第1章・隠し森
第9話 小さな店番
晴れやかな秋空が広がる、隠し森。
ルーリアが旅の少年と出会って別れてから、ちょうど6年の月日が流れていた。
──チリリン
花のような甘い香りが漂う店内に、軽やかなベルの音が響く。かなり久しぶりの来客だ。
「ユヒムさん、アーシェンさん、いらっしゃい」
この日をとても楽しみにしていたルーリアは、店の奥にある一枚板のカウンターから身を乗り出し、来店した二人に弾んだ声をかけた。
人族の山里にはよくある、丸太で組まれた山小屋。その店内に入ってきた一組の男女を、天井から下がる照明の魔術具が淡い光で照らし出す。
訪ねてきたのは、人族の商人。
ユヒムが17歳で、アーシェンがその一つ下とまだ若いが、この店に来るようになって10年以上の付き合いがある常連客である。
来店の予約が入っていたから店番のルーリアは森へは行かず、二人が来るのをずっとここで待っていた。
今日は人族ではなく、ハーフエルフの姿のままでいる。この二人は店に訪ねてくる客の中でも、正体を明かせる特別な存在だった。
父親以外の人と会話をするのは久しぶりだ。
それだけでルーリアは朝からずっとそわそわとしていた。
店内を隅々まで掃除して、摘んできた草花を飾り、二人に出すならどの茶葉がいいか、さっきまで真剣に台所で悩んでいた。
「久しぶり、ルーリアちゃん」
薄茶色の髪がサラリと揺れ、透き通った
ユヒムは手にしていた重い荷物を音を立てずに床に下ろした。
颯爽とした動きは、いつ見ても品がある。
端正な顔立ちで商人というより貴族のような立ち居振る舞いのユヒムは、きっと女性の間ではモテるタイプだろう。
「こんにちは、ルーリアちゃん。ガイン様はいらっしゃるかしら?」
ゆるく巻いた紅い髪を肩にかけ、アーシェンは意思の強そうな
女性ながらの凛々しい姿に、高級感のある黒の旅装。服を縁取る銀細工が大人びたアーシェンにはよく似合っている。
外套はユヒムとそろえたのだろうか。
同じ白地に金の刺繍と縁取りだ。
アーシェンは店の奥に入ってくると、家に帰ってきたような
「お父さんは今、森に行っています。二人が来たことには気付いていると思いますから、すぐに戻ってくると思いますよ」
そう言ってルーリアはチラリと窓の外へ目を向ける。
「そう、分かったわ。ちょっとカウンター前を借りるわね」
「どうぞ」
笑顔で持ってきた荷物に手を伸ばすアーシェンの手首には、ルーリアが『許可証』と呼ぶ魔術具があった。
6年前、この森に迷い込んできた少年たちが身に着け、出る時に外された物と同じ物だ。
今は森の奥に行っているガインだが、許可証を持った者が結界内に入ると、すぐに分かるようになっている。きっと今頃は花畑を抜け、近くまで戻ってきていることだろう。
ルーリアは店に入ってきた時の二人を思い出し、完全に荷物持ちだったユヒムに疑問を抱いていた。
……ユヒムさんはやっぱり、アーシェンさんのことが好きなんじゃないかなぁ?
二人は小さい頃はライバルというか、どちらかといえば競い合う仲だった。いったい、いつからこんな関係に?
二人が初めて出会ったのは5歳を過ぎた頃だ。
場所はここ。もちろんルーリアもいた。
最初二人は、行商人だったそれぞれの父親と店に来ていて、親が引退する頃には一人で来店するようになり、それが今では二人で一緒に行商をしているという。なのに恋人同士ではないなんて、どう考えても怪しいと思う。
幼い頃から付き合いのある二人とは、客というより兄弟姉妹のような間柄だ。
ルーリアにとってアーシェンは優しい姉であり、ユヒムはちょっとクセのある弟だ。
「ルーリアちゃん。これ、いつもの茶葉と……」
いつもと変わらない会話だが、その呼び方にルーリアはムッとした。
「ユヒムさん、『ちゃん付け』は止めてください。何度も言っていますけど、わたしの方がお姉さんなんですよ?」
頬を膨らませ、軽く睨むようにユヒムを見上げる。
ユヒムはカウンターの上に荷物を置きながら、ちょっとだけからかうような目をルーリアに向けた。
踏み台に乗っていても、まだルーリアの方が低い位置にいる。そして今の表情も子供っぽく見えている原因なんだけどな、とユヒムはクスリと笑った。
「ルーリアちゃんは小さくて可愛いんだから、ルーリアちゃんだよ」
ぬぅっ。わざと二回も……! ひどい。
ユヒムは身長が175センチくらいある。
対する自分は130センチくらいだ。
小さな子供を見るようなユヒムの目と、それを見上げる自分。ユヒムを言い負かすだけの要素がどこにも見当たらない。
くぅ……っ!
