第10話 お菓子も知らない


「これがサンキシュからで、こっちがダイアランから。そして、こちらがエルシア様からです」


 各国からの手紙などの後に、布で包まれたエルシアからの荷物がガインに手渡される。


 サンキシュとダイアランは隣国の名だ。

 ミリクイードから見てサンキシュは西、ダイアランは南東に位置している。


「お母様からですか。久しぶりですね!」


 ルーリアはエルシア──しばらく家に帰っていない母の名を耳にして嬉しそうに表情を緩めた。

 とりあえず元気そうでホッとする。


「確かに受け取った」


 ガインの声に反応したように、荷物から淡い光の粒が浮かび上がる。そして小さな輪になったかと思うと、パッと弾け飛ぶように音もなく散って消えた。


「……今のは?」

「盗難防止の魔法か何かだろう」


 何てことはない、とガインはすぐに荷物を解き始めた。もう少し警戒した方がいいのでは? と、ルーリアはその様子を見つめる。


「お母様、今はどこにいるのでしょう」


 ルーリアがエルシアを『お母様』、ガインを『お父さん』と呼び分けているのには理由があった。


 ひと言で言ってしまえば、それは『身分』だ。

 この世界は『天上界』『神殿』『地上界』の三層構造で成り立っており、ルーリアの母──エルシア・ミンシェッドは神殿の生まれであった。


 神と女神たちの住む天上界。

 そこへ繋がる門の役割ともなっている、聖なる神殿。

 エルシアはその神殿で代々神に仕えるエルフ一族・ミンシェッド家の出身で、昔は神官を務める立場にもあった。


 身分上、エルシアはガインよりも立場が上となる。そのため、ルーリアはエルシアのことを『お母様』と呼ぶように幼い頃から言われていた。ガインの譲れない拘りだ。

 だが、そのガインはエルシアを呼び捨てにしている。今さら『どうして?』と聞けない、ルーリアの解せぬ案件トップ3の一つである。


 そして、エルシアが長く家を留守にしている理由。それがトップ3の、もう一つでもあった。

 エルシアは、なぜか現役の勇者パーティの一員なのだ。

 家にいる時はずっと側にいてくれるが、一度外へ出てしまうと、いつ帰ってくるのか、どこへ行っているのか、ルーリアには知る由もなかった。


 そんなエルシアからの荷物だ。

 何か変わった物が見られるかも知れない。

 ルーリアの期待は自然と膨らんでいった。


「何が送られてきたのですか?」


 好奇心いっぱいの金色の瞳を輝かせ、包みの中を覗き込む。一番に、ヒョロヒョロとした細い棒のような物が目に映った。


「……木の枝、でしょうか?」


 何でそんな物が? と、不思議に思って手を伸ばそうとすると、ガインはその手を優しく取った。先にルーリアが何かをしようとすると、ガインはいつだって慎重になる。


 ルーリアは一瞬、ドキリとした。

 ガインに触れられるのなんて何年ぶりだろう。

 娘が父親に触れられたくらいで緊張するというのも変な話だが、それも仕方がないと言えた。

 ここ数年、ガインとは一緒に暮らしていても、親子らしい触れ合いは何もなかったのだ。

 それに加え、ルーリアとガインは色合いは似ているものの、傍目には親子っぽさがあまりなかった。


 獣人は活動に適した姿に成長した後は、その状態が長く続く。ガインも例外ではなく、本当はもっと長く生きているが、人族に例えるなら20代前半くらいの見た目と言えた。

 ルーリアぐらいの子持ちにはとても見えない。

 実の父娘ではあるが、人族から見れば歳の離れた兄妹に見えてしまうだろう。そしてルーリアの感覚は限りなく人族のものに近い。


 そんなガインをチラリと見上げ、ルーリアは慌てて視線を荷物に戻した。


「どうやら、もう一つ魔法が掛けてあるようだ」


 荷物を包んでいた布に付いている、小さく光る石。それをガインは指差した。魔術具には必ず付いている魔石だ。

 ガインは右手の親指をその魔石に押し当て、少し待った。すると先ほどと同じように光の粒が集まり、輪を作って弾けるとフッと消えた。もう魔石も光ってはいない。


 いつもなら、こんな魔法なんて掛けないのに。

 こんなに厳重にするなんて、いったい何が送られてきたのだろう?


