第20話

「次の方で最後ですね。十五番の方どうぞ!」


 ようやく受付嬢に受験番号を呼ばれた。

 試験三日前に申し込んだライラは、今回の受験者の中で一番最後だった。

 ライラは受験者たちの群れから一歩前に出て弓を手に取る。


「お、次はあのおばさんか」

「恥をかく前にさっさと帰んな!」

「ぎゃはははは!」


 連中がわざとらしく大きな声で喚き出した。

 ライラは深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと弓を構える。

 この二日で集中して鍛練したものの、それだけでは以前の状態まで戻せるわけがない。


 結婚している間はまったく弓に触れていなかった。

 以前に使用していた武器や防具は、結婚するときに人に譲ってしまった。

 婚姻前の生活を支えていた物を手放すことで、ライラなりに侯爵家に嫁ぐための覚悟を示したつもりだった。

 ミスリルの短剣だけを残していたのは、それが元夫からの贈り物だったからだ。

 こんなことになるなら全て取っておけばよかったと、ライラが感傷に浸っている間にも野次が飛んでくる。


「おいおい、そのほっそい腕で大丈夫なのか?」

「もっと的に近づいていいいんだぜえ」


 ライラは五つの的の内、一番大きな的に狙いを定めていた。

 大きな的から小さな的に狙いを変えて攻撃をしていくのが順当だと思ったからだ。

 ライラは弦から手を離す直前で狙いを変えた。

 こんなところで騒いでいることしかできない連中が誰に向かって口を利いているのかと、ほんの少しだけ腹立たしくなってしまった。


 ライラが最初に放った矢は、一番小さな的のど真ん中を貫いた。

 すぐさま次の矢を番えて二番目に小さな的の真ん中に命中させる。

 次に二本の矢を同時に持って構えると、三番目と四番目の的にそれぞれ的中させてみせる。

 ライラは一瞬のうちに、四本の矢を的の中心に命中させた。


「――っだ、だから何だってんだよ!」

「動かない的に当てるくらい誰でもできるぜ」

「……まあ、おばさんだしな。これくらい年の功ってことだろ」


 ライラはこれで奴らが実力差に気が付いて大人しくなるかと思っていた。どうやらそれすら理解できない残念な連中だったらしい。


 ライラは一番大きな的を残して動きを止める。

 あんな連中の言うことを気にするなんて馬鹿らしいと、受験者たちに声をかけたばかりで行動を起こすことに一瞬だけためらう。

 ライラはただでさえ再試験なのだから心証がよくない。ここで悪目立ちするのは得策ではないというのはわかっている。


「……だからって、格下認定されたままってのはいただけないわよねえ」


 とつぜん動きを止めてしまったライラに、演習場にいる者たちの困惑した雰囲気が伝わってくる。

 ライラは残された的に向かってゆっくりと近付いていく。

 手にしていた弓を背負うと、的の目の前で立ち止まった。


 ライラは的に向かって右手の拳を構えた。


「さあ、可愛らしい精霊さん。私に少しだけ力を貸してちょうだい」


 そう囁くと、構えた拳の上に羽根の生えた小さな精霊が姿を現した。

 現れた精霊は拳に触れながらこちらを見上げて怪しく笑う。

 ライラは精霊に優しく微笑み返すと、構えていた拳を的に向かっておもいきり叩きつけた。


 ――ドゴン、と大きな音を立てて的が粉々に砕け散る。

 

 ライラは的を叩きつけた姿勢のまま、野次を飛ばしてきた者たちを横目で睨みつける。

 今は試験中だから手出しはしないが、それ以外のときに絡んできたらどうなるかわかるなと視線で訴える。

 砕け散った的は、パラパラと空中を舞いながら地面に落ちる前に完全に燃え尽きてしまった。


 ライラの行動で演習場は静まりかえった。

 張り詰めた空気が周囲を漂い、騒いでいた者たちは口をあんぐりと開けて固まってしまっている。


 そんな中、ファルの弾んだ声が演習場に響いた。


「うわあ、ライラさんって実はすっごく力持ちだったのですね!」


 ファルのこの頓珍漢とんちんかんな一言のおかげで、緊迫していた雰囲気が和らいでいく。

 

「……ただ的を射抜くだけではつまらないと思われる方がいらっしゃったようなので。どんな攻撃手段でも構わないのですよね?」


 ライラはわざとらしくアハハと笑い声を上げながら、受験者たちの元へと帰っていく。

 そんなライラをイルシアが愕然とした様子でじっと見つめてくる。彼の視線はライラの肩に向けられていた。


「……んん、まさか見えるの?」


 ライラがイルシアに向かって声をかけると、彼はしまったという顔をして慌てて視線を逸らした。

 ライラの肩には呼びだした精霊が腰かけている。だが、精霊は普通の人間には見えない。

 見えるのはライラと同じく精霊を呼びだしてその力を借りることができる者だけだ。


「……もしかして、イルシア君も精霊術師なのかしら?」


 イルシアは何も答えずにそっぽを向いたまま気まずそうにしている。

 その態度はライラの質問を肯定しているようなものだ。


「ああ、だからあの時イルシア君から嫌な感じがしたのね」


 ライラは頭を抱えてしまう。

 マディスの店の中庭で感じたイルシアに対する違和感が、同族嫌悪だと気が付いた。

 それと同時に、彼が組合に気に入られている理由も、若くしてランクを駆けあがっている理由もわかってしまった。


「……やっちゃったなあ。どうして気がつけなかったのかしら」


 ライラは以前に冒険者をしていた頃と比べ、感覚が鈍っていることを痛感する。

 精霊を呼びだし、その力を使って様々な奇跡を起こす精霊術を扱える者は貴重な存在だ。

 大都市の冒険者組合でさえ一人いるかいないかといったほどだ。まさか王都から遠く離れた田舎街を拠点にしている精霊術師がいるとは思いもしなかった。


「こんなところで術なんて使うんじゃなかったわね」


 ライラがそう言って項垂れると、イルシアが呆れた顔をする。

 簡単な精霊術の使用であれば、普通の人間に精霊は見えないので魔術を使っているのだと勘違いされる。

 初見で見抜けるのは同胞か、よほどの戦闘経験を積んだ者だけだ。

 いずれバレるにしても、今は勘違いしてくれると思っていたからこそ取った行動だった。


「……うう、これはまずいかもしれないわ」


「では一次試験はこれで終了です! 次の試験会場にご案内しますので、全員ついてきてください」


 ライラが自分の取った浅はかな行動を後悔していると、受付嬢が声をあげた。


「……全員ついてきてってことは、一次試験で落とされた人はいないってことでいいのかしら?」


「さすがにこの試験で落とされる奴はいねえよ。つか、俺にかまってないでさっさと行けよ。また最後だと印象悪いぞ!」


 ひさしぶりに出会った同胞に嬉しい気持ちもあったライラはイルシアに近付いて話しかけた。だが、彼はちらりともライラを見ることなく、おざなりに返事をしながら速足で歩いていく。

 ライラはそんなイルシアの態度に肩をすくめる。先輩のアドバイス通りにきびきびと受付嬢の後について行った。

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