今の自分は人族に例えれば、やっと10歳を過ぎたくらいの見た目だ。年相応な姿のユヒムが子供に向けた反応になるのも仕方がないと言える。
ユヒムの身長がまだ伸びているかも、と考えると、ルーリアはそれだけで悲しくなった。勝てる気がしない。数年前までは自分と大して変わらなかったのに、今では比べるまでもない。
ユヒムにからかうように頭を撫でられ、振り払おうと思って手を伸ばしても、腕を上げられてしまえば届かない。うぬぅ……!
相変わらず短い時間しか起きていられないし、身体はちっとも成長しない。こんな変わった体質だから、外にも出してもらえない。
出ようとしても、どうせ透明な壁に邪魔される。
はぁ……。
実は過去に一度だけ結界を壊そうとしたこともあったけど、それは見事に失敗した。
幼い姿のルーリアでは、純血のエルフである母親を上回ることなんて到底無理な話だ。
それにただでさえ両親には、ずっと心配をかけてきたのだ。そんな自分が、さらに困らせるようなことをするなんて、そんなことは望んでいない。今では言いつけを破ってまで外に出たいとは思わなくなっていた。
長く起きていられない上に成長しない身体。
それはルーリアの最大の悩みであり、目に見える形で心に深く突き刺さるトゲとなっていた。
ギイッと扉の開く音が聞こえ、ルーリアは顔を上げる。ベルが鳴っていないから裏口の方だ。
床板に硬いブーツの足音を伝わせ、すぐにガインが店内に入ってきた。
秋だというのに厚着を嫌うガインは、いつものように軽装でいる。黒の上着は肩口から先の袖がなく、下は作業着のような草色の長ズボンだ。寒くないのだろうか。
小さくひと
無造作に切られた髪は、邪魔な部分を適当に束ねたくらいの雑な扱いだ。だが、ガインは野性味のある整った顔立ちをしているから、それがよく似合い、大人の男としての魅力が増すだけとなっている。
もしガインが黙ってじっと見つめていたら、その気がなくても女の方が勝手に意識してしまうだろう。
中身が入ったタルは重さが250キロはある。
蜂蜜屋を始めてから重いタルを持つようになり、若い頃と比べると、ガインはやや筋肉質な身体付きとなっていた。それにもまた獣人特有の靭やかさが加わり、自然と男の色気を引き立たせている。
軽々とタルを担いでカウンター前まで来ると、ガインはすぐに金色の瞳にユヒムたちを捉えた。
獰猛な獣を思わせる黒い瞳孔。
その視線をカウンター前にいる二人に向ける。
「二人とも、遠い所まで済まなかったな」
床を軋ませ、ガインは肩からタルを下ろした。
中身はもちろん、ルーリアご自慢の蜂蜜だ。
「お久しぶりです、ガイン様。戻ってくる時は一瞬ですから、大丈夫です」
「こちらこそ、いつもお世話になります」
ユヒムとアーシェンは背筋を伸ばし、そろって礼儀正しく一礼した。
ガインには従順な姿勢を見せる二人だが、商人たちの間では『敵に回したら最後。店は草の根一本も残らない更地にされる』と、一目置かれる存在にある。もっとも、そんな話をルーリアが知ることはないが。
「今日はこれを頼む」
「承知しました」
アーシェンは荷物の中から布を取り出し、床に広げた。それを見て、魔法陣が描かれた布の真ん中にガインがタルを置き直す。
アーシェンが布でタルを包み、フタの上で魔石が付いたピンで留めると、内側が淡く光った。
「これでよし、と」
これは商人がよく使う運搬用の魔術具だ。
ピンには持ち手の輪っかが付いており、そこを持てば、どんなにか弱い女性でも軽々と持ち運びが出来るようになる。……のだが。
……まぁ、それでも持つのはユヒムさんなんでしょうけど。
ルーリアはそんな目でタルを見つめていた。
「今回は何か預かってきてるか?」
ユヒムたちの荷物に目を向け、ガインが尋ねる。
その視線に即座に反応したユヒムはいくつかの品物を手に取り、カウンターの上に並べていった。
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