第6話

 ライラは冒険者組合にたどり着いた。


 初めての街、久しぶりの冒険者組合という場所に、ほんの少しだけ入り口の扉を開けることをためらった。

 しかし、いつまで悩んでいても時間が無駄に過ぎるだけだ。ライラは背筋を伸ばして姿勢を正すと、入り口の扉に手をかけた。

 そのまま勢いよく扉を開く。

 結婚してからすっかり足が遠のいてしまっていた冒険者組合という場所だが、中に入れば昔とさほど空気は変わっていないように感じられた。安堵の溜息をつきながら、ライラは組合の中を進み受付へと向かう。


「こんにちは。冒険者登録の確認をしたいのだけれど、よろしいかしら?」


 そう声をかけたライラに、受付嬢は驚いた様子で目を丸くしている。


「あれ、ええっと……。ご依頼のご相談ではないのですか? それでしたらこちらの窓口ではないのですが……」


 受付嬢は困った様子でライラを頭の上から足の先まで眺めながら言った。


 ライラの服装は、王都の侯爵家の屋敷で用意した外出着だった。

 なるべく質素な物を選んでトランクに詰めたとはいえ、到底冒険者とは思えない小奇麗な格好である。

 そもそもが侯爵家の奥方が着るために誂えられたものだ。受付嬢が、どこぞのご婦人が冒険者組合に仕事を頼みに来たと思っても仕方のないことだろう。


 冒険者登録の確認が終わり次第、早急に装備を揃えなければと思いながら、ライラは口を開いた。


「依頼じゃないわ」


 ライラが首を横に振りながらそう答えると、受付嬢はさらに困惑した様子で首を傾げた。


「以前は冒険者として活動をしていたのだけど、もう何年もしていないのよ」


 ライラが続けて話す内容に、受付嬢はどうしたらよいのかわからないといった様子で視線を泳がせはじめる。


「冒険者としての活動を再開したいのだけど、数年間も活動実績がないと登録がなくなっているかもしれないと思いまして。それを調べて欲しいのですわ」


 ライラがそこまで話すと、受付嬢は眉を寄せていぶかし気な顔をした。彼女は少し何かを考えてからゆっくりと口を開いた。


「……はあ、登録がなくなっているかもですかー……。えっと、具体的にどれくらいの期間を冒険者として活動していなかったのですか?」


「そうね、だいたい五年くらいといったところかしら。ああ、ちょっと待って」


 ライラはそう言って、服のポケットに手を入れた。そこからある物を取り出すと受付のカウンターの上に置いた。


「念のために冒険者プレートを持ってきたの。こちらで確認していただけるかしら?」


 カウンタ―の上に置いたのは、ライラがかつて使用していた冒険者の証であるプレートだ。

 これでなんとかなるだろうと思っていたのだが、受付嬢の様子はライラが思っていたものとは違っていた。


「………………あのー、これが冒険者証ですか?」


 受付嬢はぽかんとした表情をしている。そのままライラの差し出したプレートを手に取ると、物珍しそうにまじまじと眺めはじめた。

 ライラは受付嬢の態度が理解できなくてどうしたものかと戸惑ってしまう。


 そこへ、受付を漂う微妙な空気を察してか、奥から白髪交じりの男性職員が顔を出した。

 その男性職員はこちらの様子を覗き込み、受付嬢が手にしている冒険者プレートに気が付くと、苦笑いをしながら近付いてきた。


「あちゃー、これは古いタイプの冒険者証だよ」


「ああ、やっぱりこれが昔使っていたっていうプレートなのですね! へえ、初めて見ました」


 受付嬢は男性職員の言葉を聞いて納得したような声を上げた。彼女はライラの冒険者プレートを手にしたまま大きく頷いている。


「……あの、古いタイプの冒険者証ってどういうことかしら?」


 受付嬢は疑問が解消されてすっきりしているようだが、まだ訳がわからないでいるライラは現れた男性職員に向かって尋ねた。

 すると、男性職員は頭を掻きながらへらへらと笑い、おちゃらけた様子で説明をはじめた。


「いやあ、何年か前に冒険者組合のシステムが大きく変わってね。冒険者の証がプレートからカードタイプに変更されたのさ」


 男性職員がそう言うと、受付嬢がすかさず手のひらサイズの小さなカードをライラに向かって差し出してきた。


「これが今の冒険者証です。どうぞお手にとって御覧ください」


 明るい笑顔を浮かべた受付嬢が差し出してきたカードを、ライラは遠慮なく手に取って確認をする。


「私が組合で働き出すときに受けた研修で、以前はこういうプレートが冒険者証だったと聞いていました。でも、プレートタイプの実物を見たのは初めてです。とっても勉強になります!」


