第31話

 瘴気は浄化された。


 黒い霧の中から現れたのは、立派な蹄の足を持つ馬のような見た目のモンスターだった。

 するどく尖った一本の角を額に生やし、長いたてがみが風に揺れている。

 美しいまだら模様の毛並みを持つその姿は、そこらのモンスターとはくらべものにならないほど雄々しい姿をしていた。


 そのモンスターの身体が、瘴気の消失と共にゆっくりと地面に倒れ込んだ。

 どすんと鈍い音が周囲に響く。


「……イルシア君、とどめを刺してあげてくれるかな?」


「――っえ、なんで俺が?」


 モンスターは地面に倒れると、呻き声をあげながら周囲を這いずりまわっている。

 瘴気は精神だけではなく、生き物の細胞そのものを破壊してしまう。

 たとえ瘴気が消失したとしても、激しい痛みが身体を襲う。

 たいていの瘴気に侵された生き物は、瘴気が浄化されてしまうと姿そのものが保てなくなる。

 瘴気の消失と同時に、身体が砂のように崩れ落ちて消えてしまうのだ。 


 しかし、このモンスターは痛みに苦しんでいるとはいえ元の姿を保っている。

 あれだけの瘴気に侵されながら、身体を維持し続ける力と強い意思を持っている証だ。

 このモンスターは瘴気の力がなくても強い個体だということがわかる。

 初めて瘴気の浄化に立ち会った個体がこのモンスターというのは、イルシアは強運の持ち主だ。

 こんな経験はなかなかできるものではない。


「このモンスターの姿をしっかりと胸に刻んでおいたほうがいいと思うの」


「……わかったよ。俺がやればいいんだろ!」


 イルシアの持つ槍がさっと炎に包まれる。彼はその槍で地面を這っていたモンスターの首を切り落とした。 

 首が弾け飛び、地面に落ちて転がっていく。

 頭と切り離された胴体は、すぐにひび割れて砂のように崩れ落ちて消えてしまった。



「こ、これで終わった、のか?」


「はい、よくできました」


 ライラは手を叩いて笑顔を浮かべた。乾いた音と同時に憑依を解除する。

 髪と目が元の色にすっと戻った。力を貸してくれた精霊はすぐにこの場から立ち去ってしまう。

 

「まじか、本当に倒しちまうなんて」

「あんなモンスター相手に怯まないなんてすっげえな!」


 結界の中に避難していた者たちが歓声を上げる。

 結界からすぐに数人が飛び出してきてイルシアに近付いた。彼らは一斉にイルシアを褒め称えはじめる。


「べ、別にたいしたことじゃねえし。つか、瘴気の浄化をしたのはあっちだし……」


「それでも、ほとんどモンスターの相手をしていたのはお前だろう?」

「そうだぜ。お前ってすげえ強いのな」


 イルシアは皆の反応に最初こそ戸惑っていたが、次第にまんざらでもなさそうに笑い出した。

 ライラは肩に腕を回したりしながら楽しそうにはしゃいでいる若者たちの様子を黙って眺めていた。

 無事に事態をおさめられたと安心して大きく深呼吸した。


 すっかり油断していた。

 地面に転げ落ちていたモンスターの首が動き出していたことに気が付くのが遅れた。


「――っみんな危ない‼」


 首が大きく飛び跳ねてイルシアの周囲に集まっていた者たちの元へ向かっていく。

 ライラは叫んだが、皆すっかり油断していてすぐに反応できなかった。

 

 ライラはとっさにモンスターの首の前に飛び込んだ。

 呼び出していた精霊はすでにいない。

 慌ててもう一度呼びだそうとする。 


 その瞬間、ライラの視界がぐにゃりと歪んだ。

 目の前が暗くなって身体のバランスを崩す。地面に膝をついたライラの目の前に、大きく口をあけたモンスターが迫る。 


 慢心していた。

 胴体から切り離された首の消失の確認を怠った。こんなミス、以前ならば絶対にしなかった。

 ライラの頭の中を後悔だけが駆け巡る。

 逃げなければと思うがどうしても身体に力が入らない。

 

「――――っ!」


 鋭く尖ったモンスターの牙を見て、これは怪我では済まないかもしれないと覚悟をした。


「っだあああああ!」


 しかし、モンスターの牙はライラに届かなかった。

 大きな雄叫びと共に、誰かがモンスターの首に向かって体当たりをしたのだ。

 モンスターの首は弾き飛ばされて、音を立てて地面に転がり落ちた。


「っええええええ、八番の人おお⁉」

 

 ライラは突っ込んできたのが受験番号八番の男と気が付いておもわず叫んだ。

 まさか彼が自分を助けてくれるとは思わなかった。

 

 モンスターの首の傍で、八番の男が顔を地面に突っ伏して倒れている。

 ライラは力の入らない身体をなんとか動かして、八番の男の元へ這いつくばって近づくと声をかけた。


「あ、ありがとう。おかげで助かったわ。あなたは大丈夫、じゃないわよね?」


「俺は問題ねえよ、アンタが無事ならそれでいい」


 八番の男は地面に顔を伏したまま、手を上げてふらふらと振った。


「……で、でも。あんなに勢いよく体当たりしたから怪我をしたでしょう?」


「いくら俺が馬鹿でも、俺らや街のみんなを救ってくれたのがアンタだってことはわかる。アンタが怪我する方が駄目だろ」


 ライラはそんな風に言われて驚いた。

 女が一人で冒険者なんてしていると、最初は怪しまれて拒絶される。そんなことはとっくに慣れてしまっていた。

 いずれは実力で受け入れてもらえるようになるという自信はあったが、もっと時間がかかると思っていた。

 まさかこんな風に身を挺して守ってくれるほど受け入れてくれた者が、すでにいたということが想定外すぎた。


「あ、あなただって怪我したら駄目よ! すぐに治療して」


 ライラは視線をファルに向ける。

 ファルはすぐにこちらへ駆け寄ってくると、八番の男に回復魔法をかけ始めた。

 その頃になってようやくイルシアがライラの元へやってきた。


「そいつはもう大丈夫だろ。あっちはどうするんだ?」


 イルシアが顎をしゃくって見るように促してきた先には、モンスターの首が転がっている。

 首はまだ消失することなく存在していた。


「俺がもう一回やるか?」

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