第46話 外れた鍵と扉の向こう
慎重に、魔法陣に魔力を流していく。
さすがに最後の一つとなると、少しだけ緊張した。
──く、ぅ……っ。
今までの魔法陣と違い、目に見えて自分の魔力が吸い取られていく。流しても流しても終わる気配がない。少し疲れを感じ、一度手を離した。
けっこう流したはずなのに、なぜか魔石に魔力が溜まるのを感じられない。
このまま続けても大丈夫だろうか?
そう疑問に思いながらも、魔虫の蜂蜜の瓶に手を伸ばし、魔力を回復させることにした。
小さなグラスに蜂蜜を注ぎ、それをそのまま薄めずに飲み込む。ノドに濃い甘さが広がり、薄めて飲んだ時よりも直に魔力が戻るのを感じた。じんわりとノドの奥が熱くなる。
魔力供給の続きを始めて少し経った頃、最後の魔法陣が薄らと光り始めた。今までにはなかった反応だ。その光はだんだんと強くなり、先に消えていた11の魔法陣も同じように光って現れた。
12の大きな魔法陣が部屋の中を埋め尽くし、窓から外に光が漏れるほどの異様な光景となっている。
「!!」
自分と魔法陣の周りに、取り巻くような風が吹き上がった。これは危険かも知れない!
ルーリアはすぐに魔法陣から手を離そうとした。しかし、乗せている手が見えない何かに掴まれているように離そうとしても外れない。
その間にも風はどんどんと強くなり、部屋の中にある物がカタカタと揺れる。ルーリアは焦った。
「──ッ!!」
ルーリアの意思とは関係なく、一気に魔力が引き出されていく。ザワッと、背筋を逆撫でされているような感覚が走った。
──このままだと枯渇するッ!!
「ッいやっ!!」
一方的に奪わせるのではなく、叩きつけるように魔力を魔法陣にぶつけた。
と、次の瞬間。
まばゆく光った全ての魔法陣がフェルドラルの魔石に吸い込まれ、するりと手が離れる。
そして次に、今度は覚えのある魔力が魔石から追い払われるように弾き出された。
!? これは……お母様の魔力!?
魔石から弾き出されたエルシアの魔力が、キラキラと光って部屋全体へ広がっていく。
それと同時に部屋の奥の方からは、『ガチャリ』と、何かの音が聞こえてきた。
……今のは?
しばらくするとフェルドラルから出ていた光も収まり、ベッドの上には白い
「………………」
これで、終わり……?
つんつんと指でつついてから、ルーリアは恐る恐るフェルドラルを手に持ってみた。
わ、すごい! 羽根のように軽い!
驚くほど軽くなっている。
ルーリアはフェルドラルをいろんな角度から、じっくりと眺めてみた。特に変わったところはないようだ。
どうやって使う武器なのだろう?
どんな仕組みなのだろう?
そもそも何で出来ているのだろう?
武器を作ったことも使ったこともないルーリアはワクワクした。興味と疑問が後から後から湧いてくる。フェルドラルは弓の本体だけで、矢はない。
……んー。魔術具の武器だから、魔力を矢に変えて飛ばす、といった感じなのでしょうか?
たぶん使う時は魔石に魔力を流すのだろう。
そうすれば勝手に矢が飛び出す、とか?
呪文が必要だったらお手上げだ。
名前を知っていたガインなら、使い方も少しくらいは知っているかも知れないが。
どちらにしても何かを試すならガインに側にいてもらった方がいいと感じた。自分だけでは不安すぎる。
エルシアが送ってきた時は、一族の家宝を遊び道具にだなんて、と思っていたのに。今では完全にルーリアの遊び道具となっていた。
ミンシェッド家の人たち、ごめんなさい! と、心の中で謝る。
魔力供給も無事に終わったし、もうすぐ日も暮れる。そろそろ眠る準備をしなければ、とフェルドラルを机の上に戻して何気なく振り返った。
…………?
ふと、部屋の奥で目が留まる。
『何に』とは、はっきり言えないが、妙な違和感を覚えた。いつもとは何かが違うような。
そういえばエルシアの魔力が弾き出された時、奥の方で何かの音がしていた。
「…………何も、ないですね」
エルシアの荷物置き場を見て回ったが、これといって特に変わったところは見つからなかった。
……あとは。
さらに奥に目をやると、工房の扉の鍵が外れていた。ぷらんと斜めにぶら下がり、今にも落ちそうになっている。
「あ! これでしたか」
違和感の正体が分かり、ホッとする。
たぶん、さっきのエルシアの魔力に反応したのだろう。この鍵が掛かっていたから、ルーリアは今まで一度も工房の中を覗いたことがなかった。
エルシアが家にいた時でも、この工房が開いているのを見た記憶はない。ルーリアは自然と工房の中に興味が湧いた。
……ちょっとだけなら覗いてもいいでしょうか?
