第8話

 冒険者組合を出たライラは、街の通りをあてもなくふらふらと歩いていた。

 そうしているうちに、今更なことに気がついてしまった。

 

 ライラはこの街の名前を知らない。

 それどころか、どこの領主の土地で、国のどのあたりにある街なのかもわからない。


「顔見知りの領主さまのご領地だったら気まずいなあ。そんなに社交は得意じゃなかったから顔見知りなんて数えるほどしかいないけれど……」


 こんなことにまで気が付いてしまうと、段々と憂鬱な気持ちになってくる。


「……ふふふ。もう住む世界が違うから二度と会うことはないのだろうけれど……」


 華やかな社交界の雰囲気を思い出して、ライラは自嘲気味に笑った。


「はーあ。とにかくあの人たちから離れて遠くに行きたいとしか考えてなかったからなあ……。感情に任せてとんでもない行動をしちゃったわね」


 早く一人で生計を立てられるようにならなくてはと焦っていた。馬車を降りて真っ先に冒険者組合に向かったことを、ライラは激しく後悔する。


 今のライラは着替えくらいの荷物しか持っていない。

 冒険者に復帰すると決めた以上、これからやらなければならないこと、用意しなければならない物がたくさんありすぎる。

 何を優先的に進めるべきか。一度腰を据えて落ち着いて考えなければならないなと反省する。


「一か月も馬車に乗っていたから時間はたっぷりあったのに、何も考えられてないじゃない」


 ライラはその場で立ち止まり、まずは滞在する宿を決めてしまおうと周囲を見渡した。


「……でもなあ。宿に行っても、この格好じゃ駄目かもしれないわねえ」

 

 ライラは身に着けている服の裾を掴んで、通りの店の窓に映る自分の姿を見た。

 窓に映るライラの後ろには、通りを歩く街の人々の姿も映り込んでいる。

 その人々と比べて、あきらかにライラの服装は浮いていた。


 いくら落ち着いたデザインとはいえ、王都で一番人気の仕立て屋のものだ。最新の流行りを取り入れて、ライラ個人のためだけに特別にデザインをして作った一級品だ。街中で際立っているのは当然だ。

 

 こうして客観的に自分の姿を見ていると、先ほどの冒険者組合でも物凄く浮いていたのだろうと恥ずかしくなってきた。

 この姿のまま冒険者が定宿にしている宿泊所に泊まろうとすれば、また何を言われるかわかったものではない。

 かといって高級宿に泊まるには、元夫からもらった金に存分に頼ることになってしまう。

 そもそも、身なりの良い女が使用人も連れずに一人で泊まろうとすれば怪しまれる。

 ただでさえ女は立場が弱い。

 軍に通報でもされたら、それこそ目も当てられない。下手をしたら、元夫に居場所がバレてしまう。


「……はあ。とりあえず、まずは服だけでもどうにかしましょう。どこかに良い店はないかしら?」


 ライラは溜息まじりにぼやいた。すると、いきなり背後から元気な声をかけられて飛び上がって驚いてしまう。


「おお、ライラじゃないか! 相変らず辛気臭い顔をしてどうしたい?」

 

 声をかけてきたのは、王都からライラが乗った馬車で御者をしていた男だった。

 日に焼けた黒い肌をした筋肉質な男で、名前はトゥールという。

 ひと月近く馬車に乗っていたライラは、彼にすっかり顔を覚えられている。軽く世間話をする程度の間柄になっていた。


「まあ、びっくりした。街に着いたら一目散に奥さまとお子さまのところに向かうのじゃなかったのかしら?」


「そうしたいのは山々だが、まだ仕事が片付かなくてな。これから昼飯を食ったら事務処理を済ませてさっさと帰るさ」


 大きく口を開けて白い歯を見せながら笑うトゥールの表情からは、家族に会えるという幸せが溢れ出ている。

 ライラはその笑顔が眩しくて目を細めて笑った。

 トゥールは家族をこの街に残し、遠距離馬車の御者として出稼ぎに出ていた。街に帰ってきたらすぐに家族に会いに行くのだと道すがら常々口にしていた。


「そうね。長くお仕事に出てらしたのだから、すぐには片付きませんわよね。ご家族はさぞ首を長くしてお待ちになっていらっしゃるでしょうね」


 ライラがトゥールにそう言ったとき、彼の腹が大きな音をたてて鳴った。

 空を見上げれば真上に太陽が昇っている。

 腹の虫の鳴き声を止めるにはちょうど良い頃合いの時間帯だ。


「ごめんなさいね。お昼に行く途中でしたでしょうに、お引き止めしてしまったわ」


 ライラはせっかく見知った顔に会ったので、装備品を揃えるのにおすすめの店でも聞いてみようかと思っていたが、トゥールの大きな腹の音を聞いてやめることにした。

 ライラはトゥールに向かって丁寧に頭を下げると、彼に背中を向けてそのまま通りを進んでいこうとする。


「おいおい、せっかくこうしてまた会ったんだ。一緒に飯でもどうだ?」


 トゥールは、がははと笑いながらライラを呼び止める。

 ライラは背後を振り返って困った顔をして見せた。


「はじめての街じゃ何かと不安だろう? どうせお前さんのことだから、この時間になっても昼飯を食うのを忘れているのだろうしなあ」


 ライラはトゥールの呆れたような物言いにすぐに反論をした。


「別に忘れているのではないわ。私は小食なの。お腹が空かないから食べないだけなのよ」


「腹が減らないなんて、そんな人間がいるわけねえよ。俺のおすすめの定食屋がこの近くにあるんだ」


 トゥールはライラが重たそうに手にしているトランクケースをちらりと見ると、腕を組んでにやりと笑った。


「見たところまだ宿も決まっていないのだろ? それくらい相談にのってやるからついてこいよ」

 

 馬車が街に辿り着いたのは明け方だ。

 今は昼時なので、ライラがこの街に足を踏み入れてそれなりの時間が経っている。

 だというのに、大きくて重量のあるトランクケースをライラは抱えたままなのだ。

 その姿を見てトゥールは思うところがあるらしい。


「……はーあ。やっぱりいろいろなお客さんを見ている方は良い目をお持ちですわね」


「俺じゃなくたってわかるさ。お前さんはあからさまに訳あり奥さまの空気がばっちり漂っているもんでね」


 ライラは意地悪く笑っているトゥールを、溜息をついてから黙って見つめる。


 ひと月の間、彼とは御者と客という立場で共に旅をした。

 その中で彼に抱いた印象は、とにかく世話好きな男ということだ。

 面倒見がよすぎて煩わしいと思うこともあったが、だからといって悪い印象はない。


 ライラは少し考えた後、上機嫌に笑うトゥールを信用して大人しくついて行くことにした。

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