第37話

「そんなに落ち込まないでくださいよ。私が話をつけたからこそ、あいつはとりあえず引きさがることにしたのだと思いますよ」


「……ええ、そうでしょうとも。いくら冒険者組合が政府とは隔絶された組織とはいえ、高位貴族の要請ともなれば完全に無視をするというのは難しかったでしょうからね」


 深く溜め息をついてライラは顔を上げた。

 視界に入ったマスターがやってられないといった様子で頭を横に振っている。

 痴話げんかに巻き込まれたとでも言いたげで腹が立った。


「だ、大丈夫ですか?」


「……驚かせちゃってごめんね。大丈夫だから心配しないで」


 床にへたりこんだライラを心配そうに見つめながらファルが声をかけてきた。

 ファルにこれ以上気を使わせるのはまずいと思い、ライラはソファに座りなおして彼女に微笑みかけた。

 とはいえ、これからも元旦那に追いかけまわされるのかと思うと気が重い。


「そんなに元旦那のことを気にするのかよ。もう別れたんだから関係ねえじゃん。いちいち落ち込むなよ」


 イルシアが不機嫌そうな顔をしてそう言った。

 ライラはイルシアにここへ来たいきさつを話していない。彼があっさりとライラの離婚について触れたのでおもわず彼の両肩に手を置いて詰め寄ってしまった。


「ちょっと待ってイルシア君。どうして私が離婚したことを知っているのかしら?」


「いきなりなんだよ。どうしてって、おっさんとファルがいろいろ言っていたのを聞いていたから……」


「ちょっとイル! 今それ言わなくていいからあああ!」


 イルシアがきょとんとした顔で答えていると、ファルが慌てて立ち上がって彼の口を塞いだ。

 今の一連の流れでイルシアだけではなく、マディスとファルにもライラの事情を知られていたのだとわかった。


「元ミスリルランクで女性の精霊術師とくれば、わかる方はすぐにピンときますよ。なにせ侯爵家の跡取りと平民の冒険者の結婚ですよ。当時は国中で話題になりましたからねえ」


 マスターがくすくすと笑いながら話しだす。その横で軍服の男が気まずそうな顔をしていた。


「それがこんなやつれた姿で辺境に現れれば色々と勘ぐりますよ。あいつの近年の放蕩ぶりは一部では有名でしたしね」


「……あの、あまりそういうデリケートなことをご本人の前でおっしゃるのはいかがなものかと……」


 軍服の男が苦笑いを浮かべながらマスターに声をかけている。

 皆の様子を見ていてライラは居た堪れなくなってきた。


「もういいわ! こんな話をするために呼んだわけじゃないでしょう?」


 ライラは顔を赤くしながら叫んだ。ソファから立ちあがって部屋の外に出て行こうとする。


「あんな最低最悪の浮気野郎のことなんて思いだしたくないの! もう用事がないって言うのなら失礼するわ」


「待ってください。まだお話しが残っています」


「だったら早くしてちょうだいよ」


 ライラは扉の前でマスターを振り返るときっと睨みつける。


「ライラさんにおひとつ依頼をしたいのです」


 マスターが真面目な顔をして話し出した。

 依頼と言われてしまえば無視することもできない。ライラはマスターの話に耳を傾ける。


「大丈夫かとは思うのですが、念のため周囲の森の中に瘴気が残っていないか確認をしていただきたいのです」


 マスターは執務机の引き出しを開けると一枚の紙を取り出した。

 彼はその紙を持って立ちあがり、イルシアの元まで行くとそれを差し出す。

 イルシアは紙を受け取って首を傾げた。


「……あの、これはいま言った瘴気についての依頼書っすよね。どうして俺に?」


「だってライラさんは駆け出しの新米冒険者ですよ。瘴気に関するような高ランクの依頼をまだ単独で受けられませんからね」


 マスターは腕を組んで呆れた顔をする。


「イルシア君が受注して、ライラさんにはイルシア君とファルさんのパーティメンバーとして一緒に依頼に取り組んでもらいたいのです」


 マスターがイルシア、ファル、ライラと順番に視線を送って微笑んだ。


「……そういうことね。ついでにイルシアにいろいろ教えてやって欲しいということかしら?」


「その通りです。これからは三人でご一緒に行動していただけたら私としては安心できるのですよね」


 マスターがそう言うと、ファルがぱあっと明るい顔をする。


「はい! ライラさんが私たちの仲間になってくれたら嬉しいです!」


 ファルが元気よく声をあげた。


「私は鍛冶屋の仕事があるから、イルがどうしても一人になっちゃう時があるんです。イルって一人だと心配なところがあるから、ライラさんがいてくれると心強いなあ」


 ファルはニコニコと笑いながらイルシアに視線を向ける。

 すると、イルシアが立ちあがってライラの元まで歩いてきた。


「よろしくお願いします」


 イルシアはライラの目の前で立ち止まると真剣な顔をして頭を下げた。

 ライラはイルシアの手を取ってしっかりと握った。


「はい、よろしくお願いします」




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