第74話 ミツバチの養蜂計画


 シャルティエがユヒムに話していた内容は、商人流に読み取ると、マリクヒスリクの鍛冶職人から魔虫の蜂蜜屋への情報が繋がり漏れる可能性がありますよ、といった忠告だったらしい。


「フィゼーレはシャルティエさんがカマをかけた言葉に引っかかったんだよ」

「カマ、ですか?」


 ユヒムが出した鍛冶職人への依頼は、魔虫の蜂蜜屋に繋がるような注文ではなかった。

 なのにフィゼーレは、シャルティエの『魔虫の蜂蜜屋が』の言葉に反応して、蜂蜜屋とは関係ないと言いつつも、それがユヒムの仕事であると認めてしまった。


「オレの仕事となると、ルーリアちゃんの蜂蜜屋を連想する商人は多い。本当なら『知らない』と答えるべきところで、フィゼーレは言葉を間違えた。蜂蜜屋を庇う気持ちが先に立ってしまい、結果として与えてはいけない情報を相手に渡してしまったんだ」

「……与えてはいけない情報?」

「オレが関わっている仕事を人に教えてしまったことだよ。もし他の商人にその情報が伝わったとしたら、どうなると思う?」


 澄んだ水色の瞳が鋭さを増す。ユヒムはいつの間にか商人の顔になっていた。


「……わたしには分かりません」

「その商人が『鍛冶屋の依頼品は魔虫の蜂蜜屋の注文だ』と考えたとしよう。もしその商人が悪い人物なら、鍛冶職人に対する買収や脅迫があるかもね。そして注文の品に何らかの細工をして、魔虫の蜂蜜屋の場所を割り出したり、あるいは依頼品を爆発物に入れ替えたり……と、良くないことをする可能性もあるんだ」

「そんな……っ!」


 シャルティエはケテルナ商会おかかえの鍛冶職人が、菓子店を開けるほどの注文を受けたという噂を耳にして、偶然にもその動きに注目していたらしい。


 でも、他の商人たちはどうしてそんなことを?


 爆発物ということは、単に魔虫の蜂蜜を盗むためではないと思う。何らかの恨みを持つ人物がいるという意味だと思うけど、なぜ?


 勇者パーティは悪人から恨まれることが多い。

 ガインが裏切り防止の魔術具を使ってまで情報を隠しているのは、エルシアを安心させるためだとルーリアは思っていた。

 だからエルシアの家族としての情報を外に漏らさないように言われ続けていたのだと。


 まさか、それとは別に魔虫の蜂蜜屋まで狙われていたなんて。


 人の悪意が自分たちに向けられているかも知れないと気付いたルーリアは、その顔を青ざめさせた。

 アーシェンが何度も口にしていた『人を疑え』とは、そういう意味でもあったのだ。


「……な、なんでそんなことに? ウチの蜂蜜はそんなに特別な物なんですか?」

「お金の心配をしていたくらいだから、ルーリアちゃんが本当の意味で、いろんな物の価値を知らないことは分かっているよ。でも、自分が置かれている状況を知ってもらうためにも、もうそろそろお金のことは知っておいてもいいと思うんだ」

「……お金のことは、お父さんに聞いても、いつもはぐらかされていましたから」


 たぶん家にいたままだったら、ずっと教えてもらえなかっただろうし、聞いても何も実感できなかったと思う。

 だけど外に出た今なら、ガインに聞いても教えてもらえるような気がした。


「アーシェンやフェルドラルさんからは、いろいろ言われてるみたいだけど、ガイン様はやっぱりルーリアちゃんのことが心配なんだよ。だから守りたい気持ちの方が大きくなって、危険に繋がる話からは遠ざけたくなるんだと思う。決してルーリアちゃんをないがしろにしたり、除け者にしている訳ではないから。そこだけは分かってあげて欲しいかな」


 ユヒムはそう言って優しく微笑んだ。


「はい。それは分かっていま──」


 パンッ!!


