第32話 

 ライラはゆっくりと頭を横に振った。

 モンスターはすでに声をあげることはなく動きもしない。


 ライラはイルシアに支えられながらモンスターの首の傍に歩み寄って、地面に膝を着いた。

 モンスターの虚ろな瞳がこちらを見上げてくる。

 ライラはモンスターの頬を包み込むように手を伸ばす。


「……もう苦しまないで」


 触れたモンスターの身体はまだ温もりが残っている。


「どうかもう安らかに眠ってください」

 

 白く濁ったモンスターの目から涙がこぼれる。

 ライラは穏やかに微笑みを浮かべながらその涙を拭った。

 すると、モンスターの首はさらさらと砂のように崩れ落ちていき、そのまま風に乗って消えてしまった。


 ライラは小さな砂粒一つが見えなくなるまでその場でじっと見送った。

 完全にモンスターの気配が消える。

 ライラは地面に両膝をついたまま背後のイルシアを振り返って笑う。


「これで今度こそ本当に終わり」


 イルシアはライラと視線が合うと、口の端を上げてにやりと笑って言った。


「確実に殺したと確認するまでは油断したら駄目なんだよなあ?」


「うっわあ、今それを言うの」


「言う。悔しいからな」


「うう、何も言い返せないわ」


 つい先ほどライラがイルシアに言った言葉をそっくりそのまま返された。

 ライラは大げさに肩を落としてから恨めしくイルシアを見上げた。


 ライラとイルシアが話をしているなか、再び歓声が上がる。


「うわあ、良かったあ。ライラさんが倒れたときはどうなっちゃうかと思いましたよ」


 ファルがこちらに駆け寄ってくるとライラにおもいきり抱き着いてきた。


「いやあ、私も正直死ぬかと思っちゃったわ」


 抱き着かれながら苦笑いをするライラを見て、ファルは頬を膨らませて拗ねている。

 そんなファルの横でイルシアが気まずそうにしながら謝罪の言葉を口にした。


「すまない。……対処が遅れちまった」


「ああ、そんなのはいいのよ。結果的に助かっているし、あれは私のミスだから」


 ライラはそう言いながら立ちあがろうとする。

 しかし、立ち眩みが起きてしまった。隣にいたファルにもたれかかりながら座り込んでしまう。


「あ、あれえ……。そんなに力を使ったつもりはないけどなあ……」


「そりゃそんなに線の細い身体をしていればそうなりますよ」


 ライラがへたり込んでいるとマスターがそばに来て声をかけてきた。彼はなぜかとても機嫌が悪そうにしている。


「ちゃんとご飯を食べていないでしょう? きちんと眠れていますか? そんなことでは肝心なときに力が入らなくなって当然ですよ。信頼できる医師を紹介しますから、きちんと診察を受けられたほうが……」


「今さらあなたがそういうことを言っても遅いわよ」


 マスターがいきなり小言を捲し立てるので、ライラは睨みつけながら抗議の声を上げる。


 ――ぐうぅぅぅぅ


 そのとき、ライラの腹が盛大に鳴った。

 それを聞いて周囲の者たちが一斉に笑い出す。

 ライラは恥ずかしくて頬が熱くなるのを感じた。


「ほらごらんなさい。冒険者への復帰祝いとモンスター討伐のお礼を兼ねて街に戻ったら食事くらいごちそうします。何でもお好きなものをおっしゃってください」


 マスターがまるで子供に言い聞かせるように話すので、周囲の者がますます笑う。

 ライラは恥かしさを隠すように咳払いをしてから口を開いた。


「……っそ、それはあれよね。私は試験に合格って解釈でいいのよね?」


「ええ、もちろんです」


 マスターの無茶ぶりさえなければこんなことにはなっていないのにと、ライラは叫びたくなった。

 しかし、今はそんな気力はなかったので睨みつけるだけにした。

 地面に座り込んだままのライラにマスターから手が差し出される。

 ライラはその手を無視してファルに声をかけると、彼女に支えられながら立ちあがった。


「おや、残念ですね」


「あらまあ。だって駆け出し冒険者がマスターのお手を煩わせるわけには参りませんからあ」


 ライラはマスターを睨みつけながら嫌味たっぷりに言う。

 マスターは相変わらず涼しい顔で笑っていた。



 こうしてなんだかんだといろいろあった試験がようやく終わった。

 順風満帆とは言い難い内容だった。

 それでも、久しぶりに自分の存在が認められた気がしてライラは嬉しかった。

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