第72話 初めての友達


 ガインが考えている間、ルーリアはシャルティエにいろいろ尋ねてみることにした。


「この国で一番の菓子職人って、どうやってなるんですか?」

「それはもちろん、学園の菓子学科を選択して、ひたすら勉強するのよ」

「学園で勉強……」


 前にアーシェンから聞いたことがある。

 ダイアランの首都の学園に、お菓子や料理の作り方を教えている学科があると。


 自分は今、その首都にいる。

 外の世界にいることにまだ実感が持てていなかったから、お伽噺とぎばなしの中にでも迷い込んでしまったような、とても不思議な気持ちになった。


「この近くにあるんですか?」

「学園はこの街の中心にあるわ。ここからだと、ちょっと遠いかも。私は次の春に神様のレシピの試験を受ける予定なの」

「神様のレシピの……試験?」

「それに合格しないと学園には通えないの。だからこの冬は試験に向けて、お菓子作りの特訓をするつもりよ。……あ、そういえば」


 シャルティエは何かを思い出したように、急に話題を変える。


「これは噂なんだけど。魔虫の蜂蜜屋がお菓子のお店を出すかも知れないって、マリクヒスリクの鍛冶職人から聞いたんだけど。……本当?」

「えっ、マリク、ヒスリク? 鍛冶職人?」


 マリクヒスリクは確か、ダイアランの東隣にある国だ。またの名を、機械の国。

 どうしてそんな離れた所でウチの噂が広まっているのだろう?


 何か知らないかガインに聞こうとすると、それより先にフィゼーレが答えた。


「それは恐らく、兄さんが関わっているお話だと思いますわ。商会では飲食店も経営していますから、そちらの話かと。兄さんが動くと、すぐに関連を疑う方が多いようでして……」

「なぁんだ、そうなんだ。残念。噂が本当だったら良かったのに」


 話を濁すように魔虫の蜂蜜屋とは関係ないと言うフィゼーレの言葉に、シャルティエはがっかりした様子で小さくため息をつく。


「どうしてシャルティエさんは、ウチがお店を出すと良いと思ったんですか?」

「だって、もしそうだったらお菓子作りの話をしたり、一緒に勉強が出来るじゃない?」


 シャルティエと一緒にお菓子作り。

 なんて魅力的な……!


「それは……すごく楽しそうですね。シャルティエさんはどんなお菓子が作れるんですか?」

「んー、焼き菓子なら、だいたい何でも作れるかな。こう見えても、お菓子作りへの情熱なら大人にだって負けないんだから。ウチは亡くなったおじいちゃんも菓子職人だったの。私は小さい頃から、お菓子作りを叩き込まれて育ったんだから」


