第47話 足りない言いつけ


「ダーバンさんが魔物に!? どこでですか!?」

「わ、私だけ逃げて、ここに。お、お父さんを、助けてくださいっ!」


 ひどく取り乱した様子でキイカはルーリアの腕に縋りつく。


「ひとまず落ち着いてください。今、お父さんを呼んできますから」


 震えるキイカを店の椅子に座らせ、ルーリアはすぐに裏口から外へ飛び出した。


速度強化スィン・ア・スール清き風を身にまとえフィース・オ・レイス!』


 家から見えない位置まで走り、風をまとってガインがいると思われる方へ急行する。今の時間なら、たぶんこっちだ。

 キイカが来たことにはガインも気付いているはずだ。予定外の来客だから、きっと動きも早いだろう。


 ──って、わたしが遅い!


流れる風に身を委ねよクイン・ファー・レイス!』


 風魔法を上掛けし、さらに速度を上げる。

 小高い丘に差しかかったところで、白虎の姿のガインが目に映った。


 さすがお父さん、速い!


「お父さん!」

『ルーリア! 何があった?』

「お店にキイカさんが来ています。ダーバンさんが魔物に襲われているから助けて欲しいって」

『魔物!? 場所はどこだ?』

「詳しい場所はまだ聞いていません。家に戻った頃にはキイカさんも少しは落ち着いていると思います。急いだ方が良さそうです」

『分かった。背中に乗れ』

「はい」


 ガインはルーリアを背に乗せ、風のように駆け出した。白虎のガインはルーリアが風をまとうよりずっと速い。訓練の時、どれだけ手を抜いていたかがよく分かった。


外形隠遁ルジオラ・フィルグ


 ルーリアが補助魔法を掛ける。


『何の魔法だ?』

「姿を見えなくしました。虎の姿で家まで直行できます」

『そうか。助かる』

「家に着いたらすぐに解除しますので、そのまま中に入ってください」

『分かった』


 あっという間に家に着く。


視覚変化解除トゥージ・ミナ・ソート


 ルーリアが魔法を解除するのと同時に、ガインは人型に戻り、そのまま家の中に駆け込んだ。


「キイカ、話は出来るか?」

「ガイン様!」


 キイカが立ち上がり、ガインに駆け寄る。

 視線がしっかりと定まっているから、ある程度は落ち着いたようだ。


「どの辺りだ? だいたいの場所でいい」

「西にある二ーデル村と、この森の中間くらいです。山間に暗い大きな森があって、そこで……」


 キイカの手は強く握られ、かすかに震えていた。その様子を見たガインが少しだけ声を和らげる。


「どんな魔物だった? ダーバンは無事なのか?」

「お父さんは私を逃がした時、腕に怪我をしていました。魔物は、大きな黒い獣のようだったと思います。は、はっきりとは見ていなくて……」


 よほど恐ろしかったのか、魔物の姿を思い出そうとしたキイカは声を詰まらせた。

 ダーバンはキイカを逃すため、その場に残って魔物を自分に引きつけたそうだ。そこからここまでは馬に乗って逃げてきた、とキイカは話す。


「そうか、分かった。ダーバンなら身軽に動ける。たぶん大丈夫だろう。ひとまず、その森に向かうとしよう」

「あ、ありがとうございます!」


 ガインに勢いよく頭を下げ、キイカは服の袖で目元を拭った。だが、その様子を見ているガインの視線はなぜか冷たい。


 ……お父さん?


「済まないが、俺が外に出ている間、キイカには客室から出ないようにしてもらいたい。……出来るか?」


 言葉も突き放すようで、低く硬かった。


「っそれは──」

「俺はダーバンから明日、二人でここに来ると聞いていた。理由も聞いている」

「っ!」


 キイカが一瞬で顔色を変えた。

 その何かに怯えているような顔を見ながら、ガインは話を続ける。


「もし大人しく待てないのなら、俺はキイカを連れてダーバンを助けに行くことになる。そうなると当然その分、到着する時間は遅くなるだろうな」

「………………」

「待てるか?」


 ガインの語気が強くなる。

 何の話をしているのか分からず、ルーリアは見守ることしか出来なかった。


「……待……ちます。お父さんを、お願いします」


 消え入りそうな声でキイカが返事をする。

 するとガインはキイカを一番奥の客室に入れ、そして中からは開かないように外側から鍵を掛けた。


「お父さん!? 何をしているんですか!?」

「……説明は帰ってからだ」


 驚くルーリアに目もくれず、ガインは怖い顔をしたまま扉から離れた。そのままカウンターへ向かう。


「どうしたって言うんですか? キイカさんは安全ですよ? ちゃんと許可証だって──」

「念のためだ。ルーリア、キイカに何を言われても、俺が帰るまでは絶対に開けるなよ。いいな」


 蜂蜜の瓶の棚に手をかけながら、ガインはルーリアに念を押した。


 なぜ? どうして?

 キイカが何をしたというのだろう?