「……そ、そうなの。以前ねえ……」


 受付嬢はライラのプレートを顔の横に持ってきて無邪気に微笑む。


 受付嬢はおそらく十代後半だろう。

 そうなると、ライラより十は年下だ。肌に張りつやがあって瑞々しい。

 

 ライラが引きつった笑顔で受付嬢に返事をしていると、その横で男性職員の方は腕を組んで険しい顔をしていた。


「しかし、アンタねえ。今さらプレートなんて持ち込まれちゃ困るよ。プレートからカードへの移行期間はとっくに終わっているんだ」


 心底迷惑そうに言われて、ライラは驚きつつも申し訳ない気持ちになる。


 冒険者として活動を止めた後は、貴族としての新しい生活に慣れるのに精一杯で組合からの知らせなど気にも留めていなかった。


 だが、それを今さら後悔しても仕方ない。

 冒険者としての活動を再開し、生計を立てたいと考えている今は、ライラに落ちこんでいる時間はないのだ。

 

 ライラは気持ちを切り替えて男性職員に質問をした。


「それは申し訳ないわ。移行をしなければいけなかったなんて知らなかったの。できていない場合はどうなるのかしら?」


「はあ? あんなに告知してあっただろう。期間内に移行してしなければ登録抹消だよ」

 

 男性職員の馬鹿にするように吐き捨てた言葉に、ライラは返す言葉に詰まる。


「まったく。自分の不手際で登録抹消されたっていうのに、こうやってごねる奴が多くて困るよ。冒険者をしたいというなら最新の情報には注意をはらっていてもらわなきゃな」


 ライラが返事をしないでいると、男性職員は一方的に捲し立てた。


 ライラは五年もの期間を冒険者として活動していなかった。

 つまりその間に何一つ冒険者組合に貢献していないということなのだから、登録が消されていても仕方がないとは思っていた。

 だが、ここまで露骨に敬遠されるとは想定外だった。


「……本当にごめんなさいね。じゃあ、冒険者としてこれからまた活動したい場合は再登録ということになるのかしら?」


「はあ⁉ 再登録ってアンタが? 冗談だろう」


 気を取りなおして笑顔で尋ねたライラに、男性職員は馬鹿にするように鼻で笑った。

 その声が少しばかり大きかったので、何か揉め事かとライラのいる受付周辺が静かになった。

 男性職員とライラに挟まれた位置にいる受付嬢が、口元に手を当てて顔を青くしている。


「冗談じゃないのよ。移行に気が付かなかったのは私の落ち度だし、反省しているわ。本当に申し訳ないと思っているの。それで、再登録はできるのかしら?」


 ライラは満面の笑みを浮かべて男性職員にもう一度尋ねる。


「……まあ、再登録はできるけどな。そうすると、冒険者登録試験をまた受けることになるわけよ。アンタ歳はいくつだ?」


 男性職員はライラの姿をまじまじと見ると、呆れたように吐き捨てた。


「あら、冒険者登録は三十歳までだったと記憶しているのだけれど……。もしかして冒険者組合のシステムが変わったときに、年齢制限も変更になったのかしら?」


 ライラは顔を青くしている受付嬢に向かって爽やかに問いかけた。

 受付嬢は慌てて首を横に振る。

 それを確認してから、ライラはにっこりと微笑んで男性職員に視線を向けた。

 まさかこの私が三十歳を超えているように見えているわけじゃないよなと、無言で圧力をかける。


「……ま、まあ、年齢制限はぎりぎりで大丈夫だとしても、冒険者章の移行を見逃していて再試験ってのは試験官たちの心証がかなり悪いぞ。試験で相当優秀な成績を出さなければ無理だと思うがね」


「………………ご心配どうもありがとうございます。ですが、そこは気にして頂かなくて結構ですわ」


 さすがに腹立たしくなってきたライラは、頬を引きつらせながら微笑んだ。


 ライラの年齢は二十八歳である。

 たしかにすぐに二十九歳にはなるが、年齢制限ぎりぎりと言われることには反論したくなった。

 しかし、ここで言い返したところで余計に心証が悪くなるばかりだ。のどまで出かかった言葉をライラは飲み込んで耐えることにした。

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