第25話 火酒


「っ!」


 ちょ、っと……薄着すぎないか!?


 宿のエルシアの部屋を訪ねたガインは、入り口で思わず固まった。

 扉を開けたエルシアが、肌の多く出ている軽装になっていたからだ。ヒラッとした薄い布の服でワンピースとか言うらしい。


「部屋に用意されていたのです。初めて着ましたけれど、とても軽くて動きやすいです」


 などと言ってはしゃいでいたが。


 …………マジか。


 宿の自室とは言え、エルシアの完全に旅装を解いた姿にガインは戸惑う。


 こんな防御力のない服は初めて見た。

 寝ている時に何かあったらどうするんだ?

 布地が薄い分、身体のラインがはっきりと分かり、どうにも目のやり場に困る。

 自分があれこれ言うのも変な話なのは分かるが、しかし……と悩むも、いつまでも廊下に突っ立っている訳にもいかず、ひとまず部屋に足を踏み入れる。


「ガインからお酒に誘ってもらえたのは初めてですね。……その、嬉しいです。前にお誘いした時は断られましたから、ガインはお酒が苦手なのかと思っていました」


 神殿で思い切って声をかけた時のことを思い出し、エルシアが微笑む。


「いや、さすがにあれは唐突すぎるだろ。面識がない上に、一緒に飲む理由もなかったからな。むしろ『酒を飲む』ってのが隠語で、別の意味があるのかと思ったくらいだった」

「まぁ、それはごめんなさい。私、お酒だけは前から好きだったので。恐らくガインの方が先にダウンすると思いますよ」

「……そうなのか」


 エルシアからの意外な発言に、さっき買ってきた酒に目をやる。ガインも酒は飲む方だ。

 まさかエルシアがそんなことを言ってくるとは思っていなかったから、どちらかと言えば一人で飲み切る量を買ったつもりでいた。


 ……追加しとくか。


「それだと酒が足りないだろうから、少しだけ外に出てくる。すぐに戻るから、先に飲んでてくれ」

「分かりました。ガイン、気をつけて」


 エルシアを宿に残し、ガインは一旦街へ出た。


 賑やかな人通りの多い街路を進み、酒を扱っていそうな店を探す。様々な種族が暮らすこの国は、あらゆる風習や文化が混ざり合っていて独特だった。

 常に祭りがあるような活気があり、秩序があるようでないようにも見える。大きな街がたくさんあり、珍しい物が所狭しと並ぶ。ここもそんな街の一つだった。


 ……しかし、エルシアのあの恰好には困るな。もう少し自分の容姿がどうであるか、自覚を持って欲しいのだが。


 今まで同族であるエルフばかりに囲まれて過ごしてきたエルシアには、自分の容姿が特別であるという自覚がない。地上界の者とは別格な美人だから、嫌でも人目を惹くのだ。

 自分の前で気楽な姿を見せているのは、人として信用されているからで嬉しくもあり、同時に男としては少し複雑でもある。もちろん信頼してくれているエルシアを、そんな目で見るつもりはないが。


「……はぁ」


 ひとまず落ち着いたところで女でも気軽に飲める酒を買い、ガインは宿に戻ることにした。


「ガイン、お帰りなさい」

「ああ」


 ガインが一往復する間に、エルシアは酒を一瓶空けていた。が、その顔色は変わっていない。

 酒好きという話は、どうやら口だけではなかったらしい。


 ……お帰りなさい、か。




「今日は改めて聞きたいことがあるんだ」


 エルシアの杯に酒を注ぎながら、ガインは話を切り出す。


「あの、これ……」


 自分の杯にも酒を注いで椅子に座ると、エルシアは何かの包みを出してきた。


「ガインがお酒を買いに行っている間に、宿の人に作ってもらいました。お酒には要るでしょう?」


 中身は酒の肴のようだ。

 気を利かせて用意したらしい。

 金の存在も知らなかったのに、こいつも成長したもんだ、とガインが感慨にふけっていると、エルシアは酒瓶を一本、ガインの目の前に差し出した。


  ……んんッ!?


