その後

第33話

 ライラは試験が終わると、宿にしている定食屋までまっすぐに帰ってきた。

 定食屋に着いたのは、まだ日の沈んでいない明るい時間だった。

 ルーディとジークは夜の営業の仕込みが終わり、つかの間の休憩をしているところだった。

 そこへライラが帰ってきたものだから、ルーディが試験の話を聞かせろとせがんできた。

 ライラはすっかりカウンターでルーディと話しこんでしまっていた。

 

「へえ、大変だったんだね。でもさ、それで受験者の半分が合格したってことなら凄いんじゃないの?」


「どうなのかしらねえ。そこらへんはまだよくわからないわ」


 モンスター乱入というトラブルがあったというのに、今回の試験では約半数の受験者が合格をした。

 結界の中に逃げ込んだ受験生たちは、あの時点で互いに見つけていたコインを大人しく交換していた。

 ライラとマスターの会話をちゃっかり聞いていた八番の男が、コイン交換をあの場で皆に持ちかけたそうなのだ。


「八番君、これから伸びると思うわ」


「ふーん。私にはよくわからないけど、頭の切り替えが早い子なんじゃない?」


「そうかもね。試験終わりにみんなで飲みに行こうなんて機嫌よく声かけてたしね」


 運よく八の数字が刻まれたコインを見つけていた者がいた。

 彼はライラとイルシアがモンスターを討伐している中、試験を中断するという宣言はなかったと主張して自分の受験番号のコインを提出したそうだ。

 たしかにあの時は試験の制限時間内だったし、彼自身が試験を棄権すると宣言していたわけではなかった。

 だからといってあの場でコインを提出できる度胸は大したものだと、その話を聞いて呆れてしまった。


「飲みに行ってくればよかったのに。仲間と交流できていろいろ話がきける機会だったんじゃないの?」


「今日はさすがに疲れたの。早く帰って寝たかったのよね」


 ライラがそんな話をルーディとしていると、ジークが厨房の中から手を伸ばしてきた。

 ライラの目の前に温かいミルクの入ったカップが置かれる。


「早く寝るのはいいが、せめてこれくらい口に入れてから休め」

 

 ジークはそれだけ言って厨房の奥に戻ってしまう。

 壁にかけられた時計を見ると、そろそろ夜の営業が始める時間だった。


「そうだね、それくらいは飲みなよ。今日はいつもにまして青白い顔をしているもの」


 ルーディが豪快に笑い、ばしばしとライラの背中を叩く。


「あ、ありがとう」


 ライラは苦笑いを浮かべながら、ごくりと息を呑んでカップを持ち上げる。

 モンスター討伐後にあれだけ盛大に腹は鳴ったが食欲はない。

 ライラは覚悟を決めてカップに口をつけた。

 いつものように生温かく気持ち悪い感触が喉を通り抜けていくと思っていた。


「…………あ、あれ……?」


 口の中に甘くて優しい味が広がる。


「このミルク、はちみつが入っているの?」


「うん、そうだよ。アンタあまり食べないからさ。少しでも栄養が取れたほうがいいだろうと思って……」


 そこまで言って、ルーディがぎょっと目を見開いた。


「――っえ! ちょっと、どうしたの?」


「甘いの……、甘くておいしい」


 ぼろぼろと涙を流し始めたライラに、ルーディは慌ててポケットからハンカチを取り出すと目元を拭ってくれる。


「う、うん、わかったけどさ。そんなに泣いたらミルクに入っちまうよ」


 ライラは慌てふためくルーディを無視してカップの中身を一気に飲み干した。


「うう……、気づかってくれてありがとう。おいしい、もっと飲みたい……っうう」


 嗚咽まじりで泣きながらおかわりを要求するライラに、ルーディは呆気にとられてしまっている。

 ジークも何が起きたのかわからず、厨房の中でおろおろとしながらミルクのおかわりを用意してくれた。


 そこへ、店の扉が控えめに開き、誰かが店内に入ってきた。


「あのー、こんにちは。こちらのお店にライラさんがいらっしゃると聞いて……って、泣いてる!」


「おいおい、どうしたってんだよ。いい大人が泣くなんてみっともねえぞ」


 現れたのは今日のモンスター騒ぎの事後処理をしていたはずのファルとイルシアだった。

 店のカウンターで泣きながらミルクを飲んでいるライラを見て、二人とも顔を引きつらせている。


「あ、あの……これどういう状況ですか?」


「いや、こっちが聞きたいね。どうしてこうなったの?」


 ファルがルーディに近付きこっそりと問いかける。

 尋ねられたルーディは肩をすくめて呆れ顔をしている。

 周囲がどうしようもなく困惑している中、ライラは泣きながら出されたおかわりのミルクを飲み干した。


「…………ミルクだけじゃなくて、何か他のものを口にしてみるか?」


 ジークは困惑しつつも、ライラに向かって優しく声をかけてきた。

 ライラはその声かけに頷こうとしてピタリと動きを止める。

 いつもよりも青白い顔をしながら、慌てて口元を両手で押さえた。


「……うう、いきなりたくさん飲んだから。……ちょっと、気持ち悪い。……吐きそうかも」


 ライラがなんとかそう言うと、ルーディが悲鳴のような声を上げる。


「あああああ、ここは駄目。ここで吐かないで! 吐くならあっちに行って!」


 ルーディが店の奥を指差す。

 すると、ファルとイルシアが両脇からライラの身体を支えて店の奥へと連れて行ってくれた。


 その後のことをライラはよく覚えていない。

 自分で思っていたよりも疲れていたらしい。

 気がついたらベッドに寝かされていて、目覚めたときには翌日になっていた。

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