第24話 神殿からの逃亡
……嘘だろ!? 何だよ、それ!?
「え、ちょっ、エルシア様!? お、落ち着いてください!」
「私は落ち着いています。ガインが落ち着いてください」
全くだ。そう思いながら、ガインは慌てた。
「な、何でそんな話が出てきたんですか!? まともに話をするのって、今日が初めてですよね?」
「話をするのは初めてですが、私はガインを知っていますし、先ほど詳しく知りました。……私は、好きでもない人と婚姻したくはないのです」
胸元で手を重ね合わせ、エルシアは長いまつ毛を伏せて悲しそうな顔をした。
思い詰めた表情からは、いつもの無機質な神官らしさは感じられない。ちゃんと感情がある。
そこでガインはピンと来た。
……ああ、一族の誰かとそういう話が出ているのか。そりゃ、嫌なら焦りもするか。
エルシアの唐突すぎる話に繋がりが見えた。
たぶん誰でもいいから婚姻話を潰したかったのだろう。
ガインはその時、初めて、神官の顔ではないエルシアを知り、また悩んでいるただの一人の人として見ることが出来た。
要は決められた相手が嫌だから婚姻したくない、と。別に自分とじゃなくても、神殿から外の世界へ逃げられれば、それで解決する話だろう。
その時のガインは安易にそう考えていた。
「ここから逃げたい、のですか?」
「……協力して、もらえるのですか?」
長いまつ毛を震わせ、エルシアは弱々しく声を出す。きっと今まで味方はいなかったのだろう。エルシアの瞳は涙で潤んでいた。
逃げたところで逃げ切れるか分からないが、やらないで後悔するより、やって後悔すればいい。
この心を覗いたんだ。そういう話を聞いて断る性格じゃないのも分かった上でのことだろう。
何よりガインは女の泣き顔が苦手だった。
今度こそ捕まったら殺されるかも知れないが、頼ってきた相手が自分を必要とするのなら、全力で助けてやりたい。そのために騎士になったんだ。
ガインは自分でも驚くくらい、即行で決断した。
大した目標もなく神殿の騎士となり、警護と言っても何を守っているのかよく分からなかった毎日だ。そんな今の仕事に嫌気が差していたのも、ガインの背中を押す切っかけとなっていた。
「俺で良ければ協力しよう」
こうしてガインはその日の内に、エルシアを神殿から逃がすと決めた。
◇◇◇◇
神殿は、神の住む天上界と人が暮らす地上界の中間に存在している。極端に言えば、どちらにも近く、どちらとも違う別の世界だ。
天上界には神々以外、何人たりとも立ち入ることは許されていない。
そんな神殿から外に出るには、地上界に繋がる門を通るしかなかった。
しかしその門は複数あり、そのそれぞれに大勢の門番がいる。例え神官であっても、そこでは出入りが厳しくチェックされることになっていた。
……うーん、どうしたものか。
素早く門番を落として一気に駆け抜けるしかないか? いや、こっちにはエルシアがいるからそれは無理か。
「ガイン、ちょっといいですか?」
「……何ですか?」
どうやって門を抜けようか考えあぐねていると、エルシアは誰にも知られずに通り抜ける良い方法があると提案してきた。
その方法とは、エルシアの複合魔法で姿を完全に消し、他の誰かが通る時に便乗するという、とても単純なものだ。
しかし、門はそれそのものが魔術具だ。
さすがにバレるだろうとガインは思った。
だが、エルシアの言葉通り、緻密な魔法を重ね掛けして姿を消したガインたちは、誰に知られることもなく、あっさりと門を通り抜けることに成功する。拍子抜けもいいところだった。
ここでガインが役に立ったのは、足の遅いエルシアを抱きかかえて走り抜ける時くらいだ。
その際、抱えるためにエルシアに触れたのだが、出来るだけ素早く通り過ぎた方が良いと言っていた本人が顔を真っ赤にさせて固まり、その後、二人はどことなく微妙な空気となったのだった。
ひとまず、無事に門を抜けたエルシアは魔術具を身に着け、人族の姿に変身する。
耳が丸くなり、目の色が薄くなる程度の物だが、それでも何もないよりはマシと言えた。
門を抜け、二人が最初に訪れたのは、妖精女王の統べる国・サンキシュであった。
地上界における12の国の内、9番目の国土となる、やや小さな国だ。
まずガインは少ない手持ちの中から適当な服を買い、その場で着替えた。神殿の騎士服は人目につかないよう、エルシアに魔法で焼いて処分してもらうことにする。
エルシアは私服に着替えさせてから連れ出しているため、そのままでも大丈夫そうだった。
ただし、高級そうな服しかなかったため、違う意味で少しだけ目立ってはいる。旅行中の貴族とその従者、のように見えることを願うばかりだ。
街中では旅行者のふりをしつつ、不自然ではない程度に少しずつ門から離れて行く。
ガインはあらゆる方向に警戒を強めていた。
しかし、気合いを入れてエルシアを連れ出したものの、数日経っても追手が迫ってくることも、手配書などがバラ撒かれることもない。
……なぜだ?
