第48話 偶然たまたま何かの弾みで


 客室の中にいたキイカは赤く泣き腫らした目を瞬かせ、とても驚いた顔で口を開ける。

 ルーリアがガインの言いつけを破るとは思っていなかった顔だ。


「……ルーリアさん……いいん、ですか?」


 たった一人でも自分に味方をしてくれる人がいた。それが嬉しくて、キイカは瞳から大粒の涙をぽろりとこぼす。


「キイカさんは大切な人を助けたいんですよね? お父さんには後で怒られるかも知れませんが、人の生命より大切なものはないと、わたしは考えています」


 ルーリアの言葉を聞いたキイカは、パァッと顔を明るくする。


「ルーリアさん、ありがとう!」


 涙を拭い、キイカは微笑んだ。

 その笑顔からは、純粋にその人のことが大切なのだと伝わってくる。キイカの涙を止めることが出来ただけで、ルーリアは嬉しくなった。


 話を聞けば、キイカの好きな人が住むというオルド村の近くまでは、魔物が出ないように管理された『街道』と呼ばれる大きな道があるらしい。人通りも多い安全な道だそうだから、昼間なら女一人でも平気だという。


 それを聞いてルーリアはホッと息をついた。

 ガインの言いつけを破ってしまったのだから、キイカの安全は何をおいても十分に気をつけなければいけない。


「わたしは村までは付いて行けませんが、行ける所までは送っていきたいと考えています」

「ルーリアさん、本当にありがとう」

「少しだけ待っていてもらえますか? 部屋から荷物を取ってきます」


 ルーリアは自分の部屋に戻り、手早く準備を始めた。着替えて腰にベルトと一体型の小さな白いカバンを付け、カゴには思いつくままに荷物を入れていく。


 まずは一番に魔虫の蜂蜜だ。

 それからエルシアの魔術具を少し借りようと荷物置き場へ向かう。


 と、その時。


 なぜかルーリアは吸い寄せられるように、エルシアの工房へと足を向けた。

 中に入り、小さな革袋を一つ手に取ると、それを当たり前のように腰のカバンに詰める。

 工房を出て魔術具をいくつか選び、カゴに入れた。ふと、机の上のフェルドラルで目が留まる。


 結界の中にいても小さな魔物は出る。

 鹿より小さなものばかりだが、キイカもいるから何か武器は欲しいと思った。

 フェルドラルなら軽いから邪魔にもならないだろう。とりあえず持っていくことにする。


 右肩から腕に通し、フェルドラルを背負う。

 こうしておけば、利き手の左手ですぐに構えることは出来るはずだ。……どうやって使うのかは知らないけど。


 ふふっ、ちょっと冒険者っぽいかも。


 その後、いくつかのアイテムをカゴに入れ、ルーリアは一階に戻った。店のテーブルにガインへの書き置きを残す。


 キイカさんを送ってきます、と。

 これで、よし。


「キイカさん、お待たせしました。行きましょう」


 ルーリアはキイカと一緒に家を出て、ひとまずオルド村があるという南へ向け、まっすぐに進むことにした。



 エルシアの張った結界は、家を中心にすると南北に長い楕円形となっている。


 養蜂場があるのは、家から見て北西。

 邪竜が飛来した森は北北東。

 東側には魔族領との国境でもある山脈があり、北へ向かうほど山に登るように高くなっていく。

 西と南へ行けば、なだらかに低くなっていく地形だ。


 ルーリアが過ごしていたのは主に北側だ。

 東や西にもたまには行くが、南へ行った記憶はあまりなかった。目の前には緩やかな丘が続いている。


「キイカさん、そのオルド村はどの辺りにあるんですか?」


 たぶんルーリアが聞いても分からないと思うけど、焦っているように見えるキイカの気をまぎらわすために尋ねてみた。


「場所は、ちょっとだけ離れてて。ダイアランに繋がる街道を南へ進むと、途中に西へ向かう小道があるんです。それを道なりに進んで行って、二つに別れた右側の道の先に村はあります。近くには森と川があって、少しだけ離れて小さな村が二つあって。その内の一つに彼は住んでいます。……そうですね。歩いて行くと、ここから5日くらいの距離ですね」


 ……5日。


「けっこう距離があるんですね。ここに来た時の馬はどうしたんですか?」

「残念ながら逃げられちゃいました。ここへ来る時も魔物のせいで暴れるくらい怖がってたから。今思えば、よく振り落とされなかったなぁって」


 思い出したキイカは、ぶるっと身震いする。

 ガインに言えば、きっと馬はすぐに見つかるだろう。


 ……って、ん? あれ? 今、キイカさん、変なことを言いませんでしたか?


