第29話

「――ぐるるるるるるっ!」


 モンスターが上半身を起こして前足を高く掲げた。

 モンスターはその前足を勢いよくイルシアに向かって振り下ろす。

 ここまで逃げてきていた受験者の一人が、モンスターの迫力を前にしてその場にへたりこんでしまった。

 受験者は逃げようとするでもなく、ただ茫然とイルシアとモンスターの動きを眺めている。


 ライラは咄嗟にその受験者のそばに行って手を伸ばす。

 震える身体を無理やり抱きかかえるとその場から飛びのいて衝撃波を避けた。

 そんなライラの行動に構わず、イルシアは派手にモンスターに攻撃を仕掛けてその巨体を退かせている。


「――っちょっとイルシア君! もう少し静かにできないかな。周りに人がたくさんいるんだからね‼」

 

 ライラはイルシアが動くたびに周囲に舞う火の粉を払う仕草をしながら訴えかける。

 しかし、モンスターと戦うことだけに夢中なイルシアの耳には届かない。


「まったく聞こえないくらい暴走中なのね。教えがいがありそうだわ!」


 ライラは嫌味っぽく言いながら、呼び出した水精霊に他にも動けなくなっている受験者たちを瘴気から守るように心の中で念じる。


「ほら。なんとかなりそうでしょう?」


 マスターはちゃっかり動ける者たちだけを集めて戦いの影響を受けないように結界を作っている。

 そんな彼をライラはぎろりと睨みつけた。


「ええ、なんとかするわよ! それより動けなくなっている子たちこそ助けてほしかったけどね」


「これ以上近付いたら瘴気の影響が心配なのでそちらはお任せしました」


「ああ、はいはい任されました。だけど、瘴気に侵されたモンスターの出現なんて異常事態を冒険者組合の独断で済ませていいと思えないわ。軍に連絡くらい入れなくて大丈夫なの?」


 ライラは結界の中に抱えていた受験者をおろすとマスターに問いかけた。

 結界の外ではイルシアがモンスターの相手をしていて、激しい戦闘音が響いてくる。


「それは君の気にすることではないですよ」


 相変わらず涼しい顔で言ってのけるマスターに、ライラは毒気を抜かれて肩をすくめた。


「たしかに管轄争いなんて私が口を出すことじゃないわね。上の連中とのやり取りはマスターのお仕事だもの」


「君はこの場の者たちを瘴気から守り、イルシアをうまく使ってあのモンスターを討伐してくれればいい」


「簡単に言わないでよ! 相手が私じゃなければとっくに殴られているわよアナタ‼」


「ひどいですね。面と向かって性格悪いなんて言ってくるのは君ぐらいですよ」


 ライラは溜息をついて笑顔を浮かべたままのマスターから視線を逸らす。

 

 さて、これからどうしたものかと思案する。

 マスターはイルシアをうまく使ってモンスターを倒せと言った。

 あの程度のモンスター、ライラ一人であれば討伐することなど容易だ。

 だが、暴走したイルシアに言葉は届かないし、腰が抜けて動けなくなっている受験者たちは邪魔すぎる。


「とりあえずイルシア君はモンスターの足止めができているから……。問題は受験者たちね」


 ライラはぶつぶつと独り言をつぶやきながら考えをまとめる。

 一人一人を結界内に運ぶには時間がかかる。

 時間がかかれば瘴気の影響を受けてしまう可能性が高い。


「ああ、面倒くさい。今日は冒険者登録試験だったはずなのに、どうしてこんなことになったのよ?」


 ライラは文句を口にしながら、受験者たちをどうするか考える。

 このまま呆けていて殺されでもしたら困る。

 いちばん面倒なのは自棄を起こしてモンスターに突っ込まれてしまうことだ。

 そうなれば確実に命はない。


「なんとかして自分の足で逃げるように彼らを奮い立たせてやればいいかしら?」


 そんなことが自分にできるのかとライラは迷った。

 しかし、悩んでいたって仕方がない。

 ライラは頭を振って気持ちを切り替えると覚悟を決めて大きく息を吸った。


「何をぼさっとしているの!」


 ライラの突然の怒声に、動けなくなっていた受験者たちがびくりと身体を震わせる。

 ライラ自身も自分がこんなに大きな声を出せたのかと驚いていた。

 ここまで声を張り上げたのはいつ以来だろう。喉の奥がひりひりとして痛みを感じる。

 しかし、驚きも痛みもけして表には出さず堂々と胸を張った。


 大丈夫だ。

 ライラは自分自身に心の中で言い聞かせる。

 以前はこうして後輩の指導にあたることはよくあった。

 ランクが上がればそれだけの立ち振る舞いを求められることは当たり前だった。

 真摯に訴えかければきっと伝わる。


 ライラは真剣な顔をして受験者一人一人の姿をしっかりと視界に捉える。


「あのモンスターを絶対に街へ近付けてはいけない!」


 受験者それぞれの反応に気をつけながら、慎重に言葉を選ぶ。

 呆けていた受験者の何人かが、ライラの声につられて顔をあげる。

 ライラは縋るようにこちらを見つめてきた受験者と視線を合わせると、彼らを落ち着かせようとゆっくりと頷く。


「あのモンスターはここで必ず食い止める!」


 ライラはキッパリと言いきった。


「大丈夫! イルシア君はちゃんとモンスターの足止めをしているでしょう?」


 ライラは受験者たちにモンスターと戦っているイルシアの姿を見るように促した。

 

「さあ、立ちあがって。ちゃっちゃと足を動かす! すぐにここから逃げてちょうだい」


 ライラは自分の話に耳を傾けている受験者たちに大げさな身振りをしながら訴えかける。


「あの瘴気に触れれば自我を失ってしまうわ。イルシア君がモンスターを止めている内に結界内へ急いで!」


 ライラの訴えを聞いて、ほとんどの受験者は慌てて立ち上がると結界内に逃げ込んだ。

 動けずにいる残りの数人はライラが抱えて結界内に押し込んだ。 


「……はあ、とりあえず何とかなったかしら……」


 最後の一人を結界内に放り込んで、ライラはイルシアとモンスターの戦いを眺めながらぼやいた。

 これで討伐に邪魔な者は全て安全な場所に移動させることができた。

 あとは暴走しているイルシアと、モンスターの動きを止めるだけだ。

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