第45話 魔力供給をしながら


 ロモアの香りがする冬直前の魔虫の蜂蜜は、春から秋に採れる中で最も効果が高い。

 その年の最後に採蜜したタルは、いつもルーリア専用となっていた。


 家に帰り着くと、ガインはタルを地下ではなく外の倉庫に入れた。すぐに使う蜂蜜は、こっちに入れるようにしている。


「じゃあ、見回りに行ってくる」

「はい。気をつけて」


 ルーリアを家に送り届け、ガインは日課の魔物討伐に出かけた。これをただの見回りだと聞かされているルーリアは、結界の中に大きな魔物が入ってくることを今でも知らずにいる。


澄みし水に身を浸さんフィース・オ・ミューラ


 服ごと全身を水魔法で洗い、ルーリアは自分の部屋へ向かう。今日はまだ時間があるから、これから何をしようか考える。


 それなら……と、やりかけになっているフェルドラルの魔力供給の続きをすることにした。

 残りの魔法陣は七つ。

 これなら魔力が減ることもないし、順調に行けば今日中に終わりそうだ。


 今まで平気だったから、ルーリアは深く考えずにフェルドラルを手にした。いつものようにベッドの上で魔力供給を始める。

 魔力を流している間、神が創ったかも知れない魔法陣を眺め、ルーリアは細く息を吐いた。


 とても複雑で理解できない。

 勉強不足で分からないのではなく、本当の意味でることが出来ないのだ。

 七属性の術式が組み込まれていることは分かる。けれどそれ以外にも、この世界にはない属性のようなものがあったり、読めない文字もたくさんあった。


 エルシアの本にも古い文字は載っている。

 だがフェルドラルの魔法陣は、その中のどれとも違う文字で記されていた。まるでこの弓の存在自体が、この世界のものではないように。


 地上界にある12の国と神殿では、魔族領も含め、文字も言葉も通貨も同じ物が使われている。

 それなのに見たことがない文字と言ったら、それはもう、神々の住まう天上界のものとしか思えなかった。


 一つの魔法陣の魔力供給が終わり、魔石に吸い込まれていく。やはり疲れは感じない。

 ルーリアは次の魔法陣に手をかざした。

 魔法陣に魔力を流している間は、他に何も出来ない。暇を持て余すようにルーリアはあれこれ考えた。


 今回の流行り病は広い範囲で起こっている。

 ここに出入りしている冒険者や商人たちにも手伝ってもらえるように声をかけたと、ガインは言っていた。

 来店の予約が入ってからになるが、しばらくは慌ただしく人が出入りするようになるだろう。


 ユヒムとアーシェン以外には、ルーリアは人族に変身して応対しなければならない。

 人族に変身する魔術具は魔力を込めて準備済みだ。エルシアの手製でルーリア専用となっている。


 エルフは調合や魔術具の作製を得意としていて、手先の器用な者が多いらしい。

 この世界の住人では人族の数が一番多く、エルフはかなり少ないそうだ。他種族との交流もほとんどないそうだから、ハーフエルフの数はとても少ないのだろう。


 地上で暮らすエルフは、人族と関わりを持たずに隠れ住んでいる者が多いと聞く。

 地上に住むエルフに対して過去に人族が問題を起こしたせいで、今でも良い関係とは言えないらしい。


 獣人は種類も数も多いが、ルーリアにはその特徴らしきものがないため、人族に化ける方が安全とされている。

 魔族もそれなりに数は多いらしいが、人族との交流がほとんどないため、その実態は正確には掴めていないという。


 自分が変身することで、ルーリアには気になっていることが一つだけあった。人族に変身した自分が、他の人からはどう見られているのか、という点だ。

 魔術具で変身した姿は、鏡を使っても自分で見ることは出来ない。映るのは本来の姿だけだ。


 耳は丸くなっているのだろうか?

 髪や目、肌はどんな色なのだろう?


 ガインは人族に変身したルーリアを見て、『エーシャに似ている』と、引きつった顔をしていた。


 ……『エーシャ』って、誰でしょう?


 ルーリアはその人を知らない。

 ガインの口から知らない女性の名前が出てきたのは、後にも先にもその人だけだった。自分の変身の話よりも、そっちの方が気になってしまう。


 ガインもエルシアも、たぶん若い頃はモテたと思う。昔はいろいろあったのかも? と、つい妄想してしまう。娘の自分から見ても素敵な二人だから、他の人との恋の話もあったりしたのかなぁ、なんて。

