第7話

 ライラは受付で冒険者登録試験の手続きを済ませた。

 隔月に一回の試験が、ちょうど三日後に行われるらしい。

 それを聞いたライラは、慌てて受験に必要な書類を書き上げて提出をした。


「なあ、アンタ本当に試験を受けるのか?」


 ライラが冒険者組合のロビーの椅子に腰かけていると、目の前から声をかけられた。

 受付で渡された試験概要の書かれた用紙を眺めていたライラは、顔を上げて声をかけてきた人物を確認する。


「そのつもりですけれど……。あなたはどちら様かしら?」


 ライラの目の前には戸惑った顔をした冒険者が立っていた。

 まだ幼さの残る顔立ちをした若い男女の二人組だ。


「ああ、すまねえな。俺はイルシア」


 背に大きな槍を背負った少年が、困惑した様子のままライラに向かって自己紹介をする。

 紺色の髪と緋色の目をした、意思の強そうな少年だ。


「んで、こっちが俺の仲間のファルだ」


 イルシアと名乗った槍の少年の隣には、杖を両手で持った小柄な少女がいる。

 少女は彼の言葉と同時に、ライラに向かってゆっくりと頭を下げた。


「……はじめまして。ファルと申します」


 金色のボブカットの髪がふわふわと揺れる。透き通った緑の目をした可愛らしい少女だ。


「これはご丁寧にどうもありがとう。はじめまして、私はライラよ」


 ライラは椅子から立ちあがり、二人に向かって丁寧にお辞儀をした。

 すると、イルシアとファルは顔をしかめながら互いの身体を向き合わせた。二人は視線を合わせて微妙な顔をしながら無言で立ち尽くしている。

 二人はライラに何か話があるようなのだが、どう切り出したものか困っているように見えた。


「……えっと、イルシアさんにファルさんね。何か私に用事があって声をかけてくれたのよね?」


 このまま無言なのは非常に気まずいので、年長者としてライラの方から二人に声をかけることにした。


「……あ、ああ、えっとー。俺たちは今回の冒険者登録試験の受験者の世話を任されているんだけど……」


 ライラの問いかけに、イルシアが気おくれした様子でぼそぼそと話し出した。

 ようやく話が進みそうなのだが、残念ながらライラにはイルシアの言葉の意味が理解できなかった。


「受験者の世話を任されているって、どういうことなのかしら。あなた達は組合からそう頼まれているの?」


 ライラのその問いかけに、組合のロビーがざわついた。

 これは何かまずいことを言ったとはすぐに気がついたが、発した言葉はもうなかったことにはできない。

 ロビーにいる冒険者の何人かが、あからさまにライラを馬鹿にするように笑いだす。


「ぎゃはは! なんだあのおばさん。何も知らねえで試験を受けるつもりなのかよ」

「のんきな奥さまなら調べる時間はいくらでもあっただろうによ」

「あはは、無駄に年ばかりとった典型だな!」


 受付での男性職員とのやり取りから、周囲にいる冒険者たちがライラの動向をうかがっているのはわかっていた。

 絡まれては厄介なので、隙を与えないように気を張っていたつもりだったが失敗してしまった。ライラがイルシアに対して行った質問は、相当に間抜けなものだったらしい。

  

「ったく、どうせひやかしだろ。んな上等な格好してなんのつもりなんだか」

「まったくだぜ。遊びならよそへ行けってんだ」

「そうだぜえ。せっかくパパに買ってもらった大切なお洋服が汚れちまうぜえ」


 冒険者たちは、わざとライラに聞かせるように騒ぎはじめた。

 ライラは周囲の冒険者たちの様子に吐き気がし、気分が悪くなった。

 こんな馬鹿な連中に付け入る隙を与えてしまった自分に腹立たしくなって溜息をつく。


「……っはあ、まったく。しょうもない連中ね」


「――っえ!? あの、えっと……。ご、ごめんなさい!」


 ライラが溜息をついたと同時に、ファルがびくりと大きく身体を震わせて怯えた顔をする。どうやら彼女は、ライラの溜息と悪態が自分に向けられたものだと思ってしまったらしい。

 