そっと木の扉を開く。
覚えている限り、少なくとも30年くらいは閉じたままだったはずだ。
扉を開けると、中は薄暗く、古い本のような匂いがした。
工房には、明かり取りの小さな窓が一つ。
机と椅子が一つずつと、大きな本棚が二つ。
薬棚のような小さな引き出しがたくさん付いた棚が一つ。背が低くて横に長い棚が一つ。
……へぇー。中はこうなってたんだ。
思っていたよりも、ちゃんとしていて広かった。てっきり倉庫か物置のようになっているかと思っていたのに。どうして今までここを使わなかったのだろう? 素朴な疑問が浮かんだ。
家にいる時、エルシアはルーリアの机を一緒に使っていた。調合も台所でしていたと思う。
これだけ立派な工房があるのに、今まで使わなかった理由は何だろう?
ハッ! もしかして!
『
ルーリアはとっさに呪文を唱えた。
エルシアがよく使っていたという、非常事態3点セットの補助魔法だ。過去の調合中の事故や罠の設置の可能性をすっかり忘れていた。……けれど。
「……何も、反応ありませんね」
静まり返った部屋の中を、警戒しながらぐるっと眺めた。事故の跡などは見当たらない。普通の工房に見える。ますます使われていなかった理由が思い浮かばなかった。
とりあえずは大丈夫そうだ。
安心したルーリアは工房の中を探索した。
まず目を惹かれたのは、大きな本棚だ。
わ、あぁぁぁー……。
当然だが、初めて見る本がズラリと並ぶ。
読んだことのない本の発見は、新しい知識が欲しくて堪らないルーリアにとって、例えようがないくらい嬉しいことだった。
ここにある本は、ルーリアの部屋に置いてある物よりも重厚感がある。革製の表紙に、繊細な金属の装飾。明らかに貴重そうな本ばかりで、手に取るのを躊躇った。
だけど、好奇心には勝てない。
ルーリアはその内の一冊を手に取り、パラッとページをめくった。中には古い文字がびっしりと書かれている。
わぁ……すごい!
古い文字でもルーリアなら難なく読める。
そのまま読み続けたい衝動に駆られたが、さすがに時間切れだった。ここで寝倒れる訳にはいかない。本を棚に戻して工房から出た。
すぅー、はぁーと、深呼吸する。
同じ部屋の中なのに、工房の外の方が新鮮な空気のように感じる。長い間、閉め切っていて空気の入れ換えもなかったからだろう。
明日は来客の予定も採蜜もない。
工房は一度しっかりと掃除した方がいいだろう。
ちょっと埃っぽい匂いが移った気がして、ルーリアはもう一度、水魔法で全身を洗った。
眠るまでの間、ルーリアは新しく見つけた遊び場に心を弾ませた。工房でやってみたいことに、あれこれと思いを巡らせる。
──ガインへの報告。
少しでも変わったことがあった時は、当たり前にしていることなのだが、この時のルーリアはなぜかそのことが頭からすっぽりと抜けてしまっていた。
◇◇◇◇
次の日の朝。
ゴッ、チリンッチリッ、バターン!!
バタバタバタ──……
乱暴に開閉する玄関の扉と、ベルの音。
それから慌ただしく駆け込んできた足音と女性の叫ぶ声で、ルーリアは目を覚ました。
「誰かっ! 誰かいませんか! 助けてください!!」
一階から大きな叫び声が聞こえてくる。
家には誰もいないようで、必死に叫ぶ声に応える物音は何も聞こえてこなかった。
ルーリアは飛び起き、腕輪を身に着け、髪も
「ど、どうしましたか!?」
息を切らして駆け寄ると、女性は涙でびしょ濡れになった顔をルーリアに向けた。
「キイカさん! どうしたのですか!?」
女性は隠し森への許可証を持つ、商人のキイカだった。クリーム色の髪を肩で揺らし、茶色の瞳からは涙をポロポロとこぼしている。
いつもは父親のダーバンと一緒に来店するのに、今あるのはキイカ一人の姿だけだった。
「ルーリアさん! お父さんが……っ、お父さんが、魔物に襲われてっ!」
キイカは荒く息を切らしながら、震える声を絞るように出した。
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