第7話

体育の授業。毎年一年を通して、あらかじめ何を取り上げるか決まっているのか、この高校では高三の二学期はサッカーをやる事になってるらしい。もし、もっと前に授業でサッカーがあったら、俺は何を思うのだろうかと翔太は内心そんな事を考えていた。体育の授業とはいえ、久しぶりにボールに触れる。サッカーじゃなく音楽、バンドを選択した時点でサッカーボールやスパイク、ユニフォームなどは全て自分の部屋の押し入れの奥に封じ込めてあった。それくらいサッカーとは距離を置いていた。夏が終焉を迎え、緑の色が抜け始めた葉を見つけたら、もう季節は秋。この時期から半袖、短パンは止め、袖の長い服を着て体育の授業が行なわれる。高校の三年にもなると、もう半袖、短パンの授業は、生涯ないなと思いながら。二学期の授業が始まる。サッカー部に所属してる奴が、翔太のクラスには二人いた。彼の高校は都立高では強豪高の部類に入るから部員数も50名はいる。全国には部員100名なんてサッカーに力を入れている名門校なら当然だが、都立高で一つの部で50名の人間を集めるのは至難の業だ。少子化だし。ある意味では凄い事。ちなみに翔太と同じクラスの二人はレギュラーメンバーではない。

「じゃあ授業を始める、二学期の間はサッカーをやる。サッカーは高校三年間で一回はやる事になってるか、お前らは高三の二学期にこれをやる事になった。進路を決定する次期にサッカー。なかなかいいだろ?」

「先生、何がいいんすか?」

生徒の一人が半分ウケ狙いで質問を投げかける。

「人気あんだろ。サッカー。お前ら好きだろ。ちなみに質問。お前らの年代じゃ野球とサッカーどっちが人気あるんだ?」

「どっちっすかね、同じくらいじゃないっすか?」

「そうなのか、一時期Jリーグが発足してサッカーが野球をやる子供を根こそぎ奪ってしまったと思ったが、メジャーリーグとかWBCとかもあって野球も世界規模で夢が持てると知った子供達が、再び野球に興味を持つようになった。最近また野球やる子が増えて来た感じがするしな。その辺の公園で野球する子供を見るようになったしな」

「じゃあ、先生。野球やりますか?俺ら野球でもいいっすよ」

また笑いが起こる。

「それはダメだ。サッカーをやる。これは体育の授業、年間スケジュールだから。ほらそこ。お前ら笑い過ぎ。じゃあ、とりあえずサッカー経験者。サッカー部は前に出ろ。リフティングから入るから、見本を見せてもらう。先生は野球部コーチだからな。ちなみにリフティング。先生は出来ないぞ」

そんなん威張って言う事か。でもはっきり物言うなこの人。と翔太は思った。前に出されたサッカー部補欠組は、そこそこのリフティングを披露した。両足。ももとインステップで水鳥の動きにも似たリフティング。サッカーを始めた子供達が最初にやる基本の練習だ。これが止める、蹴るという感覚を覚えさす。リフティングが巧くなるとトラップが前に比べて数段巧くなる。まあ、こんなもんかと翔太はそのリフティングを見て思った。こいつらよりは俺の方がリフティングは上手いなとか思いながらも彼らのそれに見入っていた。でもこういう見世物パンダになるのはゴメンだとも彼は思った。それからすぐに先生は生徒にそれをやらせる。翔太は目立ち過ぎない程度にリフティングをやった。それでも他の生徒とはレベルが違うのは一目瞭然だった。ボールを蹴った事がないような人間からは、相当に上手く、そして様になっていた。ボールと体が一体になっている。立ち姿の美しさもあり、みんなの目を釘付けにした。

―おおっ吉川、上手くね。

―あいつ。サッカーやってたんだろ。

―っていうか。全然ボール落とさないぞ。まだ一回もミスってねえぞ。あいつ。

「吉川。お前サッカーやってたんか?」

先生が驚いた様子で翔太に近付く。

「えっまあ、はい。ちょっとかじった程度っすけど」

15歳まではプロ目指してやってましたとは口が滑っても言えません。見世物パンダになりそうだから。

「吉川はウチに入学してサッカー部に入ろうとは思わなかったのか?」

「そうっすね。まったく思いませんでした。ウチのサッカー部が結構強いのは知ってましたけど。だから部員もいっぱいいるし、試合に出るのも大変そうなんで。それじゃあ、やっても面白くはないなってのもあったし。それよりも俺、高校では音楽やろうって始めから決めてたんで。バンド。一回は組たかったし」

半分本とで半分嘘。

「あっそうか。吉川、お前確か軽音部だったっけな。先生見たぞ。文化祭で一番良かったのがお前らのバンドだった。そういえば、お前相当歌上手いな。俺、ちょっと感動したぞ。将来、ミュージシャンでも目指すのか?」

