第11話 料理って
ルーリアのしばらくの沈黙。
それだけでアーシェンは全てを察した。
ルーリアはお菓子どころか、料理そのものを知らない、と。それと同時に、ガインへの文句が口早に奥の扉へ向けて放たれた。
「だからガイン様にはお任せ出来ないと言ったんです! あれほどエルシア様を基準にしてはいけないとお伝えしたのに! なんにも分かってらっしゃらないじゃないですか! どうなさるんですか! 責任を取って、お嫁さんにでもなさるおつもりですか!? 残念ですが娘は嫁に出来ません! 目の前でかっさらわれて悔しがって泣けばいいんですッ!!」
うぁ……っ! ど、どうしよう!?
わたしが『りょうり』というものを知らないせいで、アーシェンさんが壊れた!?
音断の魔法の効果で、ガインたちのいる商談部屋の中にはこちらの声も届かない。
アーシェンはひとしきり文句をぶつけ終わるとルーリアに向き直り、怒っているけど微笑んでいるという器用な顔をして、盛大なため息を漏らした。あとが怖そうだ。
「ルーリアちゃん。料理っていうのは食材をそのまま食べるんじゃなくて、加工して食べ物を作るということなの」
「加工、ですか?」
「そう。ルーリアちゃんは調合が得意だから、それの食材版と考えてもらえばいいと思うわ」
「食材を調合……」
何となくだけど分かるような気がした。
たぶん切ったり、混ぜたり、熱を加えたり、とかだと思う。あの時、天使みたいな少年が作ってくれたサクサクは料理だったのかも知れない。木の実を焼いて食べることなら、少年に教えてもらったからルーリアでも知っている。
「それにしても、エルシア様もガイン様も、ご自分の娘に対してあまりにもひどい。まさか料理もお菓子も知らないだなんて」
何がそんなにひどいのかルーリアには分からないけど、アーシェンはがっかりした様子で肩を落とした。
「それを知らないと何かあるんですか?」
「ここで暮らす分には問題ないかも知れないけど、外に出れば人に尋ねるようなことではないのよ、ルーリアちゃん」
人に尋ねることではない。つまりは常識?
でも……それは困ることなのだろうか?
正直、分からなかった。そもそも『外に出る』という選択肢が、ルーリアの生活には存在しない。
「まぁ、いいわ。料理は今度、教えてあげましょう。魔法も調合も子供の頃からやってるんだから、ルーリアちゃんには簡単なはずよ」
そう言って一人納得すると、アーシェンはテーブルの上のお菓子に視線を戻した。
「じゃあ、改めて。こっちからクッキー、タルト、パイ、コンフェイト、それからピッコナの砂糖菓子ね」
一つずつ指を差しながら、アーシェンはお菓子の名前を口にする。どれも初めて聞く名前ばかりだ。
「大まかに言うと、クッキーとタルトとパイは材料を混ぜ合わせて焼いたお菓子。コンフェイトは熱を加えて作ったお菓子。ピッコナは細かくした材料を砂糖で固めた物よ」
「……本当に調合に似ていますね」
違うのは作った物を『使う』のではなく、『食べる』ということだ。しかも出来立てを。
これはある意味すごいと思った。
普通、調合したからと言って、いきなり自分の身体で試したりはしない。
「品質の良い材料をそろえることに拘れば、出来上がる料理の質が上がるのは調合と一緒よ」
なるほど。それなら。
「もしかして味も変わりますか?」
アーシェンは待ってました、と言わんばかりに口元を緩めた。
「それが一番大事なんだけど、なんと料理は調合と違って、同じ食材を使っても毎回必ず同じ味になるとは限らないのよ」
「えっ! そうなんですか!?」
毎回、変わる。もしかして料理って、とんでもなく高レベルな技能なのでは? 自分なんかが手を出してもいいのだろうか?
「そんなに難しい顔をしなくても大丈夫よ。料理はなんと言っても、愛情が込もっていれば美味しくなるんだから」
「え!?」
あ、愛情!?
今、アーシェンさんは愛情って言いました?
そんな目に見えない感情が必要になるなんて。
料理って……!?
「それよりも、まずは実際に食べてみて美味しく感じるかどうかの方が大事よ。美味しく感じることが出来なかったら、せっかく作っても意味はないもの」
「……あ、そ、そうですね」
動揺を隠せないまま、ルーリアはお菓子の入った箱と袋を見下ろした。
「………………」
うぐ……っ。た、食べ方が分からないっ!
