第23話

 最悪だ。

 結婚式に招待されていたのは基本的に侯爵家絡みの関係者だけだ。

 せっかく誰も自分のことを知らない土地でやり直そうとしているのに、侯爵家ゆかりの者など今は一番会いたくなかった。

 

「駄目ですよ。離婚時の取り決めはきちんと守らなければ……」


「――っ取り決めって、どうしてあなたがそんなことを知っているのよ⁉」


 ライラは驚きのあまりマスターの襟元を掴んで詰め寄った。

 マスターはライラの必死な顔を見て声を出して笑う。


「あははははは! そりゃあなた、随分と必死に探されていましたからね」


「私が探されていたの? いったい誰に⁉︎」


 まさか元夫に探されているのかと心配になった。

 マスターの襟元を掴んでいる手に力が入る。

 だがその時、近くから大きな鈍い音が聞こえて話が中断してしまう。


「おや、人からコインを奪いとると言っていたくらいなので腕には自信があったのでしょうけれど……」


「あの男とイルシア君ならこうなるでしょう? わかっていて止めないのはマスターとしてどうなのですか」


 音のした先では八番の男が倒れていた。

 イルシアに戦いを挑んであっけなく敗れたようだ。

 ライラとマスターがあきれ果てていると、ファルが倒れ込んでいる八番の男に駆け寄っていった。

 彼女はしゃがんで八番の男の状態を確認すると、マスターに向かって両手で大きくバツ印を作った。


「やれやれ。初の脱落者ですね」


 そんなことをマスターが呟いていると、森の中から大きな破裂音が聞こえた。


「おや、他の受験者たちも始めましたね」


 マスターが顔をしかめながら、音のした方角へと視線を向ける。

 あきらかに森の中で誰かが戦闘をしている音だ。


「……奪い合いなどしなくても、見つけたコインを大人しく交換し合えば仲良く合格できる簡単な試験なのに……」


 ライラがぼそりと言うと、マスターが首を横に振った。


「その通りですねえ。こりゃ困ったなあ」


「……あの、それよりも誰が私を探していたのですか?」


 八番の男の間抜けな姿を見ていたら気持ちが落ち着いてきた。

 ライラはマスターからそっと手を離して冷静に尋ねる。


「そりゃ中央のお偉方ですよ」


 マスターが乱れた襟元を整えながら話だした。


「あなたは離婚後に暮らす場所として、クロードが用意した土地に行かずにここに来たのでしょう?」


「ええ、それが何か? あの人とはきちんと別れたのだから世話になる理由がないもの」


「それが何かじゃないのですよ。あなたほどの貴重な能力者がどこにいるのかって重要なことなのですから」


 マスターはどこからか冒険者プレートを取り出してライラに見せつけてくる。


「……あ、それって私の」


「これを見たときの私の衝撃がわかりますか?」


 マスターはプレートを見せびらかしながら、背後にいる受付嬢にちらりと視線を送った。受付嬢はびくりと身体を震わせて顔を青褪めさせる。


「そんなことはわかりません。とりあえずそれを返してもらえます?」


 ライラは手を伸ばしてマスターから自分のプレートを返してもらおうとする。すると、マスターはプレートをライラの手の届かない位置にひょいと持ち上げてしまった。


「……そうですか。わかりませんか」


 マスターは笑っているが、あきらかに怒っているというのが雰囲気でわかる。


「精霊術師が一人いるかいないかで街の価値が変わるのです。お忘れですか?」


「それは忘れてないわ。申し訳ないけれど、こんな田舎にいるとは思っていなかっただけよ。冒険者の資格が再取得できたらすぐにでもいなくなるから安心して」


「もうそれですまない話になったのですよ。あなたが最初にうちの組合にいらっしゃった時に私を呼び出してくれれば根回しくらいのお手伝いはできたのに……」


「だったら職員の教育をもっとしっかりとしておくべきだったわね。ろくに相手にされなかったのよ」


「ええ、ええ。該当職員にはよく言い聞かせました。その件については申し訳なかったです」


 マスターは頭を抱えて深くため息をついた。

 

「ですが、あなたがそこで簡単に引き下がらず強引にプレートを調べさせていれば……」


「その言い分は看過できないわ。私のせいにしないでちょうだい」


「そもそもです。あなたがクロードの用意した土地に行けば何も問題は起きなかったのですよ。取り決めがあったのでしょう?」


 ライラは離婚時にクロードが用意していた大量の書類を思い出す。

 そこにはライラが離婚後にどう過ごすべきかなどの細かい約束事が書かれていた。


「私は離婚の届けにサインをしてあの人と別れただけよ。他の書類はあの人が一方的に突きつけてきたの。私はあれに書かれていたことを承諾したわけじゃないわ」


「クロードが一人で決めたわけないことくらいお分かりでしょう。上の意向が含まれていたものを無視するなんてどうかしてますよ」


 泣いて嫌がったものが承諾されたと思っている方だってどうかしていると思ったが、それは口に出さなかった。


「どうしてわざわざ別れた男の世話にならなきゃいけないの。そんなの考えればすぐにわかるでしょう?」

 

「夫婦ではなくなったとしても、クロードはあなたのことを手放したくはなかったでしょうに……」


 マスターのこの言葉に、ライラはカチンときて彼を睨みつけた。


「おや、やはり反省はしておられないようですね」


「あら、反省って何かしら。さっぱりわかりませんわ」


 ライラが澄ました顔で言い返すと、マスターはにっこりと穏やかに微笑んだ。


「イルシア君。この人がまったく反省をしてくれないので、おもいっきりやってしまってください」

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