問題発生

第28話

 ふざけるのはいい加減にして欲しいと、ライラがマスターに言おうとした時だった。

 森の中から周囲に響き渡る轟音と誰かの悲鳴が聞こえてきた。


 この場の雰囲気が一瞬で緊張に包まれる。

 聞こえてくる音は受験者同士が争っているようなものではない。

 あきらかに強大なモンスターの気配が付近にあらわれたのだ。


 ただならぬ事態に、ライラは今にも暴走しそうなイルシアに視線を向けたまま、マスターに状況説明を求める。


「……なによこれ。あなたは知っていることなの?」


 マスターは森の中の様子をうかがいながらライラの質問に首を横に振る。

 彼はすぐに傍にいる試験監督役の冒険者に周囲を調べてくるように命じた。

 しかし、その冒険者が森の中に向かうよりも早く、受験者たちが叫び声をあげながらこちらへ駈け込んで来た。


「何があった?」


 森の中へ向かおうとしていた冒険者が受験者に近付いて声をかけるが、彼らはすっかり怯え切っていて誰一人すぐに話し出そうとしない。


 怒りの感情が爆発しそうになっていたイルシアも、さすがに異変を感じ取ってか少し大人しくなっている。


「……もしかして、イルシア君の暴走しかけている強い力に何かが引き寄せられてしまったのかしら……?」


 ライラはイルシアがすぐには動き出さないことを確認してから、身体の向きを変えて森の中に氷の刃を放った。

 氷の刃は今日一番の速さで森の中に消えていった。

 直後、森の奥から何かの大きな叫び声が辺りに響き渡る。


「マスター、この森には大型の危険種モンスターでもいるのかしら?」


「この森には危険種も大型種もいないはずです」


 冷たく問いかけたライラに、マスターは淡々と答える。

 さすがに危険なモンスターの生息地域で試験を行うわけがない。


「じゃあ、この気配は……」


 ライラがそう言いかけたとき、暗い森の奥で怪しく光る赤い目が見えた。

 赤い目がゆらゆらと揺れながらこちらに近付いてくる。

 大型のモンスターが、徐々にその姿を現していく。


「どこからどう見ても大型の危険種、S級ランクのモンスターですね」


 マスターの言葉を聞いた周囲の者たちから悲鳴のような声があがる。


「ま、まずいですよマスター。S級ランクのモンスターなんてこの場にいる者で対処できません!」

「そうです! 早く応援を呼びに行かなくては」

 

 周囲の者たちからの必死の訴えを聞いても、マスターに慌てた様子は一切ない。

 彼は腕を組んでモンスターを眺めながらはっきりと言った。


「問題ありません」


 マスターはニコリと笑ってライラを振り返った。


「ここにはS級ランク相当以上の冒険者の方がすでにいらっしゃいますから」


 ライラは微笑みかけてくるマスターに冷ややかな視線を送りながら口を開いた。


「残念ね。私はまだ資格がないから冒険者じゃないのよ」

 

「そんなことおっしゃらずに。元ミスリルランクの方は今でいうとSSランク相当なのですから。あれくらい余裕ですよね?」


 周囲の視線が突き刺さり、ライラは頭を抱えて大きくため息をついた。

 その仕草をどう捉えたのかは知らないが、マスターがとんでもないことを言い出した。


「ではこうしましょう。あのモンスターを討伐してくださったら冒険者証を発行いたします」


「あのね、モンスター討伐くらい言われなくてもやるわよ……。あなたはそんなことを軽々しく言っていいのかしら?」


 あんなモンスターが街に行ってしまえば大混乱になる。

 それがわかっていて見逃すほど落ちぶれてはいない。


「再試験くらい免除してもいいかと思いましたが、それではいろいろと示しがつきません。一応試験くらい受けてもらおうって程度でしたから」


「それだとあのモンスターの討伐ができたら発行するって、かえって冒険者になるためのハードルが上がってないかしら?」


 ライラの目がおかしくなっていないのであれば、現れたモンスターは黒い霧のようなもので全身が覆われている。

 四足歩行の大型モンスターであることはわかるが、種族までははっきりと判別はできない状態だ。


「あのモンスターって瘴気に侵されているように見えるけど?」


「ええ、私にもそのように見えます」


 ライラの問いにマスターが笑顔で答えた。あまりに呑気に構えているのでライラは大きな声を出した。


「笑っている場合じゃないでしょ! 試験はいますぐに中断してここにいる全員に避難するよう指示を与えるべき立場でしょうが‼」


「わかっていますよ。だからこそ今ここに討伐できる人がいるのですからお願いしています」


「お願いしている奴の態度じゃないのよ!」


 瘴気と呼ばれる黒い霧に覆われたモンスターは、他のモンスターとは違い自我を失っている状態だ。

 自己を制御することのできないモンスターは、狂暴性があり力が段違いに強い。

 今のイルシアと同じ状態だ。

 しかし、モンスターのまとっている瘴気は精霊の力を暴走させているイルシアとはまったく違う。

 瘴気は傍にいるだけで周囲の生き物へと感染して広がっていく。

 瘴気に侵されれば、人間もモンスター同様に正気を失い暴れまわる。

 この場にいる者では、あのモンスターの瘴気に侵され狂ってしまうのが目に見えている。


「イルシア君が暴走寸前なのを忘れてないかしら? あれの相手をしながらモンスターを討伐しろってのはさすがに無茶ぶりよ。早く応援を」


 ライラがマスターに必死に訴えているとモンスターが素早く動き出した。

 モンスターはイルシアに向かってまっすぐに突進していく。


「やっぱりイルシア君の力に引き寄せられてきたのね」


 イルシアは突っ込んできたモンスターを槍で受け止めた。

 その衝撃で周囲に激しい風が舞う。


「あ、あんなの倒せるわけがない! は、早く逃げないと‼︎」


 いつの間にか目覚めていた受験番号八番の男が慌てふためいて叫んだ。

 先ほどまでの威勢の良さはどこにいったのか、彼は腰が抜けて動けなくなっている。

 そんな八番の男とは対照的に、涼しい顔で笑みを浮かべていたマスターがあっけらかんと言ってのけた。


「イルシア君には良い勉強になります。せっかくですから彼に瘴気の浄化方法を教えてあげてください」


「たしかに瘴気の浄化は精霊術師にしかできないけど……。それは今やることなのかしら⁉」


「こんな田舎に瘴気に侵されたモンスターが出るだなんて見たことも聞いたこともありません。こんなチャンス滅多にありませんから」


「……わかったわ。やるからあのモンスターを討伐する前にあなたを倒してもいいかしら?」

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