第26話 掛け替えのないもの


 それから二日後。


 ガインたちは森林国家のミリクイードへと進路を決め、宿を後にしていた。

 エルシアの望む、自然豊かな森を目指す。


 ミリクイードは今いるサンキシュの東隣に位置する国で、その互いの国境には南北に走る山脈がある。その山々を越えてしまえば、そこから先がミリクイードだ。

 その土地は広大で、魔族領であるヴィルデスドール、人族の王が治めるダイアランに次ぐ、地上界で3番目に大きな国となる。

 森林国家というだけあって自然が多く、エルシアが隠れ住むには最適な場所と言えるだろう。


 ミリクイードのさらに東には、険しい山脈地帯を挟んで魔族領があるのだが、その山々の手前のすそ野辺りであれば、住む者も近付く者もほとんどいないはずだ。

 今はひとまず、その辺りを目指している。


 ガインたちは順調に旅路を進み、姿を隠す魔法で国境を抜け、誰にも知られずにミリクイードへ入った。いわゆる密入国というものだ。


 ミリクイードに入ってからは、見渡す限りが草原と丘と森と山ばかり。至る所に草木が茂り、緑溢れる豊かな自然が広がっていた。

 行く先々には川もあり、その流れは水底の石が見えるくらい透明に澄んでいる。魚の影が見える度、エルシアは嬉しそうな声を上げた。


 そこに咲く花も、飛ぶ鳥も。

 エルシアには初めて目にするものばかりだ。

 そよ風を細い指で撫でながら、木漏れ日が差し込む森の中を、それは楽しそうに歩いて行く。


 時間を気にせず、ただ東を目指す旅路。


 遥か彼方まで続く草原を眺めたり、立ち寄った町で地元の酒を買い、野宿しながら飲んでみたり、連携して魔物と戦ってみたり、その魔物から獲れた素材を売ってみたり。

 ガインもエルシアも、いかにも冒険者らしい旅を伸び伸びと楽しんでいた。


 共に朝を迎え、昼を過ごし、夕日を眺め、星空に語らう。晴れの日も、雨の日も。


 その道中、宿に泊まることもあったが、あの日から借りるのは一部屋だけとなっていた。



 ◇◇◇◇



 ふた月ほどかけ、目的地である人の住まない地域に辿り着いた頃には、二人は互いに掛け替えのない存在となっていた。

 どこへ行くにも、何をするにも一緒だ。


 ガインはエルシアの魔法で補助をしてもらいながら、ミリクイードの北東に位置する森の近くに一軒の丸太小屋を建てた。

 すぐにその山小屋を中心として、近くの森ごと隠遁の魔法が掛けられる。

 この時はまだ、目隠し程度のものだった。


 便利ではあるが、魔法は一時的なものだ。

 込めた魔力を使い果たせば、自然と消えてしまう。さすがのエルシアでも、広範囲にわたる魔法を連続で使うのは負担が大きい。

 すぐに魔術具の作製に取りかかり、ほどなくして結界を完成させた。


 後の『迷いの森』と『隠し森』の始まりである。



 そこで暮らし始めて、しばらく経った頃。

 二人は子を授かり、


 そして、ルーリアが生まれた。



「あぅー」


 ルーリアが小さな手を力いっぱい伸ばす。

 そこにガインが自分の人差し指をそろっと出すと、キュッと握った。


 ……めちゃくちゃ可愛い。


 ガインはエルシアも驚くほどの親馬鹿となっていた。猫可愛がりならぬ、虎可愛がりだ。

 しかし、それも仕方がないと言える。

 普段は人型をしているが、ガインの本質は白虎で、エルシアはエルフだ。


 あの時、声にして強く望まれたものの、異種族間で子供が出来るか分からなかったため、ルーリアがエルシアのお腹にいると分かった時は、本当に嬉しかったのだ。それに、ルーリアの特徴はガインとよく似ていた。


 白い色が入った黒髪に、幻惑の金色クライオフェンの瞳。エルシアに似たのは、少し尖った耳くらいだろうか。いや、女の子だから、大きくなればきっと母親に似て美しい娘となるだろう。