不思議に思いエルシアに尋ねると、神官が逃げたとなれば一族の恥となるため、手配書などがバラ撒かれることは絶対にないと言い切られてしまった。
むしろ逃亡の事実を全力で隠してくれるらしい。……それでいいのか、神官一族。
それにエルシアには、自身を感知させない魔法が常に作用しているらしい。追手がエルシアの魔力を上回らなければ、後を追うような真似は出来ないそうだ。
ちなみに神殿には、エルシアを超える魔力の持ち主はいないという。無敵か。
ついでとばかりに、こちらにも同じ魔法を掛けたとエルシアは事後報告してきた。
……何だ、この敗北感。俺がいる意味あるのか、これ? 助けるってより、こっちが守られてないか?
そうは思ったものの、エルシアの体力は普通の人族並みだった。いや、それ以下だった。
とにかく歩くのが遅い。
ガインがエルシアの歩くペースを考えたり、手助けをしてやらなければ、すぐにバテてしまっていた。
それに道中、魔物が出た時はガインが前面に出て戦い、エルシアが寝ている時も側で見張りをしたりと、護衛騎士のようなことはしていた。
その上、エルシアは金銭面の常識が丸ごと抜けていたため、それら全てがガインの役目となった。正しく言えば、エルシアは金の存在自体を知らなかったのだ。
ガインも計算が得意な方ではなかったが、エルシアよりはマシだったので、やるしかなかった。
旅をすれば、当然いろんな交渉事が出てくる。
その時、獣人でありながら人族と似た見た目でいられたことはガインにとって幸運だった。
神殿で働く獣人は、余計な争い事を避けるため、耳もしっぽも爪も隠し、この世界で一番数の多い人族に見た目を合わせる。
中にはそれが苦手で変身の魔術具を使う者もいるが、ガインは問題なくこなせた。
実はガインには身寄りがなく、前騎士団長に拾われて神殿内で育ったため、幼い頃からその姿でいることに慣れていたのだ。
それが今回の逃亡では特に役に立った。
サンキシュ内で獣人が差別されていると聞いたことはないが、もしかしたら偏見はあるかも知れない。
余計な揉め事を避けるためにも、二人はサンキシュにいる間は人族のふりをすることにしていた。
逃亡の旅は、大きな問題もなく進む。
当初の『エルシアを助ける』という役割は微妙なところだが、ガインは自分に出来ることを探し、エルシアの逃亡の補助に徹した。
金銭面では役に立たないエルシアも、魔法に関しては魔王級だ。火でも水でも必要な時に出せるから、それだけは便利だった。
しかしそれを差し引いても、地上界で暮らすための知識がエルシアには圧倒的に足りない。
金の使い方は覚えられないし、料理も出来ない。魔力はアホみたいにあるが、体力はない。
これでよく外の世界に出ようと思ったものだ、とガインは呆れた。
たぶん食べなくても死にはしないのだろうが、神殿から外の世界に出てしまった今では、一人で放っておくのは不安すぎる。
このままでは、まずい。ガインは焦った。
いつまで経ってもエルシアが自立できる気がしない。
そこでガインは、生活に必要な知識を自分なりに教え込むことにした。特に金銭面を重点的に。
あと、それとは別に、自分の気持ちにも整理をつけなければいけなかった。
一緒に旅をしている内に、エルシアに対して情が湧いてしまっていたのだ。直視しないようにしてはいるが、目で追ってしまうことがある。
だが、男女の機微といったものではないと、ガインは感じていた。劣情を抱くよりも、何者からも守ってやりたくなるような庇護欲の方が強く出るからだ。
エルシアはそれなりに強いし、何よりも自分のものではない。最初は放っておけない心配からくるものだと思っていたが、エルシアとどう在りたいのか、最近では自分でもよく分からなくなっていた。
エルシアを見て綺麗だと思うのは、ただの事実だから気にする必要はないと思っている。
もう神殿を出てから、だいぶ経つ。
門からもかなり離れた。
ガインはこれから先のことをちゃんと話しておこうと思い、エルシアを酒に誘うことにした。
逃亡中の身で呑気に外で飲む訳にもいかないから、酒を何本か買い込み、その日の宿に持ち込むことにする。
そうして泊まる部屋は別々に取り、エルシアの部屋で飲むこととなった。
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