 突然、隣にいたシャルティエが手を合わせ、大きな音を立てた。その場にいた全員の動きが止まり、視線が集中する。


「私、いいこと思いついたかも!」


 ふわりとピンク色の髪をなびかせ、シャルティエは言い合うアーシェンとガインの横に立った。


「そんなにルーリアのことが大好きなんでしたら、ガインさんがキスをしてみればいいんですよ。案外、簡単に呪いが解けるかも知れませんし。アーシェンさんと言い合うくらいなら、試してみればいいじゃないですか。…………って、どう?」


 とんでもないことを口にしたシャルティエは、満面の笑みで振り返った。



 …………どう、って…………。



 それは、ない。

 シャルティエ以外の、全員の心が一致した。

 お蔭でそれ以降、その場でその噂について口にする者は誰一人としていなくなったけど。


「せっかく良いアイディアだと思ったのになー」


 みんなを黙らせてルーリアの隣に戻ってきたシャルティエは、誰も賛成してくれないと、ぷくっと小さく頬を膨らませる。


 …………本気だったの、シャルティエェ。


 なんて恐ろしい子。



 その後、シャルティエは相談や仕事の話があるとかで、ユヒムやアーシェンと共に何もなかった顔で商談部屋へと向かった。


 その場に残されたのは、ガインとフェルドラルとルーリアの三人だけ。今は使用人たちもいない。


「……」

「……」


 …………な、何か、気まずいんですけど。


 シャルティエが変なことを言ったせいで、ルーリアとガインは微妙な空気になっていた。

 続く沈黙から逃げたくて、何でもいいからと、ルーリアは気になっていたことを口にする。


「あの、フェルドラルはどうしてメイドのふりをしているんですか?」


 商談に付いて来てシャルティエを見るだけだったら、わざわざ着替える必要はなかったと思う。

 自分に興味を持たれて嬉しかったのか、フェルドラルはフッと笑った。


「姫様、わたくしは思い出したのです」

「……何をですか?」

「以前、メイドが欲しいと神が言っていたことを、ですわ。あの神が望むほどなのですから、姫様のお傍でお仕えするのにちょうど良いと思ったのです」

「……え、神様が? メイドを?」


 本当でしょうか?

 ちょっと信じられないんですけど?


「そういえば、フェルドラルは神様にお会いしたことがあるんですよね? どのような方なのですか?」


 そう尋ねると、フェルドラルは遠い目をした。


「神は、ひと言で言えば、変な人です」

「お前がそれを言うのか」

「さすがにそれは不敬なのではないですか?」


 透かさず突っ込むガインとルーリアに、フェルドラルは薄く笑う。


「いいえ、姫様。神は敬われるよりも、本音の会話を好む方なのです。思っていることを隠すより、口にする方が喜びますわ」

「本音で?……そうなんですか?」

「ええ。どうせ神には全てお見通しなのです。言葉を飾ったところで意味はございません」

「……そう言われてしまうと何も言えませんね」


 スキルを使えばエルシアにも出来るくらいだ。

 人の心を覗くことなど神には造作もないのだろう、とガインとルーリアは納得する。


「……神、か。人の運命も好きに決めているんだろうな」


 誰に向けて話すでもなく、独り言のようにガインは呟いた。


「いいえ。人の運命は神であってもどうにも出来ません。『人の宿命は変えられない。運命は出会いや本人の努力でどうとでも変わる。自分はそれを見守る使命を持って、この世界にいるだけだ』……神がよく言っていた言葉ですわ」