 ……エルシア似か。もし大きくなったルーリアに寄ってくる男がいたら、俺は理性を手放すかも知れん。


 割と本気でそう思い、ガインは爽やかな笑顔となった。気が早いにも程がある。

 ルーリアが生まれたことで、山小屋周辺の魔物が根こそぎ掃討されたのは言うまでもない。

 家の周りの結界はさらに強化され、ガインたちは外からの気配に神経質なほど過敏になっていった。


「最近は家の周りで魔物を見なくなったな」

「ガインが手当り次第に狩るから、魔物が怯えて寄りつかなくなったのではないですか?」


 可愛らしいルーリアの誕生は、タチの悪い過保護な親の誕生でもあった。



 ◇◇◇◇



 それからの4年ほどは、森での生活は何事もなく平穏に過ぎていった。


 ルーリアはすくすく育ち、エルシアの後ろを追いかけては、あちこち元気に歩き回っている。

 夜でも元気にはしゃぐため、寝かしつけるのもひと苦労だ。最近は会話も出来るようになってきたようで、エルシアと何かを話しては、よく笑い合っていた。


 絵に描いたような、幸せな家族。


 その頃には、ガインはミンシェッド家の動向を探るため、かつての部下で信頼の置ける二人と連絡を取るようになっていた。

 後にユヒムとアーシェンの父親となる、ギーゼとシャズールだ。


 どちらも人族で、今は商人をしている。

 ガインが神殿から姿を消したすぐ後に、二人も騎士を辞めたと言っていた。


 ギーゼは薄茶色の短い髪に水色の瞳と、ユヒムによく似ている。いや、この場合ユヒムが似ているのか。

 シャズールは、ややクセっ毛の紅い髪に黒い瞳だ。こちらも気の強そうな顔立ちは、アーシェンにしっかりと受け継がれている。

 どちらも元騎士なだけあって、細身というよりは少し鍛えた身体付きをしていた。


 ガインが家の周りで退治している魔物だが、それらから獲れる素材は上質で希少な物が多いらしい。それを扱うだけでも十分な稼ぎになるようで、ギーゼとシャズールはよくこの地を訪れるようになっていた。


 ガインは元部下だったこともあり、この二人の人柄をよく知り、家に招くほど信用していたが、エルシアは違っていた。

 全く信用していない訳ではないが、安心するための確かな保証が必要だと譲らない。


 ガインはエルシアにせがまれ、結果として二人に裏切り防止の魔術具を着けてもらうことになった。エルシア以外には外せないし、誰が作った物か分からないようにされた品だ。

 これも娘のためだ。そう自分に言い聞かせる。


 後に知ることになるのだが、人の心を操る魔術や魔術具などがあることを、この時のガインは知らなかった。

 神官であったエルシアは、どんなに信用や信頼をしていても、それがかえってあだとなることを自らの経験から嫌というほど知っていた。


 この魔術具の使用は今でも続いており、ユヒムたちにも身に着けてもらっている。

 昔と変わったのは、エルシアが家を離れることが増えたため、ガインにも着脱が可能となったことだ。ルーリアは単なる許可証だと思っているようだが、実はそうではない。


 決められた場所以外で、ここやガインたちのことを口に出し、それを同じ魔術具を着けていない者に聞かれると、その瞬間にノドが焼かれ、二度と言葉を発せない身体となってしまう、そんな魔術具だ。


 裏を返せば、誰かに自白を迫られた時、自らの意志で情報が漏れることを阻止できる『口封じの毒』とも言える。

 幸いにも今のところ犠牲者は出ていないが、エルシアはルーリアのこととなると味方にも一切容赦しなかった。ある意味、ガインより過激と言えよう。

 だが、ガインもそれでいいと思っているところはある。大事なのはルーリアを守ることだ。


 ギーゼたちはミンシェッド家の現状について、知っていることを詳しく教えてくれた。

 どうやらガインは、エルシアが屋敷を抜け出す時に殺されたことになっているらしい。

 神官の屋敷に騎士が呼びつけられ、いきなり姿が消えていたら、普通はそう思われるだろう。

 そしてそれについて、神官側が誰かに何かを言及されることはない。神殿とは、そういう場所だ。


 実際、ガインは呼びつけられたまま神殿を離れたため、自分の荷物は何一つ持ち出せていなかった。

 どこからどう見ても、計画性も何もない突然の失踪に見えたはずだ。

 何も持ち出せなかったから最初は苦労したが、倒した魔物から獲た素材や道中で採取した物を金銭に換え、どうにか旅を続けることが出来た。


 ギーゼたちから話を聞いた限りでは、ミンシェッド家は未だにエルシアを諦めた様子はなく、時間をかけてじわじわと探し出すつもりでいるらしい。


 当時、婚姻予定だったエルフも健在だそうだ。

 長命な種族だから、当然と言えば当然だが。


 …………嫌な話を聞いた。


 ミンシェッド家に捕まれば、ガインとルーリアは間違いなく存在を抹消されるだろう。

 無邪気に笑っているルーリアを見つめ、ガインは複雑な気持ちとなった。


 自分の子として生まれただけで他者から殺意を向けられる存在となってしまった娘は、いずれ来る未来で真実を知った時、果たして自分を許してくれるだろうか。


 例えそれが原因でルーリアに一生恨まれることになったとしても、この手で娘を守りたい。

 どんな手を使っても、ルーリアとエルシアだけは必ず守り抜いてみせる。


 ガインはその時、堅く心に誓ったのだった。


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