 何の説明もないままの手荒な行動に、ルーリアは疑問と不満を募らせた。

 ガインは蜂蜜の瓶を一つ掴み、剣を手にして玄関へと急ぐ。


「出来るだけ早く戻る。ルーリアは自分の部屋にいるように」


 そう言い残し、玄関のベルを軽やかに鳴らしてガインは外へ出て行ってしまった。


 残されたルーリアはガインが出て行った玄関の扉と、キイカが閉じ込められている客室の扉を交互に見つめる。

 理由もなくガインがこんなことをするとは思えないが、それでもキイカに対する態度はひどいと思った。急いでいたとは言え、説明も足りない。


 大人しく部屋で待つべきか、どうしようか。

 ルーリアが迷っていると、キイカの閉じ込められている部屋から、すすり泣く声が聞こえてきた。こうなるともう居た堪れない。

 部屋に戻るのは止め、ルーリアはキイカがいる客室の扉の前に立った。


「あの、キイカさん。大丈夫ですか?」

「…………ルーリア、さん……」


 うぅぅー……ひっく、と。

 しゃくり上げるような涙声のキイカは、どう考えても大丈夫そうではなかった。


「いったい何があったんですか? わたしには、お父さんがキイカさんに何かの疑いを持っているように見えたんですけど」

「…………それ、は……」


 話そうか、どうしようか。

 長く迷った末、キイカは重く口を開いた。


「……実は、私には、お父さんに反対されている、好きな人がいるんです」

「えっ! す、好きな人!?」


 思ってもいなかった単語が出てきて、ルーリアは素っ頓狂な声になる。


「今、その人の村で流行り病が起こってて。その人も病にかかってしまって」

「ええっ! 大変じゃないですか!」


 思わず大きな声になる。

 好きな人が流行り病だなんて……!


「お父さんに、その人の所へ行かせて欲しいってお願いしたのに、駄目だって言われて」

「えっ!? どうしてですか!?」

「……それは…………うぅっ……」


 気持ちが込み上げてきたのか、再びキイカは声を出してむせび泣いた。

 キイカの父親のダーバンは、はっきり物を言う豪快な性格だ。娘から『好きな人が出来た』と聞けば、ガッチリ応援しそうなイメージなのに。


「お父さんは、あの人のことを誤解しているんです。とても優しくて良い人なのに……」

「誤解、ですか」


 確かにダーバンはちょっとだけ決めつけが強い。人の意見を細部までしっかり聞く性格ではないから、少しでもダメだと感じたら自分の意見を押し通しそうだ。

 キイカの相手が優しい人物だというのなら、ダーバンからは頼りなく見えてしまったのかも。


「お父さんはどうしても彼の所に行きたかったら、きっちり別れろって。その条件を呑むなら行ってもいいって。……そう、言われたんです」


 わぁあぁぁ~~……っ、と。

 泣き崩れるキイカの悲痛な声が家の中に響く。


 ……あぁ。


 それで明日、来店の予約が入っていた、と。

 ウチの魔虫の蜂蜜が、好きな人との別れの品になるなんて思いもしてなかったけど。

 話を聞いた上でガインがダーバンの味方をしているのなら、キイカに選択肢はないのだろう。


 キイカたちを別れさせたい理由は分からない。

 けれど、ガインがキイカを閉じ込めたのは、下手に逃げ出して途中で魔物に襲われたりしないように、やむを得ないものだったのだと思えた。

 もしかしたら明日は、間に入ってダーバンと話をさせようと考えていたのかも知れない。


 静かな家の中にキイカの泣き声だけが広がる。


「……うぅっ、ルーリアさん、お願いです。私に、彼の所まで蜂蜜を届けさせてください」

「えっ!?」


 キイカの声は必死だった。


「私は彼の病気を早く治してあげたいだけなんです。だけど、それだとお父さんと一緒に行くしかなくて。このままだと私は明日、彼と無理やり別れさせられてしまいます。私は彼がいない世界では生きていたくない。お願いです、ルーリアさん! お願い……」


 すすり泣くキイカの声が、ルーリアに重くのしかかった。


 流行り病は普通の病気と違い、進行が早いと聞く。前の日に言葉を交わした人が、今日には……なんてこともあるらしい。

 だから、キイカの心配はよく分かった。

 こうしている間にも、苦しんでいる好きな人の元へ少しでも早く駆けつけたいのだろう。


 ルーリアは真剣に考えた。


 人を好きになる気持ちは、病を治す薬と引き換えにして捨てるものではないと思う。

 そう考えると、ダーバンはずるかった。

 病を治すことと、好きな人のことをきちんと話し合うのは別問題であるべきだ。自分の作った蜂蜜を、脅しの道具のように使われたことも気に入らない。


「……キイカさん。人の生命を助けることと、別れる別れないは話が別だとわたしは思います。蜂蜜を病気の人に届けることが悪いことだとは、わたしは決して思いません」


 キイカが頼って助けを求めたのは自分だ。

 だから、それにちゃんと応えなくては。


 人から初めて頼られたルーリアは断る理由を持っていない。キイカがいる客室の扉に手をかけ、ルーリアは迷わず大きく開け放った。


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