第34話

 冒険者登録試験のあった翌日、目覚めたライラの顔は酷いものだった。

 いつもにまして顔色は白いのに、目は充血して赤い。


「……久しぶりの憑依の影響かしら? 老いって恐ろしいわね」


 ライラは顔を洗って身支度を整えると、頬を叩いて気合いを入れた。



「おっはよー。てゆうか、もうお昼になるけどね。調子はどうよ?」


 ライラが食堂フロアに顔を出すとルーディにそう声をかけられて壁の時計を見た。

 時刻は午前十一時。

 寝過ごしてしまった自覚はあったが、それにしても遅い時刻にライラは目を疑った。


「うそでしょ……。私ったらそんなに寝ていたのね。ごめんなさい、あと三十分で営業が始まるわね」


 ライラは開店準備の邪魔をしては悪いとすぐに食堂フロアを出ていこうとするが、ルーディは笑って引き止めた。


「そんなの気にしないの。試験前は余裕そうにしていたのにさ。いざ受けて帰ってきたらへろへろだねえ」


 ルーディは豪快に笑ってライラの背中を叩く。

 それを見ていたジークが苦笑いしながらカウンターに食事の乗った皿を並べていく。


「……いつもありがとう。いただくわね」


 ライラは食事の用意されたカウンターの席に向かう。

 食事はいらないと伝えたはずなのに、どうして今日は用意してくれるのだろうと不思議に思いながら椅子に座った。

 せっかく用意してくれたのだし、無碍にするのは悪い。スープだけでも一気に飲み干せば大丈夫だろうと、自分に言い聞かせる。

 ライラはおそるおそるスープの入ったカップに手を伸ばして口をつけた。


「…………あれ? どうして……」


 スープの味を舌で感じて、ライラは衝撃を受けた。それと同時に、昨日ここに帰ってきてからの出来事をぼんやりと思いだす。


「……そうだ、昨日もはちみつの味がしたんだ。でも、その後はどうしたんだっけ……?」


 試験が終わり、ここへ帰ってきたことまでははっきりと覚えている。

 しかし、そのあと何をしていたのか思い出せない。


「あ、ライラさんやっと起きてきたのですね! もう大丈夫ですか?」

 

 ライラが考え込んでいると、店の扉が開く音がした。

 そのすぐ後にファルの声が聞こえて、ライラはゆっくりと視線を店の入り口に向ける。


「……お、おはようファルちゃん。えっと、どうしてここに?」


「おはようございます。もうこんにちはのような気がしますけどね。あれ、昨日も来たのですけど忘れちゃいました?」


「え、そうだったかしら? ごめんね、なんだか昨日帰ってきてからの記憶が曖昧なの」


「なんだか混乱されてましたもんね。もう落ち着きましたか?」


 ファルはルーディとジークに会釈をしながら、カウンターに座るライラの元までやってきた。


「私が、混乱していたの? どうしよう、思い出せないわ」


 ライラが腕を組んで昨日の出来事を思いだそうとしていると、ファルのあとをついてきていたイルシアが顔をしかめて面倒くさそうに言った。


「んなのどうでもいい。待ちくたびれたから、さっさと行こうぜ!」


「待ちくたびれたって……。もしかして二人は私が起きてくるのを待っていたのかしら……?」


 ライラは首を傾げながら二人に向かって声をかけた。

 すると、二人が返事をするよりも先にルーディが大きな声を上げた。


「そうだよ! この子たちは朝一番からアンタのことをずっと待っていたのさ。昨日だって散々迷惑をかけたのだから、あとできちんとお礼を言っておきな!」


 ルーディはかなり立腹しているようだ。

 ライラは驚きながら、慌てて礼の言葉を口にする。


「二人ともありがとう! ごめんね、今はちゃんと思い出せないのだけど……。思いだしたら改めてお礼を言うから許してね」


「え、いやいやそんな! 私は構いませんよ。誰だって調子の悪い時くらいありますよね」


 ファルはぶんぶんと手を振って頬を引きつらせながら笑う。

 彼女は口では構わないと言っているが、その表情で苦々しい思いをしたのが分かりライラは焦りだす。


「ど、どうしよう。本当にありがとう。なんで覚えていないのかしら……」


「――っふん! あんなみっともねえ姿は忘れちまっているほうが身のためだぜ」


 ライラがファルの両肩に手を置いておろおろしていると、イルシアが馬鹿にしたような顔をして見つめてくる。


「……みっともない姿、私が……?」


 ライラはイルシアの言葉に首を傾げる。

 すると、ジークが厨房から身を乗り出して、昨日の出来事をライラの耳元でこっそりと説明してくれた。

 ライラはジークの話を聞きながら、昨日のことが徐々に蘇ってきた。

 

「……あー、そう。そうね、昨日はそんなことがあったかしらね」


 ジークの説明を全て聞き終えたライラは、すっと椅子から立ちあがる。

 そのまま床に座り込むと、両手を床についてイルシアとファルに向かって頭を下げた。


「昨日は本当に申し訳ありませんでした。お二人にはお手間をかけさせてしまい、どのようにお礼を申し上げたらよいのか……。以後このようなことがないように精進してまいりますので、今回はどうかご容赦頂ければ幸いでございます」


 ライラの突然のしおらしい態度に、イルシアとファルは何も言えずに茫然と立ち尽くしている。

 そこへ、朗らかなルーディの笑い声が響く。


「あははははは! いい年をした大人がみっともなくびーびー泣いて、こんな若い子の前で粗相して世話までされちゃ立場がないさね」


 ルーディは一通り笑い飛ばした後、床に手をつくライラを無理やり立たせて背中を押すと店の外に放り出した。


「さあさあ、もう店を開けるからお三方はさっさと出てってちょうだいな!」


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