 直接、本人たちに聞く勇気はない。

 ガインはその手の話を嫌っている雰囲気があるから、聞き辛いのもある。


 話す機会もないから誰にも話したことはないが、実はルーリアは人の恋愛話に興味がある。

 ルーリア自身は大した知識もないから、『好き』『付き合う』『一緒にいる』くらいしか恋愛系の単語を知らない。

 仲の良い二人が一緒にいれば『付き合う』だと思っていたのに、ユヒムたちのせいで分からなくなってしまった。


 ……お互い、好きだとは思うんだけどなぁ。


 すぅっと、魔法陣が一つ消えた。

 次に手を伸ばす。


 戦闘訓練は楽しかった。

 みんなでガインの動きを止める遊びだ。

 最後の光景を思い出す限りでは、ガインに本気を出されてしまえば一瞬で終わってしまうのだろうけど。それでも、みんなで身体を動かして遊ぶのはとても面白かった。


 今度は罠を仕掛けてみたい。

 魔術具の使用も許可して欲しい。


 ……あ、でも。


 ユヒムとアーシェンが巻き込まれたら危ないからダメか。でも、回復魔法を掛けながらだったら大丈夫なんじゃないだろうか?……って。

 気付けば、エルシアと同じ発想になっていた。

 これを拷問と呼んだのは、どこの誰だったか。


 ……ぬぅっ。こんなところで天災の血が。


 そういえば、とアーシェンのことを思い出す。

 アーシェンは生まれつき火と水の魔力属性を持っているのに、どうして無詠唱で使わないのだろう?

 昨日見ていた限りでは、使用していたのは詠唱魔法だけだった。タイミングを合わせるなら無詠唱の方が楽なはずなのに。


 何か理由があるのだろうか?

 これは本人に聞いてもいいのか迷った。

 詠唱魔法は使う魔力量に上限があるけど、無詠唱になると、それこそ生命が尽きるまで使う魔力が無制限だからだ。


 ……魔力の調節が苦手、とか?


 無詠唱魔法は、範囲を狭くすれば使う魔力が少なくなるというものでもなく、細かい作業をするなら技術も魔力も必要となる。

 無詠唱で無理に大量の魔力を使おうとしたり、激しい感情に任せて魔力を放出してしまうと、それだけで生命に危険が及ぶ。身の丈に合わない使い方をすれば、すぐに魔力が枯渇してしまうのだ。


 でも、仮にアーシェンが感情的になったとしても、魔力が枯渇するまで暴走するとは思えなかった。健康そうに見えて、実は自分のように体質に何か問題があるのだろうか?


 そこでルーリアは考えるのを止めた。

 人のことでも、あれこれ詮索するのは良くない気がしたからだ。もしかしたらユヒムが言っていた『守りたいもの』や『目指すところ』に関係するのかも知れない。


 一つ、魔法陣が光って消えた。

 あと四つだ。続けて手をかざす。


 ガインはめちゃくちゃ強かった。

 ユヒムがガインを反則級と言っていたのは本当だった。

 まさか四属性の複合魔法をあっさり破られるなんて。しかも魔法を使ってもいないのに。


 この世界では魔法が使えるのと使えないのでは、何もかも大きく差が開く。ガインには、その元となる魔力がない。

 ならば、昨日の雷撃は何だったのだろう?

 やっぱりスキルだろうか?

 スキルなら魔力が必要ないものも多い。


 ……だけど、スキルで魔法を相殺って。


 かなりの力技としか思えなかった。

 それが出来ることを初めから知っていたのだろうか? それとも本には載っていないだけで、外の世界ではあれが常識なのだろうか?


 アーシェンからは『ガインとエルシアを基準にしてはいけない』とよく言われている。

 けれど、それなら自分は何を基準にすればいいのだろう? この森の中にいて、どうすれば正しい知識が得られるのか、教えてくれる人は誰もいない。


 出来るだけ普通でいたい。

 人から変な顔をされたくない。

 常識って、どうすれば身につくのだろう?


 それと、初めて見たユヒムたちの戦い方は商人らしさがない気がした。商人だったら、もっと魔術具を使うとか、作戦で罠にはめていくとか、いろいろあると思ったのだけど。

 二人の戦い方がまっすぐだったのは訓練だったからだろうか?


 エルシアが置いていった本には、卑怯な手段に対処する方法や、呪いや罠を跳ね返す方法なんかも載っていた。人を疑うのは苦手だけど、実際の戦いはもっと混乱して複雑なものだとルーリアは考えている。


 アーシェンは『人を疑え』と言っていたけど、それは自分にも言えることなのでは? と、ルーリアは考えている。アーシェンは外の世界で活動しているのだから、自分以上に気をつける必要があるだろう。

 それともガインのように、ルーリアに人の汚い部分を見せないように気を遣っていたのだろうか?


 一つ、二つと魔法陣が光って消えていく。

 残りはあと二つだ。次に手を乗せる。


 ……虎、かぁ。


 魔法陣にかざしていない右手を、じっと見つめた。見た目はエルフ寄りなのに、虎の本能だけ残されても困る。しっぽに無邪気に飛びつく自分を思い出し、ルーリアは顔が熱くなった。


 あぁあ~~……っ! 恥ずかしいっ!

 だいたい本能って何ですか!?

 お父さんに合わせる顔がないんですけど!?


 何かのせいにしたいけど、自分がやっている自覚もあった。しっぽは好きだ。


 うぅ~……。いったいどうしたら。


 もふもふしたいだけなのに、しっぽの誘惑に勝てる気がしない。ルーリアが悶えて頭を抱えていると、笑うように魔法陣が光って消えた。


「えっ! どうして!?」


 手をかざしてから消えるまでの時間が早すぎてビックリした。


 ……えぇっとー。これで残りは……一つ?


 ルーリアはそっと、最後の魔法陣に左手を乗せた。


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