 ルーリアは息を呑み、その様子を見守る。

 魔法が解けると、布の上にあった物はその姿を変えた。見た目を誤魔化す魔法が掛けられていたらしい。


「わぁ……。すごい、綺麗ー……」


 さっき細い枝のように見えていた物は、豪奢ごうしゃな装飾の施された立派な白い弓となっていた。

 その弓には大きな深緑色の魔石がはめ込まれ、持ち手の上の部分には、ミンシェッドの家紋が刻まれている。どこからどう見ても、神殿に務めるエルフ一族の家宝だろう。

 それをどうしてお母様が? と、ルーリアは首を傾げた。


「フェルドラル……を、送り返してきたのか?」


 眉間にシワを寄せ、ガインは怪訝そうな目を弓に向けた。

 白地に金色で細かい模様が飾られ、羽根を思わせる美しい弓だ。

 そのガインの横で、武器に名前が付いているなんて、ちょっと可愛い。いったい誰が付けたのだろう? と、ルーリアは呑気に曰くありげな弓を眺める。


 この時のルーリアはまだ知らなかった。

 この弓を可愛いと思ったことを、心の底から後悔する日が来ることを。


「何があったのか情報が欲しい。アーシェン、ユヒムを借りるぞ」


 ガインの中でエルシアのことは最優先事項だ。

 ユヒムに休む間を与えず、ガインは一緒に送られてきた手紙を手にして、一番奥の部屋へ入って行った。

 奥の部屋には音断の魔法が掛けられており、中の音は一切漏れないようになっている。大切な話や蜂蜜の商談などは、いつもこの部屋で行われていた。

 二人が部屋に入って行くのを見送り、ルーリアは軽くため息をつく。


「ユヒムさんは着いたばかりなのに。全く、お父さんはお母様のこととなるとダメですね。アーシェンさん、疲れていませんか? お茶でも淹れますね」

「ありがとう、ルーリアちゃん。ユヒムは平気よ。それが仕事だもの」


 アーシェンはニッコリ笑顔で振り返ると、ルーリアを手招きする。


 ……? 何でしょう?


「それより見せたい物があるの」と、荷物の整理を後回しにして、アーシェンはルーリアに手にした物を見せた。その手にあるのは、紙で作られた箱と袋だ。


 中身は軽そうだけど……薬?

 それとも調合の材料?


 どれも手の平に収まる小さな物だ。

 アーシェンは楽しそうに、テーブルの上にそれらを並べた。全部で五つある。特に丁寧に扱われている箱は、もしや危険物だろうか?


 ルーリアがお茶をカップに注いで席に着くと、アーシェンは箱と袋を一つずつ丁寧に開けていった。


 これは……いったい何?

 甘いような、香ばしいような?


 そんな香りが店の中に広がる。

 果実のような、とても良い匂いだ。

 ヒョイッと中を覗き込んだけれど、あるのはルーリアが見たことのない物ばかりだった。


 ……んん? くす、り……?


「これは何ですか? 甘くて香ばしい匂いで……」


 そう言って顔を上げると、ほんの一瞬だけ切なそうな目をして、アーシェンは「やっぱり」と呟いた。


 ……やっぱり?


 すぐにいつもの笑顔に戻ったから、切なそうに見えたのはルーリアの気のせいだったかも知れない。


「良い香りですね。これ、もしかして果物ですか?」

「これはお菓子よ。残念ながら、私の手作りじゃないけどね。普通に食べられている物なんだけど……」

「おかし、ですか」


 初めて耳にした言葉だった。

 お菓子。とりあえず食べ物らしい。

 普段、ルーリアは蜂蜜と木の実と果実くらいしか口にしない。だから『お菓子』という物を見せられても、何をどうしたらいいのか分からなかった。


「あの……」


 ルーリアが困った顔を向けると、アーシェンは優しく微笑んだ。


「これは全部、植物とミルクと卵で出来ているの。ミルクと卵は平気よね? こっちとこっちは全部、元は植物よ」

「えっ! これが植物なんですか!?」


 素直に驚いた。

 この辺りの植物は調べ尽くして、ほぼ制覇したと思っていたのに。こんな物は見た記憶がない。

 複雑な形をしている物もあり、木の実を焼いただけにも見えない。魔法か何かで作るのだろうか?


 ルーリアが真剣な顔であれこれ考えていると、アーシェンがとても残念なものを見る目で、恐る恐る尋ねてきた。


「……ルーリアちゃん、もしかして、だけど。『料理』って言葉は知ってる……よね?」


 語尾に『知っていて欲しい』という思いがにじみ出ている質問に、ルーリアは答えられずに俯いた。


 ……ごめんなさい。知りません。


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