「あの、今、5日くらいかかるって言いませんでしたか?」

「はい。言いましたけど?」

「家にいた時は、明日には村に着くようなことを言っていませんでしたか?」

「あぁ、あれは、お父さんの持っている魔術具を使って移動した場合の話です」


 え!? じゃあ……。


「あの……その方が早くその人を助けられるのではないですか?」


 ルーリアは嫌な予感がした。


「私は街道に出たら馬を借りようと思っています。そうすれば2日くらいで着くことは出来ますよ?」

「え……っ」

「それがどうかしたんですか?」


 キイカはルーリアに不思議そうな顔を向けた。

 自分が矛盾したことを言っていることに、何の疑問も悪気も持っていない顔だ。


「……もしかして、キイカさん。その人を早く治すことよりも、ダーバンさんから逃げることを優先していませんか?」

「えっ?」

「早く病を治したいのなら、ダーバンさんの魔術具を使って移動した方が早いですよね?」

「……だって、それだと私は彼と別れなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか。ルーリアさんもそれを知っていて、私を出してくれたんですよね?」


 ……あぁあっ! そういうことですか。


 キイカの考えとのすれ違いに気付く。

 ルーリアが手助けしようとしているのは、そっちではない。


「わたしがキイカさんを客室から出したのは、その方が早く流行り病を治してあげられると考えたからです。……キイカさん、戻りましょう。好きな人の生命と自分の恋、どちらが大切なんですか?」


 キイカは押し黙った後、唇を噛んでキッとルーリアを睨んだ。


「ルーリアさんは本気で人を好きになったことがないんでしょ!? どうしてそんなひどいことを言うの!?」


 な……っ、ひどい!? わたしが?


 キイカの迫力に圧され、ルーリアは言葉に詰まる。


「そんなこと言われなくたって、彼のことが大切に決まってるじゃない! そうじゃなければ、私だってここまで悩んだりしないもの!……でも、私だって幸せになりたい。ルーリアさんも私と彼が幸せを望むのは間違いだって言うの? お父さんみたいに無理やり別れさせて、そして私にどうやって生きていけって言うの!?」


 ……ど、どうしましょう?


 激しい剣幕のキイカに、ルーリアは後退ってたじろぐ。怒ったかと思えば、今度は大粒の涙をボロボロとこぼして泣いている。気持ちが高ぶっているキイカは落ち着いて話が出来るとは思えなかった。

 誰かにこんなに荒々しく感情をぶつけられたのは初めてだ。ルーリアは戸惑いながらも一生懸命に言葉を探した。


「あ、あの、キイカさん。わたしはキイカさんが幸せを望むことを間違いだとは思っていません」

「…………ぐす……っ、……本当に?」


 涙に濡れた瞳がジトッと向けられる。


「はい、本当です。ただ、わたしが手助けをしたいと思ったのは、流行り病を早く治すことの方で。……その、キイカさんとは優先したいことが違っていて」


 キイカはゴシゴシと目を拭う。

 せっかく収まっていたのに、また赤くなってしまった。


「キイカさんはどうしたいんですか?」


 返事によっては無理やり連れて帰ることも考え、改めて聞いてみる。


「……私は、彼を助けてあげたい。でも別れたくない。彼と、幸せになりたい」


 ……うーん。難しいですね、これは。


 今、家に連れて帰れば、待っているのは別れだけだ。ガインのことだから、どちらにしてもオルド村には明日にでも蜂蜜が届けられるだろう。


 となると、問題はキイカだけとなる。


「分かりました。せっかくここまで来たんですから、キイカさんに協力します。ですが、わたしは何よりも生命を守ることを優先したいと思っています。そこだけは分かってください」

「……はい、分かりました。ルーリアさんを騙すようなことをして、それから、さっきはひどいことを言ってごめんなさい」


 小さな子供にしか見えないルーリアに叱られ、キイカは肩を落としてシュンとする。


「わたしもすみませんでした。キイカさんを責めたつもりはなくて、その、言葉選びが上手に出来なくて。厳しく感じさせてしまったのなら……」


 落ち着いて話すルーリアをじぃっと見つめ、キイカは首をひねる。


「ルーリアさんって、話し方、変ですよね?」

「……え」

「見た目と違い過ぎるっていうか、合ってないっていうか。可愛い子供なのに、話すと成人した私よりも大人びてるんだもの」

「……あの、わたしはキイカさんより年上ですよ?」

「知ってます。でも、とにかく変です」

「!? これは……素直にグサッときますね。わたしは泣いてもいいんでしょうか?」


 ちゃんとした大人に見えるように、頑張ってエルシアの真似しているというのに。

 ルーリアがショックを受けた顔をすると、キイカは「おあいこ」と言って笑った。



 それからずっと南へ歩いた所で、ルーリアは透明な壁に阻まれた。


「わたしが一緒に行けるのは、ここまでみたいです」

「……本当に出られないんですね」


 キイカが見えない壁を見上げるような仕草をする。


「キイカさん、これを」


 魔虫の蜂蜜が入った包みをカゴから取り出し、キイカに差し出した。


「ありがとうござ……あっ!」


 足場が悪かったのか、ルーリアから包みを受け取ろうとしたキイカは大きくよろけて倒れそうになる。


「危ない!」


 キイカを支えようと、とっさに手を伸ばしたルーリアだったが、体格差から押し倒されるように一緒に転んでしまった。


「……ぃたた」

「ごめんなさい、ルーリアさん。大丈夫ですか?」


 先に起き上がったキイカが手を差し出してくれたので、ルーリアはその手を取って立ち上がる。


「はい、大丈夫で……────!?」


 見ると、ルーリアは透明な壁を越えていた。


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