 万能だと思っていた神にも出来ないことがあると聞き、ガインは驚きで顔を上げる。


「神が全てを決めているんじゃないのか?」

「神であっても限りはあります。……何でも出来る訳ではないのですよ」


 憂う瞳を伏せるように、フェルドラルは静かにそう言った。

 ガインはわずかに目を細め、何かを思うように「……そうなのか」と声を落とした。




 それから少し経ち、部屋に戻ってきたシャルティエは何枚かの紙を手にしていた。


「何の話をしていたんですか?」

「ユヒムさんとアーシェンさんに手伝ってもらって、私なりにミツバチの養蜂計画書を作ってみたの」


 得意そうな笑顔を浮かべ、シャルティエは手にあった紙を二枚ずつ、ルーリアとガインに手渡す。


「ミツバチの、養蜂計画書?」

「そう。一枚目には私の方で用意する物を、二枚目にはルーリアにしてもらいたいことを書いたから確認してちょうだい」


 渡された紙には、ミツバチの養蜂に必要な物や、育てる時の注意事項が細かく書かれていた。


「準備する物はこれでいいと思うが、これだけそろえるとなるとシャルティエの負担が大きいんじゃないか?」


 ひと通り紙に目を通したガインが心配そうに尋ねる。

 しかし、シャルティエは自信たっぷりに微笑んだ。


「実は私、ミツバチの養蜂場をいくつか持っているんです。だから必要な道具やミツバチは、すでに全部そろっています」

「えぇっ! シャルティエも蜂蜜を作っていたんですか!?」


 なんと。友達になれただけでなく、同業者でもあったなんて……!

 ルーリアはシャルティエと出会えた幸運に心から感謝した。


「ルーリアの蜂蜜を初めて食べた時、衝撃を受けたって言ったでしょ。それで自分でも同じような蜂蜜を作れないかって、ミツバチで養蜂を始めてみたの」


 軽く目を伏せ、過去の自分を見つめるようにシャルティエが話し出す。


「もちろん始めたばかりの頃は失敗ばかりで、それでも諦めずに何回も試して。やっと蜂蜜が採れるようになっても満足のいく味にはならなくて。だから、いろいろやり方を変えたりして何度も何度も挑戦してみたの」


 シャルティエはちょっとだけ照れたような顔をして、それからまた視線を落とした。


「……でもね、いくらやってみてもルーリアの作る蜂蜜の味には届かなかった。だから私は今回、ルーリアがここに来ているって聞いて、『絶対に会おう』って決心して飛び出してきたの。この国で一番の菓子職人になるって決めていたから、絶対にこのチャンスを逃したくなかったの」


 そうじゃなければ、ただの菓子屋の娘がケテルナ商会の当主の屋敷に乗り込んだりはしない。そう言って、シャルティエは自分の無謀さを笑った。


「それにね、魔虫の蜂蜜を使ったことで、薬が嫌いな子供にもウチのお菓子は人気があったんだよ。美味しく病気を治せるなんて、すごいと思わない?」


 その話に黙って耳を傾けていたガインは、聞き終わるのと同時に申し訳なさそうな顔をシャルティエに向けた。


「……済まない、シャルティエ。俺はお前のことを誤解していた」

「えっ」


 突然のガインの謝罪に、驚いたシャルティエは目を瞬く。


「シャルティエが魔虫の蜂蜜を菓子作りに使っていると聞いた時、俺は何の苦労も知らない娘が、自分の趣味や道楽のためだけに蜂蜜を使用しているのだと思っていた。だが、それは俺の勝手な思い込みだった」


 シャルティエもルーリアと同じように、自分に出来ることを一生懸命に頑張っていた。

 養蜂は裏方とも呼べる仕事だ。どんなに影に苦労があったとしても、商品以外は誰の目にも留まらない。

 同じことに何度も挑戦することは決して楽なことではない。諦めずに強い気持ちを持ち続けることも簡単なことではなかったはずだ、とガインは言う。自分しか知らない努力を認めてくれたガインの言葉が、シャルティエの胸に優しく響いた。


 自分の視界が薄らとにじむのをシャルティエが感じていると、隣にいるルーリアの瞳にも込み上げてきたものが光っているように見えた。

 人のことなのに、自分のことのように心を動かしてくれる。そんなルーリアと友達になれたことが、シャルティエには何より嬉しかった。


「今のシャルティエの話を聞いて、俺は自分に出来る限りのことをしてやりたいと思った。ルーリア、シャルティエ。思うように精一杯やってみるといい。俺はお前たちのことを応援する」


 シャルティエが一瞬だけ、自分の両目を手で押さえた。ぐいっと目元を拭い、次に顔を上げた時には誇らしそうな笑顔に変わる。

 ルーリアもシャルティエに負けない笑顔を浮かべ、元気に声をそろえて「はいっ!」と返事をした。


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