 それは、この辺りで一番度数が高いと言われている火酒『フェリーダン』(通称・精霊踊り)だった。

 この火酒は酔うはずのない精霊さえ酔わせると銘打っている、有名な酒の妖精クルラホーンの特製品だ。この地域の特産品の一つでもある。


「こちらも宿の人から譲ってもらいました」


 それを知ってか知らずか、満面の笑みのエルシア。


 …………こいつ、本気で潰しにきやがった。


 知ってて持ってきたのなら『バカか!?』と突っ込んでやりたいところだが、二人しかいないのにこれを出されたら諦めるしかない。

 酔い潰れることは確定なので、ガインはその前に話をすることにした。


「エルシア、これからのことなんだが……」


 神殿を出たあの日から、ガインはエルシアを様付けで呼ぶのを止めた。あそこを出るということは、そういうことだ。

 自分はもはや、ただの一人の人なのだと。

 エルシアは何も言わずにそれを受け入れていた。


「……これから、ですか?」


 エルシアはゆっくりと首を傾ける。


「ああ。お前は元々、決められた相手との婚姻が嫌だったから、神殿を出ようと思ったんだろ? あの時は誰かの協力が必要だったから、たまたま俺に声をかけたんだろうが、今はもうその建前もいらないはずだ」

「……え、それは……どういう……?」


 ガインの言葉から自分と距離を置こうとする気配を感じ取り、エルシアは眉を寄せて表情を曇らせる。


「あの時、お前は嫌な婚姻相手への牽制を込めて俺に『妻にしろ』と言ったんだろうが、ここまで追っ手が来ないんだ。それはもう必要ないと思う。……違うか?」


 ガインは杯を片手に話を振る。

 あれはきっと、思い詰めて仕方なく口にした言葉だったはずだ。そんなことはもう気にする必要もない、と。


「………………」


 エルシアは両手を杯に添え、考え込むように視線を落とした。酒をひと息に飲み干し、そろそろと口を開く。


「……ガインは……私が嫌いなのですか?」

「嫌いではないが、お前はもう自由に……好きに相手を選べるんだぞ? よく考えてから今後のことを決めた方がいい。お前が安全に暮らせる所までは、俺が責任を持って送って行こう」


 エルシアは自分の手元をじっと見つめる。

 心の中の迷いを移したように、蒼の瞳がかすかに揺れていた。


「……私は、好きに選んでいるつもりです。これからのことも、自分の意思で決めていきたいと思っています」

「選択肢はいくらでもあるんだ。狭い中で無理やり決めることはない。何かやりたいことはないのか? 行きたい所とか」


 せっかく自分を頼ってきたんだ。

 せめて、望む所に連れて行ってやりたい。

 そう思い、ガインはエルシアの望みを尋ねる。


「行きたい所?……そう、ですね。自然の豊かな森には、行ってみたいです」


 そう答えたのを皮切りに、ぽつり、ぽつりと、エルシアは自分の望みを口にしていく。

 ごく普通のやってみたいことを、一つ一つ大切そうに並べていく。

 自分の工房を作って魔法や魔術具の研究をしてみたい、とか。どこへ行って何をしてみたい、とか。

 そんな他愛ない話をしながら、ガインとエルシアは酒を酌み交わした。


 自分のささやかな望みを口にするエルシアは、とても楽しそうで。そんな様子を見て、ガインも楽しく酒を飲む。


 そして、ひとしきり先の希望を並べた後、エルシアは少し俯き「今までは自分のやりたいことなんて考えることも許されなかった」と、独り呟くように愚痴をこぼした。

 こうやって好きに酒を飲み、自由に話をすることも出来なかった、と。神殿に対し、今まで溜め込んでいたのであろう不満を、エルシアは隠すことなくガインに話していた。


 やけに感情を出してくるな、とガインが感じた頃には、酒瓶も空が目立つようになっていた。

 眠いのか、エルシアの口調もたどたどしい。

 もうそろそろお開きにした方が良さそうだ。


 ……今日は俺の勝ちだな。


 そう思ってフッと鼻を鳴らしていると、エルシアがあの酒瓶を手に取り、迷うことなく封を切る姿が目に映った。


  ──!! なん、だと……!?