 えっへん、と言いたげな顔でシャルティエは胸を張る。小さい頃からお菓子作りだなんて、なんて羨ましい。それに比べて……。


「わたしなんて料理もお菓子も、その言葉の存在すら知らずにこの秋まで生きてきました。素直にシャルティエさんが羨ましいです」


 とほほ、とルーリアが項垂れると、シャルティエは目を点にした。


「……えっ? それって、どういう……? 今まで何を食べて生きてきたの?」

「…………それは聞かないでください」


 項垂れついでにガインをチラッと見たけれど、まだあれこれと悩んでいるようだ。


 魔虫の蜂蜜のことで、ガインがいつもどれだけ忙しくしているか。外の世界に出たことで、ルーリアはその苦労を初めて知った。

 そこへ普通の蜂蜜の養蜂まで増やしてしまえば、それはそのままガインの仕事を増やすことになる。

 そう考えると、シャルティエのことがあったとしても、自分のわがままでしかない普通の蜂蜜の養蜂は止めた方がいいような気がしてきた。


 ……残念だけど、今回は諦めよう。


「あの、お父さん」

「……何とかなるかもな」


 ガインが顔を上げ、ぽつりと呟く。


「やってみて駄目だったら諦めてもらうことになるだろうが、やらずに後悔させるようなことはしたくない。お前が自分からやってみたいと言った、初めての仕事だからな」


 ガインは「どうする?」と問いかけるような視線をルーリアに向けた。その目は、やるなら応援すると言ってくれているような力強い目だ。


「……いいんですか?」

「ああ。あとはお前次第だ。……やってみるか?」


 ルーリアはシャルティエと顔を見合わせ、大きく頷いて返事をした。


「はいっ!」



 改めて、ガインはシャルティエに向かい合う。


「シャルティエ、お前に確認しておかなければならないことがある。俺たちにとっては、とても大切なことだ」


 そう言って真剣な目を向けられ、シャルティエは小さくノドを鳴らす。


「何でしょうか?」


 シャルティエの目をまっすぐに見据え、ガインは直接取引をする商人の証となる許可証を取り出し、テーブルの上に置いた。

 エルシアが人族専用に作った魔術具だ。


「これは裏切り防止の魔術具だ。俺たちのことを、これを身に着けていない者に話そうとすると、二度と声が出せない身体となる。……シャルティエ、これを身に着ける覚悟がお前にあるか?」


 重みのある問いかけを前に、シャルティエは魔術具を静かに見下ろした。


「話してはいけない範囲はどこまでですか? 条件を詳しく教えてください」


 シャルティエの硬い声にガインが頷く。


「まずは名前だ。俺と娘の母親、それとそこにいる使用人。その三人の名を人前で口にすることは許可しない。それから、そこに娘を入れた四人の個人を特定できそうな情報、住んでいる場所も禁句だ。このケテルの屋敷と隣のビナーの屋敷、俺たちの家とその周りの一部だけは、名前も場所も声に出して構わない。だがそれ以外の場所では、同じ魔術具を持つ者以外の前で声に出すことは許可しない。おおまかには、以上だ」


 他にも、もし知り合いに同名の者がいた場合など、細かいところの説明も付け加えられた。


「……両親と使用人の名前、四人の情報、住んでいる場所。……それだけですか?」

「そうだ。娘の名前は人前で呼んでも構わない」


 それだけ確認すると、シャルティエは迷うことなく許可証を手にする。


「お受けします。これで信用が手に入るのなら、喜んで」


 笑顔で即答したシャルティエの手首に、ガインは許可証を着けた。

 すると赤と青の細い線が輪となっていくつも浮かび上がり、頭やノドに貼りつくと、すうっと消えて見えなくなる。

 改めて、ガインはルーリアの背に手を添えた。


「俺の名前はガインだ。こっちはルーリア。シャルティエ、お前に俺たちとの取引の許可を出そう。ただし、相手は俺ではなくこのルーリアだ」


 ぽんと軽く背中を押され、ルーリアはシャルティエに向かって手を差し出す。


「シャルティエさん、ルーリアです。お話が無事に決まって良かったです。これからよろしくお願いします」

「ありがとう。こちらこそ、よろしくお願いします」


 シャルティエはルーリアの手をしっかりと握り、顔を綻ばせて嬉しそうに微笑んだ。

 そして、ちょっとだけ照れたように顔を赤くさせた後、もじもじしながら口を開く。


「えっと、その……良かったら、私のことはシャルティエって、呼んで欲しいんだけど」

「えっ?」


 戸惑うルーリアにガインが教える。


「自分と対等に付き合いたいと思う相手とは、互いに名を呼び捨てても構わないんだ。商人としてではなく、そういった関係をシャルティエはお前に望んでいるんだろう。そういった意味では、信頼の証でもあるな」


 ルーリアは握っているシャルティエの手をじっと見つめた。


 …………信頼の、証。


「それなら、わたしのこともルーリアと呼んでください。…………シャルティエ」

「うん、分かった。よろしくね、ルーリア」


 自分も顔が赤くなるのを感じながら、ルーリアは初めて、敬称を付けずに人の名前を呼んだ。

 それだけのことなのに、シャルティエと自分の間にある何かが、ぐっと近くなった気がする。


「これで私たち、友達だね」

「……とも、だち?」


 友とは、言葉では簡単に言い表せないものだとガインは言う。血の繋がった家族とは違う、けれど、強い絆で結ばれた友は時に励まし助け合う、掛け替えのない存在になるのだと。

 友がどういうものなのか、それを決めるのはルーリア自身となるらしい。

 ガインもエルシアも友と呼べる存在はいない。

 だからその答えは、ルーリアが自分で探すしかない。


 ……初めて出来た、友達。


 ガインたちも知らない、大切な存在。

 シャルティエと自分がこの先、どんな友達になっていくのか、まだルーリアには想像もつかない。

 不安と期待が入り混じるけど、不思議と温かくなるその言葉を、ルーリアはそっと胸の中に刻み込んだ。


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