 思い返せば侯爵家の屋敷にいた頃も、ライラが溜息をつくことで使用人を怯えさせてしまうことが多々あった。

 ライラにはまったく悪気のないことだったが、そのようなことばかり繰り返していれば嫌いにもなる。今さらながら自身の行動に呆れて反省するような気持ちが芽生えてきた。

 

 ライラがファルの誤解を解こうともせずにそんなことを考えていると、イルシアが不機嫌そうに顔を歪めた。彼は仲間のファルを怯えさせたライラに対して、激しい怒りを覚えたようだ。

 イルシアはぎろりとライラを睨みつけると、力強く声を上げた。


「そうさ。受験者の世話をするってのは組合からの依頼だよ!」


「あらまあ。今は親切なことをしてくださるのね。これも数年前のシステム変更の影響なのかしら?」


「ああ、そうだよ。実技試験の練習相手が必要だったり、面接について質問があったりすれば俺らが相談に乗るぞってことだ」


「まあ、本当に親切なのね。どういう風の吹き回しなのかしら」


 以前にライラが冒険者登録試験を受けた時には、世話してくれる先輩冒険者など組合は用意してはくれなかった。

 自ら先輩冒険者に指南を願い出て試験を受ける者もいたが、大抵は一人で好き勝手にやる者がほとんどだった。


 冒険者というのは、間口が広く実力さえあれば犯罪者だろうがどこの誰でもなれる職業だったはずだ。

 今は少し事情が違うのだろうか、早急に今の組合事情を確認せねばとライラは考えていた。


「別に世話なんか必要ないってことならいいんだ。アンタは勝手にやってくれて構わないぜ」


 ライラが黙って考えこんでいると、イルシアは苦虫を噛みつぶしたような顔をしながらファルの肩に手を置いてその場を去ろうとする。


「あら、ちょっと待ってくれないかしら」


 ライラに背中を向けて歩きだしたイルシアとファルの二人に、これ以上刺激しないように優しく声をかけた。


「せっかくだし、相談に乗って欲しいのだけれど。お時間よろしいかしら?」


 いまだに怯えたままのファルに向かってライラは穏やかに微笑んだ。

 ファルは声を出さず、怯えた様子のまま何度も首を上下に振って頷く。

 イルシアは変わらず不愉快そうにしていたが、構わずにライラは話し出した。


「まあ、よかったわ。私ね、ついさっきこの街についたばかりなのよ」


 ライラは、両手を合わせてわざとらしく大げさに喜んで見せた。

 ライラとしては、敵意はないのだとファルを落ち着かせるためにしたつもりだったが、大げさな仕草が余計に怖がらせてしまったらしい。

 ファルは、ますます身体を小さくしてイルシアの背に隠れてしまった。

 そんな態度のファルを見て、イルシアはうろたえつつ再びライラをぎろりと睨みつけてくる。


「えーっとね……。私はこの街のことがわからないから、誰かに教えてもらいたいなって思っていただけなのだけどね」


 ライラがいくら優しく語りかけても、ファルはイルシアの後ろから出てこない。


「あのね、装備品が欲しいから冒険者御用達のおすすめのお店とかをね、教えてもらいたいだけなのだけれど、ね?」

 

 どんなにおどけてみせてもファルは怯えたままだ。


「……はあ」


 どうしたものかと、そこでライラがつい無意識にもう一度ため息をついてしまった時だった。

 冒険者組合に居合わせた他の冒険者からライラに向かって怒声が飛んでくる。


「その二人は試験について受験者の相談に乗るだけだ。奥さまの使いっぱしりじゃねえんだぞ」

「そうだ、そうだ! イルシアとファルはアンタの使用人じゃねえんだ」

「買い物くらい自分でしやがれ!」


 憤慨した態度で声をかけられたライラは愕然とした。

 まさか自分がこの若い男女二人の冒険者を、使用人のように扱おうとしていると見られていたとは考えていなかった。


「そんなつもりはなかったのだけれど……。はあ、仕方ないわね。自分で探すことにするわ」


 周囲にいる冒険者たちからの冷たい視線をひしひしと感じる。

 ライラは床に置いていたトランクケースを手に取った。


「怖がらせてごめんなさいね。……声をかけてくれて嬉しかったわ」


 ライラは最期にイルシアとファルに向かってそう声をかけると、そのまま一人で冒険者組合を後にした。

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