「いえ、そこまでは。先生。それより皆こっち見てますよ。全員。動きが止まってます」

そしてチャイムが鳴る。しかし、体育は続けてもう一時間ある。二時間目は他のクラスと合同で紅白ゲームをやる。ビブスもサッカー部の教室から持って来てあった。久しぶりに少し汗臭いサッカーのビブスを手にし、吉川翔太は、少しだけ昔を懐かしく思った。

 翔太はサッカー部補欠組みと同じチームになった。相手のチームはというと

「よう、長野」

「あっ本田だ」

補欠組を見る。何か少し、彼らが弱気な顔になっているのが読み取れた。

「あの二人はレギュラー?」

と補欠組に聞くと、二人は軽くそうだよと頷いた。そういう事か。こいつらそれで少しビビッてんのか。腰が引けてまっせ。お二人さん。でも俺には関係ない。サッカー部じゃねえし、軽音部だし、サッカーシューズを封印した俺としては、体育でやる。しかも只のランニングシューズでやるサッカー。それだったら楽しむだけだ。その事だけを翔太はシンプルに頭の中に巡らせていた。久しぶりにボールの感触を味わいに行く。さあ、キックオフだ。翔太はすぐにボールをカットした。ボールを持った相手のキックフォームと目線で何となく出す所が分かった。インターセプト。そしてすぐ横にインサイドで叩き。そいつとトライアングルを作り出せるポジションに移動。

「はい、縦。チョン」

とコーチング。手のジェスチャーも交え縦に出してもらう。そいつはサッカーはあまりやった事がないような奴だったが、さすがの翔太のオーバージェスチャーで何とか理解してくれたのか、妙なフォームのキックではあったが、ボールを翔太の思惑通りに縦にチョンと蹴りだしてくれた。それをライン際で貰い、前を向くと、そこにには広大なスペースが広がっていた。前方は視界良好。よし、そこだ。翔太、気持ち良くドリブルでサイドを疾走する。久しぶりに運動そのものをしてるが、ボールを追うのが楽しくてしょうがなかった。この高校のレギュラーだという一人がチェックに来た。翔太は、一瞬スピードを落とし、そして相手の動きを見てから、ギアをチェンジする。ロウギアからセカンドへいかず一気にトップへギアチェンジ。緩急の変化で相手を置き去りにした。

「バカ、何やってんだよ」

「こっこいつ早え」

その声は翔太の耳にも入ったが、彼はゴールだけを見ていた。ゴール前に味方がいた。補欠組の二人が見えた。一人にはマークがついていたが、ファーにポジションを取っていた一人がフリー。彼にはそれがしっかりと見えた。サッカー用語でいうところの“どフリー”状態。右足インフロントでイングランドの貴公子のごとく、アーリークロスを上げる。ピンポイント。自分でもビックリするような正確なキックだった。補欠組の彼は何とかそれをトラップ。が、シュートは枠を外れた。そいつは“ああ、しまったー”みたいな顔をしたので、

「悪い。ちょっとパス。強かったな。ゴメン」

と翔太はあたかも自分のプレーでこういう残念な結果になったかのように謝った。シュートを外した彼は

「わりい。枠いかなくて」

と翔太に言った。サッカーは信頼し、信頼されてナンボのスポーツだ。そして相手を思いやる心を養うには最もいい教科書にもなる。翔太はいつも味方に対し、全幅の信頼を置いてプレーしている。プロの世界は生活が掛かってるからそこまで人に優しくなれない。常にアピールし、結果にこだわるプレーを求められる勝負の世界だから。だが、これはそういう次元のサッカーではない。あくまで体育の授業、レクレーションとしてのサッカーでいい。翔太はそれが楽しくてしょうがなかった。子供の頃、帰宅してすぐにランドセルを放り投げては友達とサッカーをやった。皆でただただ目の前のボールを追う。その楽しさを18歳になる前に再び感じれた事が翔太は嬉しかった。パスが出る。そしてまたインターセプト。翔太はこの日絶好調だった。ボールを持った奴を見るとそいつがどこに出すのか、事如く分かった。ボールを奪うと何か感触を確かめるようにドリブル開始。シザーズで一人交したはいいが、二人目、三人目がすぐに付いてきた。一人はガタイのいい奴。もう一人はさっきボールをカットされたサッカー部のレギュラー。体を反転させ、ガタイのいい奴と翔太。そしてボールの構図。ボールを相手から遠い位置にボールを移し、ボールキープをプライオリティの一番上に持って行き、まずはボールを取られない事を第一に考える。そしてすぐに相手の両足が揃ったのを見て右足のアウトで前方に蹴りだし、オランダのレジェンドの名が付くターン。右足かかとで切り返す。それでも一人ついて来る。ウチのレギュラー君だ。たかが軽音部の奴に高校3年間をサッカーに捧げてきた男のプライドが負けを許さなかった。でも翔太にもブランクあると揶揄されそうだが、それは愚問。釈迦に説法って奴だ。壷に入った時のプレーは腐っても元U―12日本代表。

「お前に何回もやらせるかよ。抜かせねえぞ」

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