる。その表情から目を離さないようにしながら、シャルティエは答えた。


「マリクヒスリクの鍛冶職人からです」

「……鍛冶職人。あぁー、なるほどね」


 たったそれだけで、ユヒムにはその噂の出処が分かったようだ。


「それは完全に誤解だよ。オレの仕事じゃなくて、実はある人からそういう発注があってね。お店用じゃなくて、個人の注文らしいけど」

「個人? あれが?」


 まるでその場を見てきたかのようなシャルティエの物言いに、ユヒムは目を細め表情を変えた。


「もしかして……内容まで知ってるのかい?」


 それは感情を消したような、見たことのない冷たい印象の顔で。


 ……えっ。…………ユヒム、さん?


 いつもニコニコしているか、困った顔しか知らないルーリアは、初めて目にしたその表情に戸惑いを感じた。そんな顔のユヒムを見て、シャルティエはニコッと笑う。


「鍛冶職人の名誉のために言いますけど、そのお店の職人がペラペラと話した訳でも、その作業の現場を見た訳でもありません。私個人の情報網からの推測と、経験からの話です。魔虫の蜂蜜屋がお菓子のお店を開く噂があるってフィゼーレさんに話したら、それは恐らくユヒムさんの仕事だろうって情報をもらったんです」


 はぁ、と息を吐いて肩を落としたユヒムは、いつもの困った顔に戻っていた。


「……決め手はフィゼーレか。まだまだだな。それにしてもよく気付いたね」

「お菓子作りに関わることなら、どんな些細なことでも見逃しませんから。もちろん誰にも話してませんし、今回の商談がなかったとしても、それだけは伝えて帰ろうと思ってました」

「……そうか、助かるよ。ありがとう」


 二人の何かを探り合うような会話に、ルーリアは置いてけぼりだった。シャルティエたちは分かり合ったような顔をしているが、何の話をしているのか、さっぱりだ。


「あの、何がどうなった話なんですか?」

「今のはね、フィゼーレが商人としてまだまだ甘いって、シャルティエさんが教えてくれたんだよ」

「えっ、フィゼーレさんが!?」


 今の会話のどこにフィゼーレの落ち度があったというのか。商人の顔を持たないルーリアには、ユヒムたちの駆け引きが全く分からなかった。


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