第36話
「失礼いたします。ライラさんたちをお連れしました」
受付嬢が扉を叩きながら部屋の中にいる者に声をかける。
中からは複数人の気配がするが、誰も声かけに反応しない。
「失礼します。マスター?」
受付嬢が扉を叩きながら、もういちど声をかける。
すると、扉が勢いよくがちゃりと開いた。
「――おっと、失礼しました」
中から冒険者とは思えない小奇麗な服装の若い男が飛びだしてきた。
男は受付嬢に詫びをしながら、忙しそうにさっさとどこかへ行ってしまう。
「おや、ようやくお目覚めになったようですね。どうぞ中に入ってください」
「まあ、よろしいのかしら……。来客中のようですけれど?」
開いたままの扉の向こうからマスターが声をかけてくる。
室内にはマスターの他に別の人物がもう一人いる。
「構わないのですよ。今日はあなたに彼を紹介したくて呼んだのですから」
マスターにそう言われて、ライラは窓際に佇む男に視線を向けた。
男はこの国の常備軍の軍服を身に着け、襟には佐官の階級章をつけている。
元夫を思い出させるような男の服装に、ライラはほんの少し気分が悪くなった。
「……さっき部屋を出て行ったのは役人でしょう? 軍人と役人をこんなところに呼びつけるなんて嫌な予感しかしないわ」
ライラはマスターに呼びだされた理由が昨日のモンスターの件だと思っていた。
どうやらそう単純な話でもなさそうだと気が付いて溜め息をつく。
「まあ、立ったままなのは疲れてしまいますから。どうぞ座ってください」
部屋の入り口で立ったままのライラたちに向かって、マスターが部屋の中央にあるソファに座るように促してくる。
ライラが動き出すより先に、イルシアがさっさとソファに向かった。それに続いてファルもソファに座る。
「君らも早く座ったらどうだい?」
マスターは窓際にいる軍服の男にも着席するように促す。しかし、男は黙って首を横に振った。
マスターは男の態度に肩をすくめると、まだ立ったままのライラに視線を送ってきた。
ライラは扉を閉めて部屋の中に入ると、真っすぐにソファに向かった。
「この男はこの街に駐在している者で、以前は私の部下だったのですよ」
ライラがソファに座ると、マスターが立ったままの軍服の男を横目で見ながらそう言った。
この発言にライラはうんざりとした顔をする。
「……つまりあなたも軍人だったわけね」
「おや、まだ私のことを思い出してはいないのですね。それは残念です」
「そういうのはいいから。要件だけさっさと言ってくれるかしら?」
ライラはソファの背もたれに身体を預けて足を組む。
ライラのマスターに対する態度に、隣に座っているファルがはらはらした様子でこちらをうかがってくる。
ファルには悪いが、マスターに対する態度を今すぐに改める気はない。
「では、簡単に要点だけお伝えしますね」
マスターは涼しい顔をしながら事務的に話し出す。
「昨日のモンスターの件ですが、イルシア君とあなたが共同で討伐したとして各所に報告をあげています。それと、モンスターの討伐はあなたの冒険者証の発行前でしたが、相応の報酬をきちんとお出しします。後ほど受付に申し出てください」
「あら、ありがとう。気が利くじゃない」
ライラは両手を合わせて微笑んだ。
見返りを期待していたわけではないが、報酬が得られるならば素直に嬉しい。
「それから、この男は中央のお偉方にあなたの動向を調べるように命令を受けているのでお知らせしておきます」
マスターのこの一言に黙って壁際に佇んでいた男が咳き込んだ。
ライラはいきなりそんな話を聞かされて目を丸くする。
「っちょ、トリグヴィ様!? いきなり何を仰るのですか!」
「ライラさんが本調子になればアナタがこそこそ探っていることなどすぐにバレますよ。ご本人に気がつかれる前に言っておいた方があとでこじれないでしょう?」
軍服の男が慌ててマスターに食ってかかっている。マスターは涼しい顔をしながら男の抗議を受け流す。
二人はなにやら重要そうなことを言い争っているのだが、ライラはそれを気にしている場合ではなくなっていた。
「トリグヴィって名前、聞いたことがあるわ……」
軍服の男が呼んだマスターの名前を聞いて、ライラは記憶が蘇ってきた。
以前クロードに士官学校の同期だという者を紹介されたことがある。
それが目の前にいるマスターだということをようやく思い出した。
ライラはおもわず立ち上がり、マスターを見ながらあんぐりと口を開けてしまう。
「も、もしかして……、あなたはあの人と士官学校の同期だったりするのかしら?」
「おや、ようやく私のことを思い出してくれましたか」
マスターが嬉しそうに笑う。
その顔を見てライラは力が抜けてしまった。その場にふらふらとへたりこんでしまう。
「待って待って、だって伯爵家の跡継ぎって聞いたはずだわ。冒険者組合のマスターって、そんなわけがないわよ」
「私は家を出たのですよ。勘当されていますから、爵位は弟が継ぐでしょうね」
「何よそれ! よりによってあの人の友人がマスターをしている組合に来てしまうなんて、そんなことってあるの?」
ライラは頭を抱えてうずくまった。
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