第27話

「やっと隙ができたわね」


 ライラは衝撃で動けなくなっているイルシアの背後に立った。

 うっすらと微笑みを浮かべながら、両手で包み込むように彼の首筋に触れて話しかけた。


「もしかして、私を殺してしまったなんて思ったりしたかしら?」


「………………な、なんで?」


 固まったまま動けないでいるイルシアが、声を震わせてなんとかそれだけ言った。

 彼の正面には胸を貫かれてぐったりしているライラがいる。まさか背後から声が聞こえるとは思わなかったのだろう。


「それはただの氷細工よ」


 ライラはイルシアの耳元でそっとささやいた。

 すると、槍で貫かれていたライラの身体がただの氷の塊へと姿を変える。

 氷の塊は炎に包まれたイルシアの槍をバリバリと音を立てながら凍らせていく。


「――っな! くそ、抜けない!」


 イルシアは槍を氷の塊から抜こうとするが、あっという間に全体が氷で包まれてしまう。

 それどころか、ライラが触れているイルシアの首筋や足元から、徐々に彼の身体が凍りついていく。

 やがて氷はイルシアが全身にまとっていた炎を消し去った。そのまま彼を身動きが取れないように拘束してしまう。


「確実に殺したと確認するまで油断したら駄目。そもそもこんな森の中で強い力を使うことは感心しないわね」


 ライラはそう言いながら、イルシアの身体に背後から手を這わせた。


「こっちかな? あれ、ないなあ。こっちかしら?」


 ライラはイルシアの服の中に無遠慮に手を突っ込んでコインを探す。

 ごそごそと彼の全身を探し回るが、なかなかコインが見つからない。


「ごめんね。すぐに終わるから我慢して、んん?」


 ライラの指先が冷たい何かにこつんと触れた。

 やっとこんなことを終わらせられると、ライラが上機嫌にそれを掴み取ろうとしたときだった。

 それまで黙って身体を弄られていたイルシアが唸り声を出す。


「……うううううう」 


 ライラがイルシアの様子に違和感を覚えた瞬間、彼からとてつもない殺気が放たれた。

 ライラは咄嗟にイルシアから大きく距離を取る。


「っああああああああああ!」


 イルシアは腹の底から響く雄叫びを上げた。

 彼の身体を拘束していた氷の塊がひび割れていく。


「うらあああああああ!」


 イルシアがさらに大きな声を上げる。

 すると、彼の身体を覆っていた氷が全て弾け飛んでしまった。


「……うへえ。頑張るわねえ」


 ライラは弾け飛ぶ氷を避けながら、げんなりしてしまう。

 だが、顔を真っ赤にして再び全身に炎をまとわせているイルシア見てすぐに気持ちを切り替えた。彼を落ち着かせるように優しく声をかける。


「……さっきも言ったけど今は試験中だから、ね? そこまでガチンコで戦う必要はないとね、お姉さんは思うわけですよ」


「んなの知らねえよ! 真面目に戦いやがれ‼」


 イルシアは怒りに身体を震わせて叫ぶ。


「何がお姉さんだよ。人の身体をべたべたと触りやがって気色悪い! ふざけんな!」


「ええー……。それはイルシア君がコインをポッケの奥にしまったからいけないんじゃないかしら」


 ライラはそう言いながらコインをイルシアに見せつける。


「自分の受験番号のコインを持ち帰る」


 十五という数字の刻まれたコインを手にしているライラを見て、イルシアが目を見開いて驚いている。

 すでにコインを奪い取られたとは思っていなかったらしい。


「これでおしまい。もう戦う必要はないわね」


 ライラはコインを指で弾いて、何も言えなくなっているイルシアに背を向けた。

 そして、視線の先にいるマスターに向かってこれ見よがしにコインを突き出す。


「あっけなかったですねえ」


 マスターは顎に手をあてて苦笑している。

 ライラはマスターの横を颯爽と通り抜けて受付嬢の元に向かう。受付嬢にコインを手渡すとマスターを振り返って呆れながら言った。


「……よく言うわ。わかっていてやらせたくせに……」


「そんなことはないですよ。もう少しイルシア君は善戦してくれるものと期待していました」


「嘘つかないでちょうだい。つけあがっている若造の鼻っ柱をへし折らせたかったとしか思えないわ」


「まあ、否定はしませんが……」


 マスターはそこまで言うと真剣な顔をしてライラを見つめてきた。


「………………何よ?」


 じっと見つめたまま何も言わないマスターに、ライラは気味が悪くなって声をかけた。

 すると、ようやくマスターが口を開く。


「あなたは以前お会いした時と比べて随分と弱っているようにお見受けしました。追い詰めないと本来の力が発揮できないのではないかと心配していたのですよ。杞憂でしたが……」


「これがあなたの心配の仕方なのね。だとしたら他にやりようがあったと思うわよ」


 ライラは腕を組んでマスターを睨みつけるが、澄ました顔で受け流された。


「さあイルシア君。もうライラさんの試験は終わりましたよ。そろそろ落ち着いて下さい」


 マスターはライラの視線を無視してイルシアに声をかける。

 イルシアはいまだに全身に炎をまとわせてライラを睨みつけていた。


「…………………まだだ。まだ、まだ俺はやれる……」


 イルシアは全身の炎を揺らしながらゆっくりと槍を構えて戦う姿勢を見せる。


「いい加減にしてください。あなたじゃライラさんの相手にならないのです。これでいかに自分が未熟か理解できたでしょう?」


「――っ俺はまだ全力でやれてない! そいつだってまだ余裕で戦えるだろうが⁉」


 イルシアが大声で叫ぶ。

 ライラはイルシアを止めようとしているマスターの肩に手をおいた。


「あれは駄目。もう言葉でおさまらないわ」


 ライラは溜息まじりに言って弓を手に取る。

 イルシアに向かって弓を構えたライラにマスターが淡々と尋ねてきた。


「そんなにまずい状況ですか?」


「イルシア君の怒りの感情が呼び出した精霊に過剰に影響を与えているの。彼と精霊の感情が共鳴している状態と言えばわかるかしら?」


「それはイルシア君が激しく怒っているせいで精霊が同様の状態になってしまって手がつけられないということですか?」


「そういうことね。互いの波長があって怒りの感情がどんどん増幅してしまってどうしようもなくなってきているの」


 今のイルシアの状態は精霊術を習いたての者がよくやる失態だ。

 呼びだした精霊は術者の感情に影響される。

 術者がきちんと自制できなければ、精霊は術者の感情に影響され過ぎて力を暴走させてしまうことがある。


「いちど力を暴発させてしまったほうがいいかもしれないわ。さて、責任者としてどう対処するのかしら?」


 ライラはさすがに困惑しているだろうと意地悪く笑いながらマスターに問いかける。

 しかし、マスターに焦った様子はまったくない。彼は素知らぬふりをしながらあっさりと言った。

 

「まさか私を見捨てたりしないでしょう?」


「正直あなたはどうなってもいいかもね。イルシア君があのままなのはかわいそうだからどうにかしますけど」


「……おや、随分と嫌われてしまいましたね。私はあなたのことが好きなのですけどね」


 マスターの言葉を聞いて、ライラはおもいきり顔を歪めた。

 この状況で何を言っているのかと呆れてしまう。

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