第24話

「はい!」


 マスターに声をかけられたイルシアが元気よく返事をして槍を構えた。

 イルシアは満面の笑みを浮かべている。今すぐにこちらに飛び掛かってきそうだ。


「ちょ、ちょっと待って!」


 ライラはイルシアを止めるために慌てて声を上げる。


「もう一度確認させてね。戦わずにコインを渡してもらうっていうのは、ないのかな?」


「ないな!」


 ライラの問いかけはイルシアに即座に否定されてしまう。


「まあまあ。だってここで私たちが戦ってもあまり意味ないじゃない?」


「えー、んなことを俺に言われてもー。俺はお前がコインのことに気がついたら戦えって言われているだけだし」


「んー、そっかあ。そうよねえ」


 ライラは何とかしてイルシアを言葉で丸め込もうとしてみる。

 しかし、イルシアは早く戦いたくてしょうがないのか、面倒くさそうに返事をするだけだった。

 ライラはイルシアの説得を諦めてマスターへ視線を向ける。


「ねえ、マスター。この指示を撤回する気はないのかしら?」


「ないですね」


 笑顔であっさりと答えられてライラは顔を引きつらせる。


「さっきから何なの? 私を怒らせたいってことだけはわかるけど、それで何をさせたいわけ?」


 ライラがそう尋ねると、マスターは鼻で笑って腕を組んだ。


「単純に今のあなたの実力が知りたかっただけです。怒らせたほうが力を発揮してくださると思いました」


「それは残念ね。そう簡単に取り乱したりしませんわ」


 ライラが正面からマスターをぎっと睨みつけると、彼は両手を上げて降参の意思を示した。


「あなたのことが知りたいのは本当ですが、それよりもあなたには是非イルシア君の実力を見ていただきたいのです」


「…………イルシア君の実力を私が見るの? これって冒険者登録試験でしょう。逆じゃない?」


 ライラは胡散臭そうにマスターを見る。

 すると、彼は今さらながら真面目な顔をして話だした。


「あなたにイルシア君の指導をお任せしたいのです」


「指導って、それはまたどうして……。彼には彼の師匠がいるはずでしょう?」


 精霊の見える者は、そうとわかると精霊術師の元へ修行に行く。

 精霊術師の多くは幼いころから師匠の指導を受け、十代の中頃には独り立ちをするのだ。

 イルシアはファルから聞いた話だと16、7歳だろう。師匠からの指導を終えて独り立ちをしているはずだ。


「イルシア君の精霊術は独学なのです。今まで誰かの指導を受けたことはありません」


「――っえ、独学⁉」


 ライラはマスターに聞いたことが信じられず、おもわずイルシアを見た。


「なあ、いつまで話しこんでんだよ! 早く戦おうぜえ」


 イルシアにはこちらの話が聞こえないらしい。

 待ちくたびれて不貞腐れた顔をしている。ライラと視線が合うと拗ねたように唇を尖らせた。


「イルシア君には少し事情がありましてね。この街から離れられないので誰にも弟子入りできなかったのです」


 こんな田舎街まで指導に来てくださる方もいないでしょう、とマスターが肩をすくめた。


「それで都合よくここへやってきた私にイルシア君の面倒をみろってことなの? だからって試験中に戦わせることないじゃない」


「私の八つ当たり込みなので。忘れられていたって結構ショックでしたしね」


 マスターがそれまでの真面目な顔から打って変わって嫌味ったらしく微笑む。


「あなたがこの街にいるとわかって取り戻そうとしている方がいらっしゃったのです。諦めて頂くのに苦労したのですよ」


 取り戻ろうとしていたということは相手は元夫だ。ライラは居場所がばれているとわかり肩を落とす。


「なによそれ。追い払ってやったのだから感謝しろと言いたいのかしら?」


「あなたはここに弟子を育てるために来たと言ったのです。お引き取り願うにはもっともらしい理由でしょう」


「……私の知らない間に勝手に決めただけでしょうに、まったく」


「おや、ではここを出ていきますか。この街に留まったのですから、国外に出るなという条件だけは守るおつもりなのでは?」


 元夫に提示された書類の中に、国外に出てはいけないという記載があった。

 守ってやる義理はないと思ったが、これを無視した場合は再入国が厳しくなるだろうと思い踏みとどまった。

 国を離れることだけはどうしても嫌だった。マスターはそのことまで承知しているらしい。


「……へえ、そこまで知っているのね」


 マスターのいちいち腹が立つ物言いに、ライラは深呼吸して気持ちを落ち着かせる。


「ありがとう。いちおう礼は言っておくわ」


「どういたしまして。それで、引き受けてくださいます?」


 この街に来てからの三日間、すでにライラはイルシアと関わりを持ってしまった。

 ここでイルシアを弟子にすることを断るのは、彼を見捨てるような気がしてしまう。

 ライラがこの街に来ていたことに気がついても黙っていたのはこれが狙いだったのだろうか。 


「あなた最低ね」


「ええ、よく言われます」


 ライラはにこにこと笑っているマスターから視線を逸らす。


「どこに行っても最初は邪険にされるというのは覚悟していたけど、これは想像していた以上だわ」


 ライラは盛大に溜息をついて覚悟を決めた。


「……後輩の指導なら喜んで受け入れます。だけど、あの歳まで独学とは想像もつかないわね」


「だからおもいっきり戦って確かめてみてください」

 

「ほんっとうに最低ね。指導を任せたいなら素直にそう頼めばよかったじゃない!」


「あなたがここに来たことによって私はあらぬ疑いをかけられたのです」


 マスターがやれやれと頭を振った。


「誤解を解くのに苦労しましたよ。あなたほどの方が勝手に動きまわると迷惑をかけられる者がいるってことは覚えておいてくださいね」

 

「それは私のせいなの? だからって試験を利用するのは職権乱用すぎるわ。あなたの名前はまだ思いだせないけれど、大っ嫌いになったから教えてくれなくていいから!」


 ライラはマスターにそう吐き捨ててからイルシアへと身体を向けた。


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