「ルーリアちゃん。お皿を二枚、借りられるかしら?」
「あ、はい。すぐに持ってきます」
水魔法で手を洗ったアーシェンは、皿にお菓子を載せていった。目の前に並べられる色とりどりのお菓子たち。
「わぁ、すごい……」
明るい赤、淡いピンク、涼しげな水色。
爽やかな黄緑、ツヤのある琥珀色。
香ばしそうな焦げ茶色、鮮やかな黄色。
「いろんな季節を切り取って並べたような、不思議な光景ですね。とても綺麗です」
はぁ……っと、ルーリアから感心したような息がこぼれると、アーシェンは嬉しそうに笑った。
「ふふっ。ルーリアちゃんは吟遊詩人のようなことを言うのね」
「詩人のつもりはないですけど、料理についてちょっと勉強してみたくなりました」
手の込んだ作りのお菓子たちに、ルーリアの目はすでに釘付けだ。
「興味を持ってもらえて嬉しいわ。旅をしていると、料理をする時間なんてほとんど取れないから。こういうお菓子が食べたくなったら、お店で買って済ませちゃうのよ」
「お店で作って売っているんですか?」
「ええ、そうよ。お菓子を作る職人がいて、人気のあるお菓子は並ばないと買えなかったり、すぐに売り切れたりするんだから」
……売り切れ。
ルーリアは魔虫の蜂蜜屋に人々が並ぶ光景を想像してみた。
自分たちの作る蜂蜜は万能回復薬だ。
それに人が並ぶだなんて、国を揺るがすほどの大規模な戦闘か、はたまた次々と人が倒れるような危険な病の流行か。
悲しいことに、緊急事態しか思い浮かばなかった。
……ウチは繁盛してはいけない!
ぶんぶんと首を振り、ルーリアは嫌な想像を頭から追い出した。
「あ、フォークも持ってきますね」
「お菓子は手掴みでも大丈夫よ」
「えっ、そうなんですか?」
席を立とうとしたところを止められ、座り直して水魔法で手を洗う。
「さぁ、どうぞ。召し上がれ」
「は、はいっ」
テーブルの上で両手を組み、目を伏せて創造神に食前の祈りを捧げる。
「我らが世界の神にして創造主、テイルアーク様に祈りと感謝を捧げ、今日この糧をいただきます」
ルーリアに続き、アーシェンも祈りの言葉を口ずさむ。そして言い終わると皿からお菓子を摘まみ、ヒョイッと口の中へ入れた。その様子を見て、ルーリアも目の前の皿へと視線を落とす。
……どれからにしましょう。
しばらく迷ってから、そっと皿に手を伸ばし、真っ赤なピッコナの砂糖菓子を摘まんだ。割としっかり固まっている。
春に採れるピッコナは、鮮やかな赤い色をした、ちょっと酸っぱい小さな果実だ。ルーリアはお菓子初心者だから、最初は味の想像がつきやすい物にしようと考えた。
……良い香り。
鼻先を近付けただけで、甘酸っぱい香りが胸の奥を満たしていく。今は秋なのに、ここにだけ春が訪れたようだ。
砂糖で固めているからか、照明が当たると細やかな光を薄く反射して、キラキラと宝石のように煌めく。見ているだけで楽しくなってきた。
……では。
ひとしきり眺めた後、ピッコナの砂糖菓子を口に入れた。
「────!」
思わず、呼吸を忘れる。
ルーリアは口元を押さえ、出そうになった声を呑み込んで固まった。
これでもかと凝縮させた濃い香りが一気に口の中にとろけ出す。ピッコナ本来の味よりも甘く、なめらかな食感が広がっていく。
それはまるで地上界にはない極上の果実を口にしたようで、その衝撃はルーリアの想像の遥か上を行っていた。
ななな、何ですか、これッ!?
ピッコナよりもずっと美味しいっ!!
「ア、アーシェンさんっ!」
「どうしたの、ルーリアちゃん?」
テーブルに手をついて身を乗り出すルーリアを、アーシェンはとても面白いものを目にしたように微笑んで見つめる。
「あ、あのっ、これ。ピッコナと砂糖だけじゃありませんよね? 他にもいろいろ──」
ピシッ! と、人差し指を立てた右腕を突き出し、アーシェンはルーリアの言葉を遮った。
「ルーリアちゃん。これが、料理よ!」
「!! こ、これが、『料理』!!」
その時、ルーリアは本能的に悟った。
きっと自分は料理が好きになる、と。
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