「ちょっと待て! 今からそれを飲むつもりか!?」

「止めないでください。私、ガインの猫が見たいのです!」

「なに言ってるんだ、お前は!?」


 ……まずい! こいつはすでに飲み過ぎていたのか!


 止める間もなく杯に注いだ火酒を、エルシアは一気に飲み干す。すぐさま、その空になった杯に酒瓶からなみなみと注ぎ、今度はそれをガインに突き出した。


  ──本気か!?


 信じられなかった。

 ただでさえ意識が飛ぶ酒の妖精クルラホーンの火酒を、小杯ではなく普通の杯で一気飲みとは。こんな飲み方は酒豪同士でもしない。


「私は、やはりガインがいいのです。ガインでなければ嫌です! 飲んでください!」

「おま……めちゃくちゃだな」


 ガインはエルシアから押しつけられるように杯を受け取った。いや、この場合、杯を取り上げた、と言った方が正しいだろう。

 しかし中身が入っている。エルシアが飲んだのに自分が飲まないというのは……。


 エルシアはじっとガインを見つめていた。

 受け取ったからには、飲まなければ終わらないのだろう。ガインは覚悟を決めて杯をあおった。


  ────きっ、つ…………。


「……これで満足か?」


 表情は崩さず、平静を装ったまま空になった杯を逆さまにして見せた。


「……ガインは……私では嫌なのですか?」


 なぜか蒼い瞳には涙が浮かび、今にも溢れそうになっている。


「っな、何で泣きそうになっているんだ!?」

「ガインがちゃんと私を見てくれないのがいけないのです。いきなり、突き放すようなことを言わないでください」


 そう言いながら、エルシアはガインの手にある杯にさらに火酒を注いだ。


 油断した。涙で隙を突くとは。

 すでにいろんな種類の酒を飲んでいる。

 これ以上はガインでも酔い潰れるだろう。


「……お前は何がしたいんだ?」


 ガインはまっすぐにエルシアを見据えた。

 神殿を出た見返りに自分を差し出そうとしているのなら、それを受ける訳にはいかない。

 ただ依存しているだけだと言うのなら、それも否定してやらなければいけない。


 エルシアはまだ自由を知らないだけだ。

 本当に自分を必要としている訳では……。

 その思いを込め、ガインは金色の瞳でエルシアを強く見つめた。


「…………私、は……」


 迷うように瞳を揺らし、そして覚悟を決めた顔を上げると、まっすぐにガインを見つめ、エルシアは初めて大きな声を出した。


「私は! ガインの子供が欲しいのです!!」



 一瞬、時が止まった。

 ガインの思考も止まった。

 これ以上ない、殺し文句だった。


 耳まで紅く染めた顔で。涙を浮かべた瞳で。

 まっすぐに見つめてくるエルシアを直視できなくて、ガインは無意識に手にある杯をあおった。


「──っは!?」


 思わず飲んじまったじゃないか!


 くんっ、と引かれる感覚がして目を向けると、熱を持った色で頬を染め、エルシアが初めて自分からガインに触れてきていた。

 服の端をギュッと掴み、不安げに耳を下げ、心細そうに深い蒼色の瞳を涙で潤ませている。

 エルシアはかすかに震えながら、ガインを見上げるように見つめていた。


「…………ガイン…………」


 か細く、消え入りそうな声だった。

 エルシアがいま怯えているのは、ガインの返す言葉によっては避けようのない知らない世界での孤独だ。


「……私は、ガインと共に生きていきたいのです。……ずっと、ずっと傍にいてください」


 その頬を伝った涙を目にした時、ガインは激しく心を突き動かされた。声を出すより先に身体が動く。気付いた時には、エルシアは自分の腕の中にあった。自分をこんなにも必要とするエルシアが、愛しくて堪らない。


「…………ああ。ずっと、お前の傍にいよう」


 指が溶け込むほど強くエルシアを抱きしめ、ガインはその夜、宿の自分の部屋には戻らなかった。


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